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昔は乗用車も…若者は知らない? トラックメーカー「いすゞ」の名車5選

くるまのニュース / 2019年2月3日 7時30分

いすゞが乗用車の生産を終了したのは平成初期の1993年。それから26年が経ちますが、今でも愛される懐かしのいすゞの名車を5車種ピックアップして振り返ります。

■乗用車生産から撤退して26年、いすゞの名車5選

 最近の若者では、CMでもお馴染みの「いすゞのトラック♪」というイメージからトラックだけを製造・販売しているメーカーと思っている人が多いかもしれません。

ベレットGTR

 現在のいすゞは、国内ではバスとトラック、東南アジア向けにSUVを生産しているメーカーですが、26年前までは乗用車も生産を行っており、数々の名車を生み出しているのです。

 独創的なデザインや先進性などを、今でも懐かしみ大切に乗られているクルマもあります。そんな、いすゞの特徴的なクルマのなかから5台を選んで紹介します。

●ベレットGTR

当時としては先進的なメカニズムが採用された「ベレットGTR」

 いすゞが1963年から1974年まで販売していた「ベレット」。「ベレG」と呼ばれる1964年に登場した「ベレットGT」(2ドアクーペモデル)は、日本初のディスクブレーキの採用や、前輪ダブルウィッシュボーン、後輪ダイアゴナルスイングアクスルの組み合わせによる、四輪独立懸架が生み出す路面追従性の良さを発揮。

 また、ラックアンドピニオン式ステアリングギアボックスによる鋭いハンドリングを兼ね備え、高い運動性能を活かして国内レースでも活躍しました。「和製アルファロメオ」ともいわれています。

 ベレットは、一度もフルモデルチェンジされなかったことから、キャビンスペースに入ると、当時の他社クーペに比べてもタイトな空間です。しかし、コンパクトなサイズながら美しいラインを持つボディはもちろん、運転席と助手席が近いこともあり「日本で最初のデートカー」と言う人もいるほどでした。

 そんなベレGでしたが、1969年の「鈴鹿12時間耐久レース」で優勝した「ベレットGTX」の市販バージョンとして、117クーペ用のソレックスツインキャブを装着した1600cc4気筒DOHCエンジンを搭載した「ベレットGTR」(最終型の名称は「ベレットGT typeR」)を発売します。

 最高速度190km/hのスペックだけでなく、強化されたサスペンションやブレーキブースターの装備、黒とオレンジが特徴的なボディカラーやフロントのバンパーを分割した間にセットされた補助灯など、いすゞの以降のスポーティモデルが「硬派」と呼ばれるようになる第一歩を歩み出しました。

●117クーペXG/XE

ジウジアーロによる美しいデザインが今も語り継がれる「117クーペ」

 1968年から1981年まで販売していた「117クーペ」は、当時のいすゞが1967年から販売していたセダン「フローリアン」のコンポーネンツを流用したクーペモデルとして誕生した「高級パーソナルクーペ」となります。

 エンジンも当時は数少ないDOHCヘッドを持つ1.6リッター。その美しいボディスタイルはイタリアの自動車デザインスタジオである「カロッツェリア・ギア」によるもので、チーフデザイナーは多くのスーパーカーを手掛けたジョルジェット・ジウジアーロです。

 1966年のジュネーヴショーではプロトタイプがコンクール・デレガンスを受賞。「国際自動車デザイン・ビエンナーレ」では名誉大賞を獲得しています。

 台湾楠のウッドパネルなどの上質なインテリアや、そのボディの流麗さを損なわないためにジウジアーロ自身が市販車向けデザインをしたものです。

 通常の生産ラインでは対応ができず、手作業で製造を行っていたことから、この初期モデルはのちに「ハンドメイド」と呼ばれましたが、同時に1970年にはボッシュ製の電子制御インジェクションを日本で初めて搭載するなどの先進性も合わせ持っていました。

