【猪瀬知事問題】徳田虎雄と政界をつなぐ原点「私は徳洲会と右翼団体仲介者に立候補を要請された」

TABLO / 2013年12月1日 8時0分

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 正しくいえば1999年、当時自由連合の幹事長で参院議員だった石井一二氏に、「自由連合の政策を作ってくれへんか」と頼まれた。同じ兵庫県出身というよしみだった。近く行われると思われる選挙に向けて、公約を作りたいとのことだった。

 仕事は平日数時間、平河町の本部に行くこと。内容は公約作成の他、石井氏の論文の代筆など。ハチャメチャなところもあったが、楽しかった。当時の関係者で永田町で唯一生き残っている福ちゃんは、「政策を全部作ったのは明ちゃんだよね」と今でも言ってくれる。

 あの頃、北朝鮮のミサイル発射が問題になっていたが、石井氏は「和歌山県の予算くらいしかない国やでえ。ミサイルなんか飛ばされへん、飛ばされへん」というのが持論だった。そうした論考を月刊日本やインテリジェンスといったメディアに乗せていたが、それを見て、朝鮮総連が石井氏を北朝鮮に招待しようとした。許宗萬氏が本部に来たこともある。結局は実現しなかったが。

 しかし一番興味深かったのは、石原新党構想だ。徳田虎雄氏は亀井静香氏とともに、都知事だった石原氏を説得していた。石井氏も候補者集めに必死だった。櫻井よし子氏のところに行ったこともあった。けんもほろろに断られたようだが......。

 そんなある日のこと、石井氏の第一秘書だった市川和久氏が私に分厚いファイルを見せてくれた。

 市川氏は後に、週刊文春に「北朝鮮の二重スパイ」と書かれた二瓶絵夢とともに表参道の他人の土地を勝手に売買しようとして、詐欺未遂氏文書偽造で東京地検特捜部に逮捕される。

 そのファイルを見て、驚いた。私の写真と履歴書があるではないか!写真と履歴書は石井氏に渡していたものだ。しかも写真は、小さいのを何度も拡大コピーしたため、ほとんどモザイク状態。あまりにもひどすぎる!

「石原さんに新党結成の決意をしてもらうために、候補として作ったファイルだ」

 と、市川氏は言った。その後、石井氏に呼ばれた。

「君もこの世界におるということは、野心があるやろ。兵庫12区から出馬せえへんか」

「お断りします」

 即答した。

「いちおう私、親戚も多いんです。父が亡くなって間もないのに出馬なんて、『バカ娘』と言われます」

 しかし石井氏はしつこかった。喪中だからといっても許してもらえなかった。市川氏も、「1000万円ほどもらって、じっとしていればいいんだよ。そうすれば全部、もらえるんだから」と言う。

 私はすぐ決意した。

「私、自由連合の政策担当を辞めますわ」

 これで自由連合との縁が切れた......。

 と思っていたら、2001年の参院選の前に、一水会の木村三浩氏から電話がきた。

「一緒にご飯食べませんか」

「いいですが、ご用件は?」

「それは会ってから話します」

 指定されたのは西新宿のアフリカ料理屋さんらしきお店。当時、木村氏は自由連合の選対を担当したばかりで、それはあらかじめ別のルートで聞いていた。木村氏の第一声は想定通りだった。

「実は頼みがあるんだけど......」

「お金と出馬のお話以外ならOKですよ♪」

 私はにっこりと先制した。木村氏はしばらく口をあんぐりとあけ、「それならしかたないなあ」と諦めてくれた。木村さん、石井氏よりいい人です、たぶん。

 ということで、当時を思い返しながら、一連の事件を見ている。一度で書ききれないほどエピソードは沢山あるが、とりあえず合掌。あっ、まだ早いか(笑)。

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Written by 安積明子

Photo by トラオ 徳田虎雄 不随の病院王

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