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ブサかわフェラーリ発見! ロバと跳ね馬から誕生!? したプロトタイプとは

くるまのニュース / 2020年6月11日 11時50分

フェラーリはいつの時代でもエレガントなフォルムで魅了してきたものだが、なかにはどう贔屓目に見ても美しくないプロポーションの車両もある。今回はそうした、フェラーリらしからぬ車両(ただしプロトタイプ)を紹介しよう。

■ブサかわフェラーリは、雌ウマと雄ロバとの雑種ラバだった!

 世界遺産ヴェネツィアと同じく、北イタリア・ヴェネト州に属する古都パドヴァ。この町には、イタリア最古のひとつと称される大学とともに、イタリアでも有数の規模を誇る「フィエラ(大型見本市会場)」があることでも知られている。そしてこのフィエラで毎年秋に開催されているのが「アウト・エ・モト・デポカ(Auto e Moto d’Epoca)」というヒストリックカー・ショーである。

 アウト・エ・モト・デポカとは「良き時代のクルマとモーターサイクル」という意味。もともとはイタリア各地でおこなわれている、自動車用パーツやグッズ、ミニチュアカーなどのスペシャルショップや愛好家クラブを対象とした、大規模なフリーマーケットから発展したものである。

プロトティーポM1(エンツォ・フェラーリ試作車)プロトティーポM1(エンツォ・フェラーリ試作車)

 この種のフリーマーケットは、一般的には「トレードショー」と呼ばれて独自の進化を遂げてゆく。

 そしてフランス・パリの「レトロモビル」を端緒に、自動車メーカーやミュージアムの展示コーナーも設けられるようになり、ヨーロッパ各国で大人気のイベントへと成長。その人気はわが国にも波及し、現在ではパシフィコ横浜の「ノスタルジック2デイズ」や幕張メッセの「オートモビル・カウンシル」などが、毎年多くのギャラリーを集めることになった。

 そんなトレードショーの世界におけるイタリアを代表するイベントとなった「アウト・エ・モト・デポカ」は、総計15館・総展示面積約9万平方メートルという、「東京ビッグサイト」よりもさらに広大な会場に、クラシックカー/スーパーカー専門ディーラーが持ち込んだ玉石混交なクルマたちが1000台近く展示される。

 また、自動車メーカーや直営ミュージアムがモーターショー並みの大規模ブースを設けて、自社のヘリテージをアピールしてきた。

 筆者にとっては2回目の訪問となった2014年には、マラネッロのフェラーリ社オフィシャル博物館「ムゼオ・フェラーリ」およびモデナ市内「ムゼオ・エンツォ・フェラーリ」の出張展示というかたちで、2000年以降のフェラーリが製作した実験車両が一堂に会した。

 ところで、開発の初期・中期段階での実走テストのために用いられる、急ごしらえ感まる出しの実験車両は、自動車業界では「ミュール(Mule=ラバ)」、特にイタリアでは「ムレット(Muletto)」と呼ばれるそうだ。

 ちなみにミュール(ラバ)とは、雄ロバと雌ウマとの雑種のことでもある。

 当然のことながら秘密裏に製作され、役目を終えたのちには早々に解体される運命のムレットだが、フェラーリでは一部の車両が社内にひっそりと秘匿される。あるいは、フェラーリ本社と長らく特別な関係を構築していた超有力コレクターなどを対象に、一定の期間は表に出さないことを条件として譲渡されたこともあるようだ。

 なにぶん、元来シークレットの要素が多いムレットなので、その詳細については明かされていない部分が多い。したがって、長年のフェラーリ取材歴に基づく筆者の推測も多分に含まれてはしまうものの、セレクトした3台のムレットを紹介しよう。

●プロトティーポM1(エンツォ・フェラーリ試作車):2000年

 2002年にデビューした、フェラーリ第4のスペチアーレ「エンツォ・フェラーリ」の開発およびロードテストのために製作された「ムレット」は、2000年9月下旬から11月下旬にかけて「M1」と「M2」、そして「M3」の3台が製作されたといわれている。

