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名前の由来が「拍車」だったベントレー「フライングスパー」に、2020年さらに拍車がかかる!

くるまのニュース / 2020年5月20日 8時10分

「ミュルザンヌ」が長い歴史に幕を閉じたことを受け、ついにベントレーのフラッグシップとなった「フライングスパー」は、どのような歴史をたどったモデルなのだろうか。初代フライングスパーから一気にその歴史を辿ってみよう。

■「H.J.マリナー社」の重役一族が代々使ったエンブレムこそが、「フライングスパー」だった

 2020年に日本国内でも本格的にリリースされることになったベントレーの新型「フライングスパー」。この、いかにもベントレーらしい勇猛でカッコ良い名称である「フライングスパー」の由来をご存じだろうか。

 フライングスパーの名を持つベントレーが初めて登場したのは、今から60余年も遡る1957年の秋にまで遡る。

 量産型の「Sタイプ・サルーン」と同じ1955年春から正式リリースされることになった、コーチビルダー用スポーツシャシ「Sタイプ(S1)コンチネンタル」のためにデザインされたH.J.マリナー製4ドア・スポーツサルーンが、その起源とされている。

 フライングスパーとは、英語から直訳すれば「空飛ぶ拍車」を意味する。これは、ロールス・ロイス/ベントレーとは深い関わりを持つ「H.J.マリナー社」にてセールス担当重役を務めるとともに、デザインワークにも携わっていたアーサー・ジョンストーンの一族が代々使用してきたエンブレムだ。

 乗馬に使用する「拍車」の左右に翼をあしらった、古風な紋章に因んで名づけられたものとの伝承が残っている。

 そして「H.J.マリナー」とは、馬車用ボディを製作する工房として1854年に創立した名門コーチビルダーの屋号である。現代ではベントレーの一部門としてその名を残し、最新型ベントレー各モデルに設定されたスペシャルオーダープログラムの名称となっている。

 さらに近年では、スペシャルモデルの独立したブランドとして、今なおベントレーのスペシャル性を代表するビッグネームなのだが、当時はれっきとした独立資本のコーチビルダーだった。

 しかし、その高い技術力が買われて、R-R/ベントレーが自社内でデザインした試作車や少量生産車の製作も任されていたのだ。

 H.J.マリナーがその名を世界に轟かせる契機となったモデルは、ベントレーが1952年に登場させた「Rタイプ・コンチネンタル」にほかならない。同社が手掛けた2ドア・スポーツサルーンは、サルーンとは名ばかりで実際は華麗極まるクーペだった。

「プレーンバック」と呼ばれた、流れるようなリアスタイルと豊満なボディライン、そして自動車美の極致のごとき素晴らしいプロポーションは、現代の「コンチネンタルGT」クーペ三世代にも多大なる影響を与えた、時代を超えたベントレーのアイコンとして認知されている。

 そして1955年。ベントレーの量産スティール・サルーンがRタイプからSタイプへと進化を遂げたのちもスポーティモデルは当然ながら継承され、ほぼ時を同じくして「Sタイプ(S1)コンチネンタル」が誕生した。

 S1コンチネンタルのパワーユニットは、スタンダードSタイプと共用となる直列6気筒Fヘッド4887cc。圧縮比を上げることによって若干のパワーアップは施されているものの、シャシはSタイプ・サルーンと共通だ。

 しかし、軽量なアルミボディとハイギアード化されたファイナルとの相乗効果で、空気抵抗の少ないボディが架装されたクルマであれば200km/h近い最高速度に達成したといわれるコンチネンタルは、当時としては高性能グランドツアラー、つまり「GT」と呼ぶに相応しいクルマだった。

 またRタイプ・コンチネンタルでは、一部の例外を除いた大部分(総生産208台中の193台)にH.J.マリナー製プレーンバッククーペが架装されたが、「Sタイプ・コンチネンタル」の時代になると、Rタイプのそれを若干モダナイズし、前後フェンダーのスロープを水平に伸びる形状としたH.J.マリナー製プレーンバッククーペのほかに、ノッチバックスタイルのパーク・ウォード製スポーツクーペ&ドロップヘッド・クーペなど、ボディのバラエティが格段に増えた。

