若者の愛車は「3ドア」が定番! かつて人気のハッチバック5選
くるまのニュース / 2020年11月8日 6時10分
いまでこそ、「ハッチバック」といえば5ドアが主流になっていますが、1990年代後半までは3ドアが主流で、さまざまな車種が登場し人気を博していました。そこで今回は、1980年代から1990年代に人気だった3ドアハッチバック車を5台ピックアップして紹介します。
■当時の若者がこぞって乗った3ドアハッチバック
昨今は、クーペのような流麗なボディのSUVが最新トレンドになっており、若い人にも人気です。
一方、1980年代から1990年代は今ほど車種やジャンルが多くなく、大人が乗る「セダン」、若者が乗る「ハッチバック」が定番でした。
今回は、そんな3ドアハッチバック全盛時代に人気を博したモデルを5台ピックアップして紹介します。
●ホンダ「シビック」
1980年代後半から1990年代初頭のバブル期は空前のF1ブームで、伝説的ドライバー、アイルトン・セナとホンダエンジンのタッグによる大活躍もあり、ホンダ車自体の人気も高まりました。
当時のホンダのラインナップで、大ヒットしたのが4代目「シビック(通称:グランドシビック)」です。
もともとは、1972年に2ドアの2BOXスタイルでデビューした初代シビックですが、1973年の「第一次オイルショック」や当時としては厳しい排ガス規制「マスキー法」に適応させた新技術「CVCC」を搭載したエンジンを積んだモデルとして、日本だけでなく世界中で大ヒット。
1979年には2代目へとフルモデルチェンジし、3ドアハッチバックを中心としたラインナップに変更されます。
1983年には3代目(通称:ワンダーシビック)へと進化。現在のホンダにも通じる「マン・マキシマム・メカ・ミニマム」という設計理念で実用性を高め、3ドアハッチバックのほかに4ドアセダンや5ドアハッチバックの「シャトル」なども誕生しました。
バブル前夜ともいえる好景気の波に乗って1987年に誕生したのが4代目(通称:グランドシビック)です。ラインナップは、3代目と同じく3ドア、4ドア、5ドアでした。
ちょうどホンダがF1で結果を出しはじめた時期と重なり、若々しくスポーティなイメージが強まったところに、全長3965mm×全幅1690mm×全高1335mmのコンパクトで低いスタイリッシュなデザインで登場。とくに若者たちからの人気を獲得しました。
1989年のマイナーチェンジでは、高回転型でハイパワー(160馬力)を発揮する1.6リッターVTECエンジンを搭載した「SiR」も追加され、さらにスポーティなイメージへと進化。
適切なサイズの4代目シビックは3ドアハッチバックながら人気を集め、当時の若者の「デートカー」としてもてはやされました。
●トヨタ「スターレット」
現在のトヨタのエントリーモデルといえば「ヤリス」や「パッソ」ですが、長らくボトムを支えたコンパクトカーといえば「スターレット」でした。
スターレットの歴史は古く、1973年に当時のコンパクトカー「パブリカ」のスポーティな上級グレードとして「パブリカ・スターレット」の名前で、2ドアと4ドアセダンのスタイルでデビューしました。
1978年にはプラットフォームを一新した2代目が登場。当時のライバルである日産「サニー」やホンダ「シビック」がFFを採用するなか、FRを採用していたのも特徴でした。この頃からスタイルはハッチバックに変化していきます。
1984年には3代目へと進化し、ライバルと同じエンジン横置きのFFを採用。さらに1989年に登場した4代目は、性能が大幅にアップしました。
1996年に誕生した5代目はスポーティな外観が特徴で、5ドアハッチバックもありましたが、3ドアハッチバックが主体でした。
ボディサイズは全長3740mm×全幅1625mm×全高1400mmとなったスターレットは、エアバッグやABSも標準装備(1997年)され、当時のこのクラスのクルマとしては高い安全性もセールスポイントでした。
そんななか、クルマ好きから熱い視線を注がれたのは1.3リッターターボエンジンを搭載した「グランツァV」というグレード。
ボンネット中央にエアインテークを配置し、スポーティさに磨きをかけていました。
当時お金がなくてもクルマに乗りたかった世代にとって、「スターレット」は手の届く身近な3ドアハッチバックだったのです。
●日産「パルサー」
現在の日産には、「マーチ」というエントリーモデルがありますが、それ以前は1978年に登場した「パルサー」が日産のハッチバック・ラインナップをけん引していました。
1974年に発売されたFFエントリーカー「チェリーF-II」の後継モデルとして誕生したパルサーは、デビュー当時は4ドアセダンのみでしたが、翌1978年に3ドア/5ドアハッチバックの派生モデルが登場します。
1982年にはフルモデルチェンジしたパルサーは、3ドア/5ドアハッチバックのほかに、2ドアノッチバッククーペの「エクサ」というラインナップに変更。
1986年には3代目へとフルモデルチェンジし、2代目では消滅していた4ドアセダンがまたラインアップに復帰するとともに、販売チャンネル戦略により「ラングレー」や「リベルタビラ」「エクサ」など多くの名前と派生モデルが誕生しています。
クルマ好きにとって忘れられないのが、1990年に誕生した4代目でしょう。3代目で増えすぎた車種を整理して再びパルサーに統一しましたが、1.3リッターから1.7リッターディーゼルまで6種類のエンジンを搭載。
ボディは3ドアハッチバック、4ドアセダン、5ドアセダン(実際はハッチバック)となっており、11種類ものグレードを展開していました。
そのなかでも話題を集めたのが過激なスポーツモデル「GTI-R」です。
折しも当時の日産には「スカイラインGT-R(R32型)」があり、レースでも連勝中。さらに世界ラリー選手権(WRC)への参戦をGTI-Rで果たすため、GT-Rに通じる230馬力を誇る2リッターターボエンジンとフルタム4WDシステム「アテーサ」の組み合わせを実現。
