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「覚えていますか?」 昔のナビは不便だった? いまや快適過ぎるクルマの技術とは

くるまのニュース / 2021年1月1日 11時30分

クルマの進化は、ここ30年で大きく進化したといわれています。とくに、安全技術や運転支援技術など、いまやドライバーが手を添えるだけで半自動的に走行可能なモデルまで登場しました。今回は、そんな技術の紆余曲折を紹介していきます。

■「そういえば、あったね!」 国産メーカーが誇る世界初の技術達

「技術は普及してこそ意味がある」といいますが、当時は「えっ?」と思っていた珍装備・珍機能が、今では欠かせない物になっていることも多々あります。
 
 今回はそんなアイテムをいくつかピックアップしてみたいと思います。

 シニアの方には「あぁ、あったよね」という懐かしさ、ヤングの方には「そうだったのね!!」という歴史を感じてください。

「映画/TVの世界のように自動で道を案内してくれる機能が欲しい」、そんな想いを実現するためにさまざまなアイデアが生まれました。

 そのひとつが1979年に登場の日産「シルビア/ガゼール(S110系)」に採用された「ドライブコンピューター」でしょう。

 指定した車速を入力すると遅れ/先行の表示や目的地までの距離をインプットすると到着予定時刻と残りの距離を示すと関数電卓に近い物でした。

 そんななか、1981年にホンダが2代目「アコード」に採用された「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケーター」がカーナビの元祖といわれています。

 その仕組みはガスレートジャイロと方向センサーから得たデータを元にコンピューター(何と16ビット)が計算して画面に表示と、基本の原理は今のカーナビと変わりません。

 ただ、表示方法は時代を感じさせる物です。何と道路地図が印刷されたセルロイドシートをブラウン管に載せ、画面に表示されるポイントと合成して使い、走る場所が変わるたびにシートを差し替えるというアナログなシステムでした。

 地図データを画面に表示という意味では、トヨタ「ソアラ/クラウン」の「エレクトロマルチビジョン」、シーマの「マルチAVシステム」などもありましたが、現在のカーナビと同じようにGPSを用いて自車位置を計測するシステムという意味では、1990年に登場したユーノス「コスモ」に採用の「CCS(カー・コミュニケーション・システム」が世界初です。

 といっても、まだルート案内はできないうえに肝心な精度は今ひとつで、実際は道路上を走っていても地図上では海を走るような珍事もありました。

 ちなみにルート案内が可能になるカーナビは、1991年登場の9代目クラウンに採用された「GPSエレクトロマルチビジョン」。

 今では当たり前の音声案内機能は1992年に登場した初代のセルシオ(後期型)に採用された「GPSボイスナビゲーションシステム」が世界初となります。

 さらに外部と繋がるネットワーク型ナビという意味では、トヨタが1998年に「MONET」、ホンダが「インターナビシステム」、1998年に日産が「コンパスリンク」のサービスを開始しています。

※ ※ ※

 クルマを運転するうえで「天候に左右されずミラーの視界を確保したい」という想いを実現するためにさまざまなアイデが生まれました。

 そのひとつが1979年に登場した日産の初代「レパード」に採用された「ワイパー付フェンダーミラー」でしょう。

 現在のドアミラーと違って鏡面に付着した水滴を簡単に取れないことから生まれたアイデアでしたが、当時のミラーは小さかったこともありワイパー自体が視野範囲を狭めるという禅問答。

 しかし、日産は諦めずに1988年に登場した初代「シーマ」に「ドアミラーワイパー」を設定しています。

 トヨタは別の方法もトライしています。それが1988年に登場の「マークII/チェイサー/クレスタ(X80)」に装着された「サイドウィンドウワイパー(何とウォッシャー連動)」をオプション設定したものの、結果的には世界初にして唯一の装備でした。

 その後、1989年に登場の初代「セルシオ」は超音波で雨滴を霧化させる「超音波雨滴除装置付きドアミラー」を採用。

 ただ、実際の所は水滴がブルブル震えるだけで、併用するドアミラーヒーターの効果が大きかったと聞いています。

 ちなみにマツダはワイパーとは違ったアイデアをトライしていました。

 それが1981年に登場のマツダ「コスモ/ルーチェ(HB系)」に採用された「熱線ヒーター付フェンダーミラー」です。

 現在、多くのクルマに採用されている機能であることからも解るように、これが最適解だったということになります。

 ただ、ここに辿りつくまでに、さまざまな試行錯誤があったことを忘れてはいけません。

■登場するには早すぎた? いすゞ渾身の凄いトランスミッションとは?

「MTとATのいい所取りのトランスミッションが欲しい」、そんな想いから生まれたのがいわゆる自動MTと呼ばれるシステムです。

 その元祖が1984年にいすゞ「アスカ」に採用された「NAVI5」です。

 開発の経緯は色々ありますが、当時ライバルは多段化ATを搭載するなか、旧式の3速ATしか持っていなかったいすゞの社内事情から生まれた技術といわれています。

 各種センサーから情報をコンピューター(何とROM8Kバイト、RAM192バイト)に入力し、ギアチェンジ/クラッチコントロールのタイミングを決定。

 機構としては理想のシステムでしたが、当時の技術では限界があったのも事実です。

 とくにシフトアップ時のトルク切れによるドライバビリティの悪さは、当時いすゞが謳っていた「ベテランドライバーのような走り」とはほど遠く、その評価は決して高い物ではありませんでした。

自動MTの元祖といわれる1984年にいすゞ「アスカ」に採用された「NAVI5」自動MTの元祖といわれる1984年にいすゞ「アスカ」に採用された「NAVI5」

 NAVI5自体は短命で終わりますが、その技術は現在トラック用の「スムーサー」が受け継いでいます。

 その概念は世界の自動車メーカーに大きな影響を与えたのは事実で、その証拠にアルファロメオの「セレスピード」、フェラーリの「F1マチック」などが登場。

 さらに2003年に、フォルクスワーゲンがツインクラッチを採用した「DSG」が登場により自動MTは大きく開花します。

 その一方でATの進化も著しく、近年はMTのようなダイレクト感を備えたシステムも登場するなど、トランスミッションは著しい進化を遂げました。つまり、NAVI5の登場は少々早すぎだったのかもしれません。

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