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ディフェンダーは農民の味方だった! 元祖ランドローバーの誕生秘話物語

くるまのニュース / 2020年5月14日 19時10分

2019年に70年近い歴史のなかで初めてとなるフルモデルチェンジを遂げたランドローバー「ディフェンダー」。ディフェンダーがどうしてそれほど長い期間愛され、作り続けられてきたのか、ランドローバーが生まれるきっかけとなったエピソードから紐解いていこう。

■国策として外貨獲得のために生まれたランドローバー

 2019年に史上初のフルモデルチェンジが図られ、2020年4月から日本国内でも正式リリースされたランドローバー「ディフェンダー」。その歴史は、第二次世界大戦が終結した直後、1948年にデビューした、その名も「ランドローバー」まで遡ることができる。

 ランドローバー誕生前夜の英国は、第二次世界大戦の戦災による生産体制の損害、そして戦勝国であっても不可避であった莫大な戦費支出によって、深刻な経済危機に直面していた。

 そこで、ウィンストン・チャーチル首相の率いる政府は、事態を打開するために「あらゆる工業生産を外貨獲得のための輸出に振り向ける」という新政策を打ち出す。

 当然のことながら自動車産業に対しても海外、ことにアメリカ合衆国への輸出を優先した新車開発を推奨。鉄鋼などの資材も、輸出向け生産に優先的に割り当てられることが決定した。

 戦前以来の名門中型車メーカー、保守的ながら上質なサルーンづくりを本分としていたローバー杜は、おりしも本社工場を創業以来のコヴェントリーから近郊のソリハルへと移し、生産能カを大幅に向上させたばかりの時期だった。

 輸出を最優先事項とする政府の決定は、それまで英国内マーケットを主な市場としてきたローバー社にとっては、まさに「青天の霹靂」ともいうべきものだったに違いない。

 ソリハルの新工場は、年間2万台の生産を可能とするだけの体制を備えていたにもかかわらず、それまで国内需要偏重で輸出実績の乏しかったローバーに政府から割り当てられた生産資材は、年間わずか1000台分に過ぎなかったというのだ。

 ここへきて危機感を覚えたローバー社幹部たちは、急遽輸出に好適な新型車の開発に取り組まなければならなくなった。そして最初に彼らが考えたのは、まずは灰燼に帰したヨーロッパ大陸で復興の交通手段となることを期した超小型車だった。

 そこで、わずか699.2ccの二座席コンパクトカー「M1」を開発し、実走可能なプロトタイプまで製作された。

 ところが、北米を中心とする輸出市場では、700cc足らずの耐乏型マイクロカーでは、古き良き英国を代表する良識派の中型車メーカーであるローバーのイメージから乖離してしまうとの判断がなされ、ローバー社の輸出増新プロジェクトはいきなり暗礁に乗り上げることになった。

 しかし、この時代にローバー社最高幹部の地位にあったウィルクス兄弟は、ひょんな会話を契機に以後のローバー社の方向性を決定する、実に秀逸なアイデアを獲得することになる。

 当時、ローバー社で技術担当重役の地位にあった弟モーリス・ウィルクス氏は、いかにも上流階級に属する英国人らしくカントリーライフを愛する人物であった。

 そして、いわゆる「カントリージェントルマン」として、ウェールズに近いアングルシー島に広大な農地を所有しており、そこで使用する農作業用トラックとして、第二次大戦後に軍から放出されたアメリカ製ジープを愛用し、その実用性を大いに評価していた。

 しかし「大量生産した車両を消耗品として使用する」というコンセプトのもと開発された軍用ジープは、不可避的に慢性的なパーツ不足を抱えており、もし英国内で重篤なトラブルが発生すれば、放棄を余儀なくされてしまうものだったのである。

●兄弟の日常会話から生まれた歴史的名作

 そんなある日、モーリスの農場を訪ねていたローバー社の会長である兄スぺンサー・ウィルクス卿は、「このジープが壊れて乗れなくなったらどうする?」と訊ねた。その屈託のない問いかけに対して、モーリスはこう答えたという。

「こいつはさっさと捨てて、また放出品のジープを探すさ。これに代わるような便利なクルマも無いしね……」。

 ランドローバーファンの間では、もはやすっかり有名になっているこのエピソード。今となっては真偽のほどは明らかではないのだが、このときの雑談にヒントを得たとされるウィルクス兄弟は、小型軽量で応用性の高い4WDヴィークルの可能性に着目。

 さっそくローバー社の本拠ソリハルに戻って、1930年代からローバー社技術陣を率いていた敏腕エンジニア、ゴードン・バシュフォードに開発オペレーションを指示することになったのである。

■農民の強い味方、ランドローバー誕生!