 1973年にはコストダウンに合わせた量産化が可能となり、法改正に適合した第2世代にチェンジされ、140馬力を発生するSUツインキャブレターを備えたDOHCエンジンの「XG」は、排ガス規制への対応ができずに1975年に姿を消します。

 トップグレードの「XE」は最高出力を130馬力に抑えながら販売は継続されました。

 1977年のマイナーチェンジでヘッドライトが丸型4灯から角型4灯に変更となり、XEと同じ電子制御インジェクションとすることでXGが復活しました。4輪ディスクブレーキやLSD、減衰力可変ショックアブソーバーなどを標準で装備するスポーツクーペとして復活し、第3世代の「117クーペ」を代表するグレードになっています。

 1978年には排気量を2リッターに拡大していますが、当時のDOHCエンジン車でATを選べたことや、本来の「117クーペ」の持ち味であるエレガントさを求める層には高価なXEが人気で、1981年に「ピアッツァ」がデビューするまで販売し続けました。

■類まれなデザインが話題になった「ピアッツァ」

●ジェミニZZ/R

FRのスポーティな走りに定評があった「ジェミニZZ」

 1971年にGM(ゼネラルモーターズ)と提携したいすゞは、GMの「グローバルカー構想」に基づいて、オペル「カデット」をベースに「ベレット」の後継車に当たる初代「ジェミニ」を開発し、1974年に販売を開始しました。

 オペル「カデット」とそっくりな特徴的なフロントノーズ周りのデザインは好き嫌いが分かれ「逆スラントノーズ」とも呼ばれました。

 1979年に「ジェミニ」オリジナルのスラントノーズへデザイン変更され、「ZZ」(ダブルズィー)シリーズを追加。「117クーペ」と同じ1.8リッターDOHCエンジンを搭載することで、スポーツドライブ好きへの対応や商品価値を向上させ、のちに装備を豪華にしたグレードも追加されます。

 1981年にラリーで勝つため強化されたサスペンションやLSDを装備した「ZZ/R」を発売し、「ベレットGTR」の再来とマニアたちは歓迎。

 その後も「ジェミニ」シリーズ全体でマイナーチェンジを繰り返し、1985年に「ZZ」が最後のマイナーチェンジを行いました。

 G180エンジンの特性をチューニングしたものが搭載され、それまでのタペットカバーが青だったのに対し黒色に塗られていたことから、最終型のZZは「ブラックヘッド」と呼ばれ、同年に2代目「FFジェミニ」が登場したあとも、1987年まで並行販売され続けます。

●ピアッツァ ハンドリングバイロータス

「117クーペ」に続いてイタルデザインによる造形の「ピアッツァ」

「117クーペ」に代わるフラッグシップ・クーペを欲していたいすゞは、イタリアのデザイン会社である「イタルデザイン」(ジョルジェット・ジウジアーロが設立)にデザインを依頼し、1979年のジュネーヴショーで世界中の自動車関係者に衝撃を与えます。

 その3ドアハッチバック・クーペは丸みを帯びたフォルムと、直線的なシャープさを兼ね備えていて「本当に市販するつもりはあるのか?」と疑われたほどです。その展示モデルに近似する状態で初代「ピアッツァ」は誕生しました。

 美しいボディラインを断ち切ってしまうかのように見えた大きめのフェンダーミラーやベージュのボディカラーなど、先進的なルックスは賛否両論がありました。インテリアも特徴的で、メーターナセルの左右に配置されたサテライトスイッチなどは、その後の国産車にも大きな影響を与えます。

 初期モデルの135馬力を発揮するエンジンは、ジェミニZZシリーズの1.8リッターDOHCエンジンのボアを拡大して2リッター化したものを「XG」に搭載。1984年には180馬力を発揮する2リッター電子制御式ターボ付SOHCエンジンが「XE」と「XS」に搭載され、その当時の2リッターエンジン車では最も高い出力を誇りました。

 1985年には、オペルのチューニングで有名なドイツの「イルムシャー」が「XS」のサスペンションをチューニングした「ピアッツァ イルムシャー」が登場し話題となります。

