【恋学 読みきりショートストーリー】恋愛カウンセラー日記「恋の時差」

恋学 / 2014年10月17日 11時37分

俺の恋は 彼女が去った時にはじまった・・・

20141017

 渋谷の雑踏を、奈美絵と俺は手を繋いで歩いている。
夕方。陽が落ちそうで落ちない、不思議な青さに覆われるあの時間。
街は若者で溢れかえっている。
数人の男女が談笑しながら、身体をぶつけるように直進してきて、繋いでいた手がするりと解けた。
あ、と思う間もなく、奈美絵は人波に飲みこまれていく。――――    
 自分の叫び声で飛び起きた。この所、何度となく見る夢だ。

 付き合ったり、結婚したり、という事を人はどうやって決断しているんだろうと疑問に思っていた。
分からなかった。恋をして、いてもたってもいられなくなる気持ちが。
38才・・・過去に何人か彼女らしき人はいた。
何となく一緒に過ごし、何となく終わりが来た。

 恋がわからなかった。
ましてや、恋に時差があるなんて知らなかった。・・・

 フロアの違う部署に所属する奈美絵は、独身の俺を気遣う上司から紹介された。
正直面倒だったが、上司の手前無下にも出来ず飲みに誘った。
 話は途切れなかった。酒が強いのも気に入った。笑顔が可愛い子だなと思った。でもそれだけで、やっぱり強い感情は湧いてこなかった。
何度か会って、何となくそのままになっていた土曜日、一度だけ彼女の方から誘って来た。

 渋谷の雑踏を入る店を探して歩いている時、急に彼女が手を繋いで来た。
握り返さずされるがままになっていると、パッと離して俺の前に立ち、
「私たち付き合ってる?」、と聞いてくる。
見開いた目に青い夕方が映るのを黙って見ていると、彼女は背中を見せて歩き出し、いつしか人波に紛れて消えてしまった。
それが終わりだった。
 なぜ手を握り返さなかったのか。彼女の問いにどうして答えなかったのか。何十回、何百回、自問してみたけれど分からない。冷たくて柔らかい指の感触は覚えているのに。たぶん・・・理由なんかなかったんだろう。
 恋を知らなかったから。 

 奈美絵が結婚すると知ったのは、それから三か月程してからだ。
くだんの上司が教えてくれた。
見合い結婚、結婚後も当座は仕事を続けるらしい。・・・
 ある日、踊り場ですれ違った彼女は、爽やかな笑顔で会釈してきた。
「結婚するんだって?」
悪びれることもなく白い歯を見せて頷いた。
「おめでとう」、喉が詰まったような声になった。ほのかに漂う香水の匂いが、なぜか胸を締め付けてくる。「あのさ、・・・俺たち」
階段を降りかけた奈美絵が振り返る。
「いや、なんでもない」
聞けるはずがない。「俺たち付き合ってたのかな?」なんて。
去っていく彼女の向こうに、あの日そっくりの“青い夕方”が広がっていた。
 その時はじめて、俺は恋がわかった。
はじめての恋は、彼女が完全に去った時に始まったのだ。

 恋に時差があるなんて知らなかった。
知らないなら、知らないままでいたかった。

                               (おわり)

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