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世界が認めた高品質な車たち!? 海外進出のきっかけとなった昭和の国産車3選

くるまのニュース / 2020年8月18日 16時10分

現在、日本車はグローバルで展開されており、世界中に生産工場を有しています。本格的に海外進出が始まったのは1960年代の終わりごろからで、次第に日本車の性能や品質の高さ、価格の安さが認められてシェアを拡大し、現在に至ります。そこで、世界に認められるようになった頃の国産車を3車種ピックアップして紹介します。

■高機能、高性能、低価格によって海外で認められた日本車たち

 現在、日本車は世界中で販売されています。さらに1980年代からは、海外での生産を積極的におこなうことで、それぞれの土地のニーズ合った車種を提供することに成功しています。

 こうした海外進出が本格的に始まったのは1960年代の終わり頃で、それまで「安かろう悪かろう」と酷評されてきた日本車が、次第に世界で認められるようになりました。

 そこで、海外進出の大きな飛躍となったモデル3車種をピックアップして紹介します。

●ダットサン「510」

日産がアメリカのみならず世界進出へきっかけとなっら「510(ブルーバード)」日産がアメリカのみならず世界進出へきっかけとなっら「510(ブルーバード)」

 1967年に日産が発売した3代目ダットサン「ブルーバード」は、2代目までの小型車から中型車へと移行し、ボディサイズの拡大が図られました。

 デザインはエッジの効いた直線的なラインで構成されるシャープなイメージで、日産はブルーバードのフォルムを「スーパーソニックライン」と名付けています。

 シャシとともにエンジンも2代目から一新され、最新の1.3リッターと1.6リッター直列4気筒SOHCエンジンを搭載。後に1.4リッター、1.8リッターと、排気量が拡大されました。

 3代目ブルーバードで特筆すべきは、スポーツグレード以外にもセミトレーリングアーム式リアサスペンションの4輪独立懸架を採用した点です。

 しなやかな乗り心地を実現しながら、優れた路面追従性を両立し、基本性能の高さから、ラリーなどのモータースポーツでも活躍します。

 そして、国内と同時期の1967年にアメリカでの販売が開始され、ダットサン「510」の車名で、2ドアセダン、4ドアセダン、5ドアステーションワゴンのバリエーションを展開。

 510は欧州車のようなスペックながら低価格の魅力的なクルマとして受け入れられ、北米市場で大ヒットを記録しました。

 そして、それまでの日本車の評価は安いだけの存在でしたが、510は性能とサービス体制が高く評価され、日産は世界的な販売拡大への道を築きます。

 さらに続いてアメリカで発売されたダットサン「240Z(フェアレディZ)」の成功により、日本車の評価は盤石なものとなりました。

●ホンダ「シビック」

クリーンな排出ガスと低燃費で大ヒットを記録した「シビック CVCC」クリーンな排出ガスと低燃費で大ヒットを記録した「シビック CVCC」

 1972年にホンダは、新世代のコンパクトカーとして初代「シビック」を発売しました。

駆動方式はFFを採用し、ボディの四隅にタイヤを配置して広い室内空間を実現。軽量なボディによる優れた走りと低燃費により、大ヒットを記録します。

 そして、日米で排出ガス規制の強化が進むなか、1973年にホンダが開発したCVCCエンジンは、パスすることが不可能とまでいわれていたアメリカの排出ガス規制、通称「マスキー法」の規制値を世界で最初にクリアすることに成功しました。

 当時は、排出ガスの浄化には複雑なシステムが必須といわれていましたが、CVCCエンジンはエンジン本体の改良だけでそれを成し遂げたのです。

 こうしてCVCCエンジンを搭載したシビックは、1974年にアメリカへ輸出されると、燃費がよくクリーンなクルマとしてヒットします。

 そして1973年、シビックはアメリカに輸出されていましたが、アメリカのビッグ3がつくる巨大なボディと大排気量のクルマとは対極にあったため、当初は人気が出ませんでした。

 しかし、第1次オイルショックが起きたことにより、低燃費車への関心が高まり、シビックのヒットにつながったのです。

 当時はオートバイメーカーとして有名だったホンダが、自動車メーカーとして認められたのは、シビックの存在があったからで、その後のホンダの本格的な北米進出の足がかりとなりなりました。

 そして、ホンダは他メーカーに先駆けて、1982年からアメリカ工場で「アコード」の生産を開始。現在も北米市場ではアコード、シビック、「CR-V」が高い人気を誇っています。

■タフなクルマがトヨタ世界進出の原点!?

●トヨタ「40系ランドクルーザー」

海外進出が始まった頃のトヨタを支えた存在だった「40系ランドクルーザー」海外進出が始まった頃のトヨタを支えた存在だった「40系ランドクルーザー」

 長い歴史を持つトヨタ「ランドクルーザー」シリーズは、現在も世界中で高い評価を受けている本格的なクロスカントリー4WD車です。

 ランドクルーザーには大きく分けて「ヘビーデューティ」、「ライトデューティ」、「ステーションワゴン」の3タイプが存在しますが、なかでも1960年から1984年まで生産された「40系ランドクルーザー」は、ヘビーデューティタイプの代表的な存在として人気がありました。

 クラシカルな外観と高い悪路走破性能から、現在も愛好家から「ヨンマル」と呼ばれて愛されています。

 発売当初の40系ランドクルーザーはガソリンエンジン車のみで、ショートボディに幌型の「FJ40」と、ミドルボディに幌型の「FJ43」、4ドアロングボディにメタルトップの「FJ45V」をラインナップ。

 ボディ構造はトラックと同様で、ハシゴ型フレームにボディを架装しており、高い強度を誇っています。

 外観では大きく張り出した左右のサイクルフェンダーが特徴的で、本格的なクロスカントリー4WD車では定番となっていたデザインにより、ランドクルーザーの車名が浸透する前は「トヨタのジープ」と呼ばれていたほどです。

 日本での発売と同時期にはアメリカに輸出されると、当時、トヨタでもっとも売れた車種として大ヒットを記録。

 1957年にトヨタは初代「トヨペット クラウン」をアメリカで発売しましたが、品質や性能に問題があり、1960年には輸出を停止。40系ランドクルーザーがこの危機を救い、トヨタの世界進出への足がかりとなりました。

※ ※ ※

 1960年代に日本車は本格的な世界進出を果たし、1980年代には北米市場を席巻。家電製品とともに、貿易摩擦の象徴的存在でした。

 その後、海外生産を開始することで貿易摩擦は下火になりましたが、前出のランドクルーザーシリーズは、日本での生産にこだわったモデルです。

 2018年の実績では、ランドクルーザーシリーズは約170の国と地域で販売されていますが、その97%は日本製です。残りの3%はポルトガルとケニアで生産されていますが、セミノックダウン生産で、部品は日本から輸出されています。

 世界中の過酷な環境で使われているランドクルーザーは、その高い品質と信頼性を維持するために、メイドインジャパンとなっている稀有な例です。

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