「3ドアハッチバック界のGT-R」として、多くの若者たちから熱い視線を注がれました。
その後1995年には5代目へフルモデルチェンジ。3ドアハッチバックには新たに「パルサーセリエ」という名称が与えられましたが、GTI-Rのような過激な性能のターボモデルは存在せず、徐々に以前のおとなしいパルサーへと逆戻りしてしまいました。
■ 安くてシンプルでも十分だった3ドアハッチバック
●マツダ「ファミリア」
1970年代から2000年代の若者にとって、クルマを所有することはステータスでした。お金はないが夢はある若者にとって、1980年代から1990年代前半で憧れたクルマの1台がVW「ゴルフII」です。
しかし当時の輸入車は高値の花。そんななかでサイズ感や雰囲気などが似ていることから、国産車として人気だったのがマツダ「ファミリア」(5代目)でした。
第1回 日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したマツダ5代目「ファミリア」
マツダ初の小型乗用車として1963年に誕生したファミリアですが、デザインはイタリアの名門であるベルトーネに任され、2ドア/4ドアセダンをメインに、3ドアライトバンとステーションワゴン、2ドアピックアップトラックというラインナップで、エンジンは0.8リッターと1リッターを搭載。
1967年に初のフルモデルチェンジで2代目へと移行しましたが、4ドアセダン/2ドアクーペがメインで、2ドアピックアップトラックもまだありました。
1973年には3代目へとフルモデルチェンジ。パワーはダウンしたものの排出ガス規制をクリアした1.3リッターエンジンを搭載していました。
1977年には、欧州での小型車を参考にした2BOXスタイルのハッチバックを採用した4代目へとモデルチェンジ。当時はまだFFの技術は難しく、オーソドックスなFRを採用していました。
そして1980年、オイルショックから立ち直った日本の市場に、輸入車や海外の遊びが続々と上陸します。また、生活も豊かになり、ドライブデートを楽しむ若者が増加していました。
そんななか、3ドア/5ドアハッチバックを中心としたラインナップの5代目へと進化したファミリアは、欧州小型車と同じFF方式&2BOXスタイルで、大ヒットモデルとなります。
ボディサイズは全長3995mm×全幅1630mm×全高1375mmで、1.3リッター/1.5リッターターボエンジンを搭載していました。
なかでも3ドアのハッチバックにキャリアを装着し、サーフボードを載せるのが大流行。実際はサーフィンをしない人が多かったため「陸(おか)サーファー」なる流行語も生み出すほど人気で、第1回「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しています。
1985年には、キープコンセプトで6代目へと移行しますが、バブル期前夜の好景気の波に乗り、3ドア/5ドアハッチバックだけでなく4ドアセダンに加えカブリオレまでバリエーションを拡張。
1.6リッターターボエンジンや国産乗用車初となるフルタイム4WDなど先進技術を搭載するなど、バリエーションも充実していました。
その後1989年には7代目へ、1994年には8代目へと進化を続けますが、1998年の9代目でファミリアシリーズは4ドアセダンと5ドアステーションワゴンのみとなり、ハッチバックが終了。その役目を「アクセラ」へ譲りました。
●スズキ「アルト」
現在の軽自動車の礎を作り、スズキの主力車種として長い歴史を誇るのが「アルト」です。
このアルトの長い歴史は1979年にスタート。それまでスズキの軽乗用車の主力モデル「フロンテ」の後継車として登場しました。
当時の軽自動車には15%超の物品税が課されていましたが、「軽ボンネットバン(商用車)」が非課税になることに着目したスズキは、アルトを商用車として登録することを前提に開発します。
徹底したコストダウンと既存パーツの流用で、当時としても驚きの47万円(軽のライバル車の平均が60万円前後)の新車価格を実現したことでも話題になり、実際は乗用として大ヒットしました。
初代の大ヒットを受けて、1984年に2代目にモデルチェンジ。軽自動車で画期的な4WDモデルも追加されるなど、幅広い層でさらに支持を集めました。
またこのモデルをベースに、3気筒DOHCターボという、このクラスとしては最強のエンジンを搭載した独立車種として「アルトワークス」が1987年に誕生。
あまりのハイパワーぶりに、軽自動車の自主規制枠(64馬力)が誕生するきっかけになったといわれています。
1988年になると、当時の軽自動車としては最長のホイールベースとした、3代目へとフルモデルチェンジ。
3ドア/5ドアハッチバックのみならず、両側をスライドドア化した「スライドスリム」というモデルや、荷台を全高1600mmまで拡大した「ハッスル」を乗用/商用として設定しました。
その後、1994年に4代目、1998年に5代目、2004年に6代目、2009年に7代目と時代とともに進化を続け、2014年に現行型となる8代目へモデルチェンジしています。
また、アルトワークスは1999年の5代目ベースモデルを最後に生産が中止されていましたが、この8代目をベースに15年ぶりに復活しました。
現在では5ドアハッチバックがメインのアルトですが、3代目までは3ドアがメインであり、いい意味でシンプルな作りがいかにも軽自動車でありました。
お金はないけどクルマに乗りたい若者にとっては、軽くて小さくて安いアルトは普段使いできる相棒だったのです。
※ ※ ※
多人数乗車は念頭になく、あくまでパーソナルな乗り物として人気だった3ドアハッチバックは、その構造ゆえに使い勝手が良いとはいえませんでした。
しかしその反面コスト的には有利で、当時のクルマ好きの若者にとって実際に手が届く価格のリアルな愛車として、3ドアハッチバックは人気を博したのです。
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