「あらゆる作業に適応する農民の従僕」というコンセプトのもと、開発された4WDトラックだが、政府からの援助を得るには急を要していたため、1947年に初めて製作されたプロトタイプは、米ウィリス社製ジープのシャシとサスペンションを、ほぼそのまま流用することにした。

 80インチのホイールベースも不変だったが、ほどなくジープよりも高剛性で頑強な専用フレームが用意された。

ランドローバー「シリーズIII」ランドローバー「シリーズIII」

 一方ボディについては、政府の割り当て制限によって鉄鋼が不足していたのだが、戦争終結によって逆に余剰資材となっていたことから安価に入手できたアルミ合金「Birmabright(バーマブライト)」を使用。スタイリングは組立て加工の容易な簡素なものとされた。

 また最初に試作されたプロトタイプでは、英国などの左側走行用の右ハンドルに加えて、左ハンドルを希望する欧米各国への販売を考慮し、ステアリングは横並び3シーターの中央に設置された。

 これはPTO(外部出力装置)を装備し、定置型の動力源としても使えるよう考慮されていたことも併せて、農業用トラクターとしての使用も見越したともいわれている。

 しかし、やはり使い勝手に問題ありと判断されたことから、生産型では一般的な右ハンドル/左ハンドルに改められることになった。

 そして、元来の社名に引っ掛けて「ランドローバー(大地を征服する者)」と名付けられたローバー4WD試作車は、1948年4月30日に開幕するアムステルダム・ショーにて発表されるに至った。

 デビュー当時は、プロトタイプと同様80インチのホイールベースを持つオープンのトラック版のみ。また、最初期のモデルは前輪のフリーホイールハブを生かした簡易型のフルタイム4WDで、4速MT+トランスファーの変速機が組み合わされる。

 パワーユニットは、戦前以来のローバー製セダン「P3-60」用を踏襲した、水冷直列4気筒Fヘッド(OHV吸気/サイドバルブ排気)1595cc。Fヘッドは、同時期の英国製高級車にはしばしば見られたバルブ形式で、ローバーではヘッド周りの小型化や低中速トルクの獲得を期しての採用だったといわれている。

●大地を征服したランドローバー

 ランドローバーは物品購買税の課税対象外に規定されたこともあり、発売早々から大人気。1952年には通算5万台、1954年には10万台を超え、英国内や英連邦各国でも農業や牧羊業の重要な輸送手段となったほか、警察や軍隊などにも正式配備されていく。また、生来の目的であった輸出市場でも、高い評価を獲得することになった。

 その後は、ホイールベースを伸ばしたロング版「107」(のちに「109」から「110」に進化)シリーズを追加する一方、SWB版もさらなる使い勝手の獲得のためホイールベースを延長するなどの改良で「86」から「90」まで進化。

 そしてエンジンも、たび重なる大型化や直列6気筒、V型8気筒が追加されたほかディーゼル版も追加されるなど、シリーズIからシリーズII、IIA、そしてシリーズIIIと暫時進化を遂げてゆく。

 かくして、生来は新型乗用車が開発されるまでの窮余の策だったはずのランドローバーは、結果としてローバーの「ドル箱」に成長。1971年にはローバー社から分離・独立して、「ランドローバー」そのものがブランドとなった。

 そして1990年には「ディフェンダー」の車名が与えられ、正規の生産モデルとしては1948年から生産終了後の2018年に世界限定150台のみ追加製作された「ディフェンダー・ワークスV8」まで合わせれば、なんと70年もの長寿を誇ることになったのである。

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