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まるでバットマンカー!「B.A.T.」シリーズのベースとなったアルファ ロメオ「1900」とは?

くるまのニュース / 2020年11月9日 11時50分

アルファ ロメオ生誕110周年の2020年は、アルファ ロメオが第二次世界大戦後に量産車を生産するようになった転換のクルマ「1900」が誕生して70周年という節目である。現在のアルファ ロメオを語る上で外すことのできない「1900」の誕生ストーリーと派生車種について解説しよう。

■高級車メーカーから量産モデルメーカーへの転換となったクルマ

 2020年は、自動車界における「アニバーサリーイヤー(記念の年)」の当たり年。自動車史上に冠たる名作たちが、記念すべき節目の年を迎えることになった。

 1950年にデビューしたアルファ ロメオ「1900」シリーズもそのひとつ。アルファ ロメオとしては初めての量産モデルであるとともに、その歴史の転換点となった名作である。

 今回VAGUEではその誕生ストーリーを紐解き、1900にオマージュの想いを捧げたい。

●戦後アルファ ロメオの先駆け

1950年の「1900」(左)と1954年の「1900 スーパースプリント」(右)1950年の「1900」(左)と1954年の「1900 スーパースプリント」(右)

 1930年代の後半まで、華やかなりし「ベルエポック」を謳歌していたヨーロッパ文化にとって、ドイツ軍のポーランド侵攻によって火蓋を切られた第二次世界大戦は、まさに悪夢にも等しい出来事だったといわねばなるまい。

 それは自動車メーカー、とりわけ高級車メーカーにとっても同じこと。フランスの「ブガッティ」や「ドラージュ」など、多くの名門ブランドたちが戦争を契機に終幕を余儀なくされてしまった。

 そして、戦争とその後のインフレーションによる経済後退は、イタリアを代表する名門アルファ ロメオにも、まるで毒牙のごとく襲い掛かった。アルファ ロメオは、戦後の経営を受け継いだ首脳陣による勇気ある選択の甲斐あって消滅の危機こそ免れたものの、企業方針については抜本的に変える決断を迫られたのだ。

 アルファ ロメオは戦時中、軍需工場として航空機エンジンの生産に携わっていたゆえに連合軍から、そして1943年に連合軍に無条件降伏した以降はドイツ軍からの大爆撃によって壊滅的な被害を受けたが、彼らは大戦が終結した直後の1946年から、文字通り廃墟となったポルテッロ工場を再建する傍らで、戦前にデビューした「6C2500」シリーズに大小の改良を施して細々と生産再開していた。

 とはいえ、衰弱しきっていたこの時代のヨーロッパ市場では、6C2500のような超高級ツーリングカー/スポーツカーの介在する余地などないことは、誰よりもアルファ ロメオ自身が理解していたのであろう。

 果たして1950年に登場した「1900」は、1920年代のヴィンテージ期に製作された「ティーポRM」を最後に、永らく多気筒の超高級スポーツカー/ツーリングカーしか作ってこなかったアルファ ロメオにとっては、実に四半世紀ぶりの4気筒モデルとなったのだ。

 1900は、アルファ ロメオにとっては初の純戦後設計モデルで、戦後新たにテクニカルマネージャーの座に就いたオラツィオ・サッタ・プリーガ技師やジュゼッペ・ブッソ技師らによって編成された、アルファ ロメオ設計チームが手掛けた量産サルーンである。

 第二次大戦直前まで綿々と守られてきた「超高級スポーツカー/ツーリングカーの少量生産」というアルファ ロメオ社の良き伝統は、1900の登場によってついにピリオドを打たれることになる。戦後のアルファ ロメオはこの1900を転機に、国営企業に相応しい量産車メーカーへとドラスティックな方針転換を図ろうとしていたのである。

 シリンダーの数を3分の2に減らされた上に、6C2500シリーズでは戦前から独立懸架が採用されていたリアサスペンションは、コイルスプリングながら固定軸に戻されてしまうなど、1900はスペックを一見しただけでは戦後の耐乏型とも見受けられがちである。

 しかしそこは名門アルファ ロメオのこと、ヘッドはもちろん伝統のDOHC。ボア×ストローク比もよりスクウェアに近づけられたことから、最大出力は6C2500のスタンダード・モデル「トゥリズモ」の90psとほとんど変わらない80psを発生していた。

 しかも、アルファ ロメオとしては初めての経験となるモノコックボディが採用されるなど、やはり世間一般の実用サルーンたちと比べれば、明らかに血統が違っていたのだ。

 1900は「サーキットで勝ち続けるファミリーセダン」などと呼ばれ、量産モデルながらアルファ ロメオらしい高性能と上質さによって、当時の批評家やメディアから「2000cc級量産サルーンとしては世界随一」なる評価を得ることになる。

 デビュー当初は、1884ccの排気量にシングルキャブレターを組み合わせた80psの「ノルマーレ」のみの体制だったが、翌1951年には圧縮比を高めた専用ヘッドとツインチョークのキャブレターなどで、100psにスープアップされた高性能版「T.I.(トゥリズモ・インテルナツィオナーレ)」が追加されている。