 そして1988年、「ハンドリングバイロータス」 (handling by LOTUS) が追加されます。スポーツカー製造やF1で名を馳せた英・ロータスとの技術提携で生まれた「ハンドリングバイロータス」は、モモ製ステアリングと専用バケットシート、アームストロング製のド・カルボン型ショックアブソーバーやBBS製アルミホイールが組み込まれただけでなく、リヤサスペンションが3リンクから5リンクに変更されるなどの「ロータス・チューン」を受けたクルマでした。

 ひとめ目で普通の「ピアッツァ」とは違うと判る、英国車を思わせる深い緑色のボディカラーが人気になります。

 1990年には、LSDを標準装備とした「ハンドリングバイロータスリミテッド」が追加され、1991年には2代目「ピアッツァ」が登場すると、10年間に渡る初代の歴史は幕を閉じました。

■CMのカースタントが大いに話題となった2代目「ジェミニ」

●ジェミニ イルムシャー

走りのよさにも定評があった2代目「ジェミニ」

 1985年に「街の遊撃手」のキャッチコピーで、パリ市街などでの派手なカースタントシーンを使ったCMで2代目ジェミニは衝撃的なデビューを果たしました。駆動方式は初代のFRからFFに変更され、エンジンもオーソドックスな1.5リッターSOHC、ボディーサイズも1.5リッタークラスの他車と同等にコンパクト化されています。

 この2代目ジェミニの発売当初は、先代のFRジェミニも並行して販売されていたために「FFジェミニ」と呼ばれていました。

 1986年にライバル車の高出力化に対抗するためインタークーラー付きターボエンジンを搭載した「ジェミニ イルムシャー」が登場します。

 前年に登場した「ピアッツア イルムシャー」と同様に、ドイツの「イルムシャー」がサスペンションをチューニングし、レカロ製シートやモモ製ステアリング、エアロパーツと専用のホイールカバーを装備し、当時コンパクトFF 2BOXカーのモディファイで流行していた「ボーイズレーサー」の出で立ちと高い走行性能を誇りました。

 1987年には、特別仕様車「イルムシャーRS」を台数限定発売、時計やオーディオ、ホイールキャップなどを省いた競技用ベースグレード「イルムシャーR」も追加設定。1988年には1.6リッターDOHCエンジンを搭載した「ZZハンドリングバイロータス」をラインナップ。

「ピアッツァ」と同様に英・ロータスとの技術提携で生まれたモデルですが、DOHCとは言え1.6リッターNAエンジンでしたので実際のパワフルさは1.5リッターターボのほうが上で、落ち着いた操縦性のラグジュアリスポーツのイメージとなり、「イルムシャー」は高い走行性能を持つコンパクトスポーツの位置づけでした。

 1990年にフルモデルチェンジを行い、3代目「ジェミニ」が登場します。2代目よりも拡大したボディに組み合わせたエンジンは、ベーシックな1.5リッターSOHC、スポーティな1.6リッターDOHC、経済的な1.7リッターディーゼルターボ、そしてパワフルな1.6リッターDOHCインタークーラー付きターボ4WD車もラインナップされ、2代目と同様に「イルムシャー」と「ZZハンドリングバイロータス」も存在。

 しかし、バブル経済破綻の影響で極度の販売不振に陥り、いすゞは1992年度中期経営計画で乗用車生産から撤退することを決めます。「ジェミニ」の自社生産は1993年に終了し、同年に発売された4代目「ジェミニ」はホンダ「ドマーニ」のOEMモデルになり、1997年に5代目へのフルモデルチェンジを経て2000年には「ジェミニ」の名前も終了しました。

※ ※ ※

 いすゞが乗用車の生産を終了して26年が過ぎましたが、当時の「クラス最高出力」や独創的なスタイリングや装備など特徴的なクルマが多く存在していたことを思い出す人も多いかもしれません。

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