 そして4ドアながらスタイリッシュなクーペスタイルを持つH.J.マリナー製「フライングスパー」も、この段階で初めて製作されることになったのだ。

 Sタイプ(S1)コンチネンタル・フライングスパーのボディは、H.J.マリナーが1956年頃からS1コンチネンタルのシャシを用いて実験的に製作し、「S2コンチネンタル」では事実上の制式ボディとなった2ドア・スポーツサルーン(クーペ)を、ほぼそのままのスタイルで4ドア化したものといって良いだろう。

 現代に隆盛を極めている「4ドアクーペ」の先駆けともいうべき秀逸なデザインを担当したのは、Rタイプ・コンチネンタルでその名声を決定的なものとしたR-R社の主任デザイナー、ジョン・ブラッチリー氏といわれている。

 もちろん2ドアクーペと同様、ボディはすべて手叩きのアルミパネルによるハンドメイドで、インテリアのマテリアル(ウッド・キャッピングやレザーハイドの質)や施された儀装のレベルも、標準型Sタイプ・サルーンのそれを遥かに上回るものとされていた。

 また、コンチネンタルは少量生産であることも相まって、販売価格は当時の標準型Sタイプ・サルーンと比較して実に約5割増しとなる超高級車だった。特にフライングスパーは、同時代のベントレー・コンチネンタルのなかでも、もっとも高価なボディとして君臨することになったのである。

■21世紀に至る素晴らしき名跡「フライングスパー」

「ベントレーSタイプ・コンチネンタル・フライングスパー」は1957年9月に北米向けが1台、およびイギリス国内向けに2台が製作されたのを皮切りに、50台が生産される人気作となった。

ベントレー「S2フライングスパー」ベントレー「S2フライングスパー」

 当時のロールス・ロイス社とH.J.マリナーはフライングスパーの成功を見て、この基本デザインをより大型のリムジン用シャシ「R-RファントムV」に応用することを考えていたようで、実際にワンオフの試作車両も製作したのだが、フライングスパーの絶妙なバランスには至らなかったのか、こちらは1台きりに終わってしまう。

 そののち1959年に、スタンダードのSタイプが、6230ccV型8気筒OHVエンジンを搭載したS2に進化すると、Sタイプ・コンチネンタルも「S2コンチネンタル」に発展した。

 この時代のH.J.マリナー製コンチネンタル・フライングスパーは、114台が作られたという。

 さらに3年後の1962年になると、4灯ヘッドライトが特徴的な「S3コンチネンタル」へと進化を果たす。このS3時代になると、H.J.マリナー製コンチネンタルの主役の座は、完全にフライングスパーへと譲られることになった。

 S3コンチネンタルのH.J.マリナー製2ドア・スポーツサルーンがわずか3台しか作られなかったのに対して、S3コンチネンタル・フライングスパーは83台(87台説もあり)が製作されたといわれているからだ。

 またこの時期には、ベントレーS3の姉妹車「R-RシルヴァークラウドIII」に、H.J.マリナーが「フライングスパー」ボディを組み合わせたスペシャル車両も、わずか14台ながら製作されているという。

 加えて、やはり第二次大戦前からR-R/ベントレーのスペシャルボディを製作していた老舗コーチビルダー「ジェイムズ・ヤング」社も、H.J.マリナー製フライングスパーの成功に刺激を受けたのか、同じくSタイプ系のコンチネンタルをベースとした4ドア・スポーツサルーンを少量のみ製作。現在では、こちらもフライングスパーと呼ばれてしまう傾向があるようだが、厳密にはやはり別のモデルと見るべきだろう。

 ともあれS3コンチネンタル・フライングスパーは、1966年1月に最後の1台が出荷されたのを最後に、その華々しい歴史の幕を閉じた。

 ところが39年もの月日が流れた2005年春のジュネーヴ・ショーにて、フライングスパーの歴史の第二幕が開くことになる。

 新世代ベントレーの旗手として2003年に登場したコンチネンタルGTシリーズのサルーン版として、懐かしい「フライングスパー」の名が与えられたのだ。

 それからのフライングスパーの隆盛は、今や誰もが知るとおりである。コンチネンタルGTシリーズが2代目となったことを受けて、2013年には新たに「コンチネンタル」のペットネームを持たない独立した「フライングスパー」の名のもと、第2世代へと進化した。

 そして、ついに日本の路上に降臨した新型フライングスパーは、旧き良き「ミュルザンヌ」に代わって、ベントレーのフラッグシップとなることが決定したのである。

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