【ショートストーリー】恋してみたら? 第27話 「あなた色の女(後編)」

恋学 / 2014年6月5日 2時8分

俺といない時の君も、君で
君といない時の俺だって、俺なんだ
そう言っただけで泣いてしまった彼女が、
いつか苦手になった

20140605

「もう一杯どうです?」
取引先の部長に勧められて、大野芳明は頷いた。
夜10時半   美絵が待っているかもしれない。いや、
待っているに違いない。あの、掃除の行き届いた清潔な部屋で。
テーブルには花が飾ってあるだろう。ベッドは整えられ、その上には、“よっちゃん用”のパジャマが置かれているだろう。
リクエストしたチキンカレーは、レストランさながらに出来上がっている。・・・
だが、それを想像すると、なぜか心が沈む。

 たまには友達と遊んでる間に約束を忘れてしまったり、料理作りたくないから今度にして、なんて言ってくれたっていいのに。
勝手な言い草である事は承知の上で思ってしまう。
芳明は、仕事や遊びの都合で、たまに彼女をすっぽかす。ドタキャンもする。最近は連絡すら怠っていた。そんな自分に突然「明日行く」と言われても受け入れてくれる美絵を、愛しいと思うべきなのだろう。
だが―――萎えてしまうのだ、なぜか心が。

 婚活パーティで知り合った美絵は、目立つタイプではなかったが清楚で優しい話し方が好みだった。素直で明るい所も気に入った。
清楚で優しく、素直で明るい・・・並べて書くと陳腐なようだが、婚活男子の好みなんて、そんなものだ。特に気の強すぎる前妻で失敗している芳明に、「優しい、素直」は重要だ。

 美絵はどこに連れていっても喜んでくれるから可愛かった。一番気に入ったのは、芳明の話を黙って聞いてくれる所で、彼女といると心が安らいだ。
付き合う内に、もっと長く一緒にいたくなったが、芳明は両親と同居しているし、あちこち行くのは、正直金もかかる。
 「美絵ちゃんの部屋に行ってみたいな」
と言うと、美絵はスンナリ招いてくれた。
 想像以上に居心地のいい部屋だった。綺麗だし、うまい料理も出てくるし。
だから合い鍵を渡された時は、正直“こんなにうまく行っていいのか?!”と、不安になるほど、嬉しかった。

 だが、途端に緊張感や高揚感が無くなってしまったのは何故なんだろう。
まず、外で待ち合わせする事は、ほとんど無くなった。
気の張る店を予約したり、予定を調整して会うより、ただ部屋に行けばいい。
自営業の芳明が、家主の留守に昼寝していても美絵が怒ったことはない。
深夜、飲み会の帰りに訪ねても、優しく迎えてくれる。部屋ではただ寛いで、話したい事を話していればいい。黙ってテレビを観てたっていい。 楽だった。楽すぎて・・・“結婚”なんて考えもしない。
だって、このままで充分だから。
―――しばらくすると、芳明は美絵とあまり話さなくなった。確かに聞いてくれるけれど、それだけ。彼女から話したいことはないのだろうか?
美絵といても、芳明の世界は何も変わらない。新しい何かがもたらされる事はない。なんだか全部見えちゃった感じで。

 俺がわがままなんだろうか。そうなんだろう、きっと。
明日行くなんて、その場しのぎのメールを送った事が悔やまれた。
 ま、今日中に行けばいいか、芳明は考える。
なんで俺はすぐに行かないんだろう、とも自問する。
俺好みの雑誌が置かれた、俺好みの装飾の部屋で、俺好みの料理を作って待ってる彼女・・・
ぶるるっと頭を振って、芳明はビールを飲み干した。
ポケットの中の合い鍵が、鉄の塊みたいに重く感じられる。
                                 (おわり)

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