富士スピードウェイは米国志向のサーキットになるはずだった!? 国内レース黎明期の裏話とは
くるまのニュース / 2020年7月10日 17時10分
静岡県にあるサーキット「富士スピードウェイ」はF1開催経験もある国際的なサーキットですが、元々はアメリカ志向の強いサーキットになる予定でした。その名残はサーキットの名前にも隠されているというのですが、いったいどのような経緯があったのでしょうか。
■富士スピードウェイ 幻のコースレイアウトとは
「これが、富士スピードウェイの完成予想図です。ほら、ここ(デイトナ)とまったく同じ感じでしょ。なぜって、姉妹コースなんですから」。
いま(2020年)から26年前の1994年、筆者(桃田健史)はアメリカ南東部フロリダ州デイトナビーチのNASCAR(ナスカー)本部で、貴重な資料を目の当たりにしました。
NASCARはアメリカでインディカーやドラッグレースを凌ぐ人気を誇る、同国最大級のモータースポーツ。1994年といえば、NASCAR人気が急上昇し始めた頃です。
その後に鈴鹿やツインリンクもてぎで実現することになる、NASCARジャパン開催を計画し始めた頃でもありました。
筆者は当時NASCARとの関わりが深まり、トップチームの多くが本拠地とする米東部のノースカロライナ州シャーロットに住んでいました。NASCAR本部にはドライバーとして、また当時連載企画があった自動車レース雑誌の取材などで頻繁に訪れていました。
そうした折、1960年代初頭に描かれた、富士スピードウェイの完成予想図に出会ったのです。
その姿はまさに、NASCAR本部が隣接するデイトナ・インターナショナル・スピードウェイと同じ、1周2.5マイル(約4km)のD型オーバル(楕円)コースでした。
D型オーバルは、メインストレート(レーススタート地点がある側)部分が、ターン1からターン2、そしてターン3からターン4(最終コーナー)と同じく、路面が大きく傾斜するバンク角がある一方、バックストレートにバンク角がなく、上空からコース全体を見ると、アルファベットのDの文字に見えるのです。
1960年代当時を知るNASCAR本部関係者は1994年時点で、ジャパンNASCARという企業と契約し代表者はドン・ニコルズ氏だったと話しました。
ニコルズ氏は1960年代の日本自動車レース創世記に、海外からのレース車両輸入などを手掛けたことで知られる人物で、業界の通称は“ドンニコ”でした。
■なぜ数回にわたりコースレイアウトを変更? 「スピードウェイ」表記の訳とは
デイトナで貴重な資料を見た数か月後、東京で富士スピードウェイ計画の全体像を知る、日本自動車レース界の重鎮らに、富士スピードウェイに関する「事の真相」を聞く機会が何度かありました。
そのなかにはすでにお亡くなりになっている方もおられ、関係者の皆さんへご迷惑にならないよう配慮した上で、これからの先の話を進めます。
ネット上には、関連する各種情報がありますが、あくまでも筆者が当時の関係者らから直接聞き取りした情報のなかからご紹介します。
1960年代の日本での自動車レース創世記は、現在よりもアメリカ志向が強くありました。
そのなかで、ニコルズ氏は、量産車ベースとして1940年代後半に始まり、1959年にデイトナという大型レース施設を完成したNASCARに注目し、日本における興行を持ち掛けます。
ジャパンナスカー(日本ナスカー)という企業も登記して、デイトナ姉妹コース建設の話もNASCARから取り付けました。
また、日本でのNASCARシリーズ開催や、日本人ドライバーの本場NASCARへの招聘なども話し合われています。(それらの一部は、別の事案として継承され、1960年代から1970年代に実施)。
そのうえで、富士スピードウェイの建設予定地としたのが、静岡県修善寺の郊外。現在、日本サイクルスポーツセンターがある辺りだといいます。
ところが、資金面などからその話が頓挫します。その後、この話は、近年の閣僚経験者の親族にあたる、当時の超大物政治家らの影響もあり、現在の場所である富士山麓での建設が決まります。
その際、課題となったのが、コースレイアウトです。建設予定地は高低差が大きな地形であることや、当時の道路建設の技術そのものにおける問題。
また、1962年に開業した三重県の鈴鹿サーキットが好調な集客をしており、オーバルよりも欧州型のテクニカルなコースの方が観客を魅了するのではないか、との議論にもなり、最終的には4kmオーバルコースを基にロードコースへと設計図が変更されました。
1966年、全長が鈴鹿サーキットに近い1周約6kmのレイアウトとして開業。オーバルの名残りは、実質的な第1コーナーである30度バンク。また最終コーナーもバンク角度が浅いオーバルのイメージがありました。
となると、はっきり分かるのは、現在も使用されているメインストレートは、D型オーバルコースのバックストレート部分で、イメージではそこを逆走していることになります。
6kmレイアウトでのレースは、1974年の富士グランチャンピオンレース(富士GC)のレース中に有名レーサーの死亡事故があったことをきっかけに、その後の使用は休止。
現在のコースの原型で、開業当時から一部レースで使用していた逆回り(左回り)となる4km強のコースを、現在の右回りのみで使用し始めることになりました。
筆者が富士スピードウェイに通い始めたのは、1970年代中盤以降ですが、当時北ゲートと呼ばれていたヘアピンの下側のエリアがとても広いことに、ある種の違和感を持っていました。
オーバルコースとしてのメインストレートとメインスタンドを想定していたため、広い敷地が確保されていたのだと、1994年に当初の完成予想図を見た際に気付きます。
2019/2020年WEC世界耐久選手権第2戦で富士スピードウェイを走るトヨタ「TS050」
結局、トヨタに買収され2005年に大規模に改修された際、当初のオーバルコースメインスタンドが計画されていた旧北ゲート側が新設メインゲートとなりました。
もう気づいている人もいるかと思いますが、なぜ富士サーキットではなく、富士スピードウェイなのか。
スピードウェイとは、デイトナのように、アメリカでオーバルコースを意味します。ロードコースは、レースウェイと表記するのがアメリカでは一般的です。
コースレイアウトを変えても、スピードウェイと名乗った富士。先行して開業していた鈴鹿サーキットへの、強い対抗意識の表れだったのかもしれません。
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