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バブル時代のAMGは、なぜエンブレムが真っ黒? コワモテだった理由を探る

くるまのニュース / 2020年9月3日 11時50分

現在ではメルセデス・ベンツの高性能モデルであるメルセデスAMG。しかし、創業当時は一介のプライベートチューナーであった。そのAMGがバブル時代に作っていたコンプリートカーは、スリーポインテッドスターをブラックアウトしていたが、その理由はなんだろうか。

■もとはただのプライベートチューナーだったAMG

 メルセデス・ベンツのハイパフォーマンスモデルを展開する「AMG」。

 BMWにおける「M」モデルや、アウディの「S」モデルのように、エンジンの大排気量化やチューニングによるパワーアップはもちろん、サスペンションやブレーキ、ボディ剛性面まで、トータルでのカスタマイズを施すことで、ベースモデルに対してより高いレベルで走ることを楽しめるクルマ作りをおこなっている。

 そんなAMGモデルだが、1980年代までは、スリーポインテッドスターやエンブレムがブラックとなっていた。現行モデルは、通常のメルセデス・ベンツと同じシルバーのスリーポインテッドスターであり、エンブレムが奢られている。

 ではなぜ、バブルの時期のAMGはブラックエンブレムを採用していたのだろうか。

 AMGが創業したのは1967年。創業者は、ダイムラー・ベンツ社でレース用エンジン開発をおこなっていた、ハンス・ヴェルナー・アウフレヒト氏とエアハルト・メルヒャー氏。両氏の頭文字と、アウフレヒト氏の故郷、シュツットガルト北部にある、グロースアスバッハの頭文字から、AMGという社名になった。

 その後、1971年のスパ・フランコルシャン24時間レースでの優勝や、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)での活躍、そしてF1に参戦するなど、その名は世界中に轟き、「AMGが手掛けるクルマは速い」というイメージが完全に根付いている。

 しかし、創業時はメルセデスとは特別な関係はなく、スパ24時間レースで優勝したときのマシンであるタテ目のベンツ「300 SEL」をベースとした「300 SEL 6.8 AMG」は、あくまでもプライベート参戦だった。そこには創業両氏が、ダイムラーベンツ社を退職した理由が関わってくる。

 当時のメルセデス・ベンツは、1955年のル・マン24時間レースでの大事故以来、ワークスとしてのレース参戦を取りやめていた。ただし、ワークスとしての活動は休止していたが、プライベート参戦しているユーザーのためのサポートは継続しておこなっており、創業両氏はそれらユーザーのための仕事をおこなっていたのである。

 だが、念願かなってダイムラー・ベンツ社で主にエンジンを担当することができたアウフレヒト氏であったが、ワークス活動を再開しないことに不満を感じていた。そこで、アウフレヒト氏は独立の道を選び、AMGを立ち上げるのである。当初は、彼の兄と同僚のメルヒャー氏の3人のみであった。

 そして手掛けた300 SEL 6.8がスパ24時間で結果を出したことから、多くのユーザーがマシン製作を依頼するようになる。そこからAMGは、エンジンだけではなくサスペンションやブレーキ、ボディワークといった分野にも手を広げていき、1980年代にはコンプリートカー販売も開始するようになった。

■どうして初期のAMGはクロームパーツをブラックアウトしたのか?

 創業当初のAMGは、あくまでもプライベートチューナーという立場であった。分かりやすく乱暴ないいかたをするなら、街のチューニング屋のオヤジがコンプリートカーを売っている、というのに近かった。

ボディ外装のクロームパーツをブラックアウトしたAMGは、見るからにコワモテだった(C)2020 Courtesy of RM Sotheby'sボディ外装のクロームパーツをブラックアウトしたAMGは、見るからにコワモテだった(C)2020 Courtesy of RM Sotheby's

 そこで黒いエンブレムの話に戻ろう。

 スリーポインテッドスターをブラック・アウトした理由のひとつには、メルセデス・ベンツのクルマをベースとしているが、しかしメルセデス・ベンツではなくAMGである、というプライドもあっただろう。

 そして、メルセデス・ベンツという完成されたクルマではなく、一介のプライベートチューナーが作っているのだから、スリーポインテッドスターやエンブレムは、ブラックアウトするのが礼儀である、という謙譲の想いもあったと思われる。

 おそらくどちらの想いもあったはずだ。初期のAMGがエンブレムを黒く塗りつぶしていた理由は、このふたつが挙げられるだろう。

 また、エンブレムだけでなくクロームパーツすべてをブラックアウトし、前後にオリジナルのスポイラーを装着、高速巡航用にセッティングしたサスペンションはローダウン効果もあり、クルマの塊感が増したスタイルは一世を風靡し、AMGの世界観を確立するに至った。

 その後、1980年代後半から、正式にメルセデス・ベンツへの部品供給が始まり、1993年にはパートナーとして共同開発した初のモデル、「C36」をリリース。そして1999年にはメルセデス・ベンツの一部門となっている。

 ベテランドライバーのなかには、「AMGのコンプリートカーはド派手な、下品なエアロパーツが付いていたな」と遠い目で(特にバブル時代の)記憶を探っている人もいるだろう。そのころのAMGはまだ、プライベートチューナーだった時代だ。

 この時代には、ほかにも、「デボネアAMG」とか「ギャランAMG」というクルマもあった。それもまだ、プライベートチューナーだったときに、三菱自動車と業務提携をし、共同開発をおこなったものである。

 デボネアAMGはエアロパーツやインテリアの変更にとどまっていたが、ギャランAMGは自然吸気の4G63型2リッター4気筒エンジンをベースに、中空構造のカムシャフトや冷間鍛造方式で製造されたチタン製リテーナーの採用、バルブステムのスリム化とポート径の拡大による吸排気効率アップ、触媒の抵抗低減など、AMGのテクノロジーが活かされた、専用エンジンを搭載。

 21世紀となって20年が経ついま、ブラックエンブレム時代のAMGは、クラシックカーといっていいものとなっている。しかしそのころのAMGには、メルセデス・ベンツに組み込まれたいまとは違う、よくいえば野性味、悪くいうと粗削りな魅力が、確実にあったのは紛れもない事実である。

 こうしたこともあり、2020年8月に開催されたRMサザビーズ社のオンライン限定オークションでは、1989年式メルセデス・ベンツ「560 SEC AMG 5.6 ワイドボディ」が、エスティメートを上回る約2700万円で落札されたほどだ。

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