 その目的は、完全な新設計とされたF140系V型12気筒エンジンと、大パワーに対応した6速シーケンシャルMT「F1マティック」の組み合わせを実走テストするためといわれている。

 フェラーリ360モデナがデビューしていたこの時代、すでに型落ちとなっていた348シリーズのモノコックを流用。ただし、348用V8エンジンより格段に長いV12エンジンを縦置きするレイアウトのため、ホイールベースとボディ後半部は大幅に延長されている。

 同じく348用のボディパネルを「切り張り」して、一応はテスト走行が可能なプロトティーポに仕立てたものといえるだろう。テールエンドには、355用の「チャレンジグリル」と4灯テールランプが用いられている。

 このプロトティーポM1は、ムレットとしてのミッションを終えたのちもフェラーリ社内に残され、時おり「ムゼオ・フェラーリ」などで展示されることもあったようだ。

 一方、ほぼ同型のM3は比較的早い時期に放出が決定され、ナンバー登録やメディア露出などをしないことを条件に譲渡されたという。

 ところが2010年代になってオークションに出品され、当時は世界中の自動車メディアに取り上げられることになった。

■本来は表に出てこないフェラーリ実験車両車は、レア度高し!

 車名の「プロジェット(Progetto)」とは、イタリア語でプロジェクトのこと。

 一見したところでは、生産型の「360スパイダー」にハードトップを装着したスペシャルモデルのようにも映るが、その実体は「デュアルフレーム」の名が示すように、二重構造のフレームを持つムレットであった。

●プロジェット・デュアルフレーム:製作年不詳

プロジェット・デュアルフレーム(写真はムゼオ・フェラーリで撮影したもの)撮影:嵯峨赳夫プロジェット・デュアルフレーム(写真はムゼオ・フェラーリで撮影したもの)撮影:嵯峨赳夫

 展示車両後方の解説ボードを読んでみたら、車体をなすフレームとは別に、コックピットをもうひとつのフレームとして形成するというコンセプトのもと、「360モデナ」用をベースとするアルミモノコックに、ラバーマウントを介してF50のキャビンを組み合わせたものとのことであった。

 これは、カーボンファイバー製モノコックにエンジンを直留めしてしまったことで、市販ストラダーレ(ロードカー)ながら強烈な騒音と振動に悩まされることになったF50の教訓を生かした、壮大な実験だったとも推測されるだろう。

 ところが、重量やサイズが嵩むわりには効果もあまりなかったそうで、このデュアルフレーム構想は、早々にしてキャンセルとなってしまったようだ。

●プロジェットF150:製作年不詳

ラ・フェラーリの開発初期段階で製作されたと推測されるプロジェットF150ラ・フェラーリの開発初期段階で製作されたと推測されるプロジェットF150

 フェラーリでいうところの「F150」にはふたつの意味がある。

 ひとつは、発表された直後にフォードのピックアップトラックとネーミングが被ることから「150°Italia」と改称された2011年シーズン用のF1マシンのオリジナル名。

 そして「エンツォ・フェラーリ」後継車として、2013年にデビューした市販スペチアーレ「ラ・フェラーリ」の開発コードネームである。

 こちらのF150は後者。ボードに記された「Progetto F150」の名から判断すると、ラ・フェラーリの開発初期段階で製作されたと推測されるムレットなのだが、明らかに「458イタリア」のボディを流用したと思われる車体には、V12エンジンを収めるスペースは無いように見えるなど、いささか謎の多い1台であった。

 のちに良く似た形状の偽装ノーズに、生産型ラ・フェラーリに近い意匠のボディ後半部を組み合わせた、進化型ともいうべきF150ムレットも製作されたが、こちらにはエンツォやラ・フェラーリと同じく、V12エンジンが搭載されていたことが明かされている。

 ちなみにこの時の「アウト・エ・モト・デポカ」では、フェラーリ599をベースに当時のF1由来のハイブリッドシステム「KERS」を組み込んだムレットで、2010年のジュネーヴ・ショーで発表された「599 HY-KERS」も同じ特設ステージに展示されていた。

 この2台のムレットによる実験成果を合わせて、ラ・フェラーリが完成に至ったといえるかもしれない。

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