 1953年、1900シリーズはモアパワーと豪華さを求める市場のリクエストに応えて、4気筒DOHCエンジンを1975cc・90psまで拡大。エクステリアについても、ウィンカーレンズの形状変更、クロームモール類やバンパーオーバーライダーの追加などのモディファイを加えた「スーペル(Super)」ことシリーズ2に進化する。

 また、前述の高性能版T.I.は、エンジンパワーを115psまで拡大した「T.I.スーペル」に進化することになった。

 もちろん1900シリーズ2は、シリーズ1と同様に当時の2000cc級サルーンとしては世界最速車の地位を保持していたが、特にT.I.スーペルは当時まだ珍しかった5速トランスミッションを介して、170km/hの最高速度を確実にマークしたという。

■まるでバットマンカーのような「B.A.T.」シリーズとは?

 こうして、量産車メーカーとしてのアルファ ロメオの道筋を創ることに成功した「1900」だが、イタリア自動車界の象徴たる「カロッツェリア」たちとともに築いてきた輝かしい伝統に背を向けたわけではなかった。

●フォーリ・セリエの伝統

フォーリセリエのピニンファリーナ製カブリオレ(右)とカロッツェリア・ボアーノ製クーペ「プリマヴェラ」(左)フォーリセリエのピニンファリーナ製カブリオレ(右)とカロッツェリア・ボアーノ製クーペ「プリマヴェラ」(左)

 1900では、第二次大戦前以来の伝統に則って、標準ボディたるベルリーナのほかに、スタビリメンティ・ファリーナ製のカブリオレや、ボアーノ製のハードトップクーペ「プリマヴェーラ」に代表される、名門カロッツェリアたちの競作による贅沢な特装モデルを正規ディーラーで購入することもできた。

 また、老舗「カスターニャ」や「ボネスキ」など、正規のカタログモデル指定を受けられなかったほかのカロッツェリアたちも、1900ベルリーナ用のフロアパンを利用した「フォーリ・セリエ(Fuori Serie:シリーズ外モデル)」の数々を製作した。

 そして1900ベルリーナのデビュー翌年にあたる1951年には、1900をベースにスポーティなフォーリ・セリエを製作するカロッツェリアのため、ホイールベースを130mm短縮した専用シャシ「1900スプリント」も追加されることになった。

 このスプリントのエンジンは、1900ベルリーナの高性能版「T.I.」に搭載される100psスペックがスタンダードとされていた。

 このスプリントには「トゥーリング・スーペルレッジェーラ」製のハンサムな2座クーペがカタログモデルとして設定されたが、ほかにも「ピニンファリーナ」製クーペや「ヴィニャーレ」製コンバーティブルなども、正式なカタログモデルに準ずるかたちで、メーカー公式カタログに掲載されることになった。

 一方、1900のスポーツ版たるスプリントのスープアップ版として、スーペル/T.I.スーペルと時を同じくしてデビューしたのが「1900スーペルスプリント」、つまり「SS(CSSと呼ばれることもあった)」である。

 エンジンは「T.I.スーペル」と同じ115ps仕様をセレクトし、ゴージャスなクーペやスパイダー・ボディが架装された状態でも、180km/hの最高速度を可能とした高性能車。デビュー以来ライバルと目されていたランチア「アウレリアB20GT」とともに、当時のヨーロッパで最高の2000cc級グラントゥリズモの座を賭けて覇権を争うことになった。

 その傍らでザガートの「1900SSZ」や、カロッツェリア・ギアの「スーペルソニカ」など、1900スプリント系をベースにした魅力溢れるフォーリ・セリエが、まるで百花繚乱のごとく競作されている。

 さらに「ベルトーネ」は鬼才フランコ・スカリオーネを擁して、1953−55年にかけた3年間のトリノ・ショーにて、1900スプリントのシャシを利用した一連のデザインスタディ「B.A.T. (Belrina Aerodinamica Technica:エアロダイナミックス実験車)」シリーズを製作。全世界に衝撃を与えた。

 1900および1900スプリントをベースに製作された、これらのフォーリ・セリエやコンセプトカーたちは、第二次大戦前に花開いたイタリアンカロッツェリアの芸術性と匠の技を戦後の世界(特にアメリカ)にアピールする、いわば「広告塔」の役割をも果たすことになったのである。

* * *

 そしてアルファ ロメオ1900シリーズで忘れてはならないのは、スポーツカーレースのためトゥーリング・スーペルレッジェーラとともに企画・試作した「C52ディスコ・ヴォランテ(1952年)」のベースとなったことである。

 フレームは専用の鋼管スペースフレームを新規開発したが、エンジンなどの機関部は1900CSS用にさらなるハイチューンを施したもの。ただし、2000ccクラスではスポーツカー耐久レースの総合優勝は見込めないと判断され、新たに開発された6気筒3000ccユニットに上方移行を余儀なくされた。

 しかし、このシャシとエンジンはベルトーネが1954年に試作したコンセプトカー「2000スポルティーヴァ」にも使用され、再び日の目を見ることになったのだ。

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