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「F40」とほぼ同額! なぜ地味フェラーリが1億4200万円もするのか?

くるまのニュース / 2021年2月2日 19時10分

かつて日本のコレクターの元にもあった貴重なフェラーリが、オークションに登場した。14台しか生産されなかったという、分かる人にしか分からない、レアなクラシックフェラーリの世界を紹介しよう。

■ピニンファリーナではない「ボアーノ」とはどんなカロッツェリア?

 アメリカにおいて冬の避寒リゾート地として知られているアリゾナ州スコッツデールでは、毎年1月中旬から下旬にかけて複数の有力オークションハウスが結集し、世界のクラシックカー業界の1年を占う競売が大挙しておこなわれている。

 そんななか、クラシックカー/コレクターズカーのオークションハウス最大手のRMサザビーズ社は、スコッツデール市内の自動車愛好家向け会員制クラブハウス&車両ストレージ施設「OTTO CARCLUB」を会場に、COVID-19感染対策のために入場制限をおこないつつ、メインはオンラインとする大規模オークション「ARIZONA」を、2021年1月18-22日(18-21日にプレビュー、22日に競売)に開催した。

 この「ARIZONA」オークションには自動車だけでも84台が出品されることになったが、今回VAGUEが注目したのは、1956年型フェラーリ「250GT アロイ クーペ by ボアーノ」である。その名のとおり、トリノにかつて数年間のみ存在したカロッツェリア「ボアーノ」が、フェラーリ「250GT」用シャシに架装した軽合金製ボディを持つ、とても豪奢なGTクーペである。

●1956 フェラーリ「250GT アロイ クーペ by ボアーノ」

 このモデルはたしかにボアーノ製だが、元来のデザインはピニンファリーナによるものだ。その起源は、1953年ジュネーヴ・ショーでデビューした「250エウローパ(Europa:ヨーロッパ)」まで遡る。

 当初の250エウローパは、アウレリオ・ランプレーディ技師の設計した2963ccのV12エンジンを搭載したが、翌年の「250GTエウローパ」はジョアッキーノ・コロンボ技師が最初に手掛けた「125S」から発展した、よりスポーティな2953ccユニットに換装。ボディも若干モダナイズされ、のちの名作「250GT」シリーズの礎となる。

 250GTエウローパのボディ架装は、その後もピニンファリーナが続けていたが、元カロッツェリア・ギア社の共同オーナーで、1954年から自らのコーチビルダーをトリノ近郊グルリアスコに立ち上げていた名匠マリオ・フェリーチェ・ボアーノが、1956年ごろから生産業務を委託され、「250GTボアーノ」と呼ばれることになった。

 この決定が下された理由として挙げられるのは、当時のピニンファリーナがフィアット「1100TV」やアルファ ロメオ「1900スプリント」をベースとする「フォーリ・セリエ」の生産に追われていたこと。また、この時期のピニンファリーナはフェラーリの意向もあって、よりモダンな250GTクーペの量産計画を立てていたことなど、複数の要因が相まって……、といわれている。

 もともとピニン(バッティスタ)ファリーナの兄、ジョヴァンニ・ファリーナが経営する「スタビリメンティ・ファリーナ」出身であるボアーノとピニンファリーナとの関係は深く、ピニンの傑作のひとつであるランチア「B20GT」の基本デザインも、ボアーノが社外コンサルタントとして参画していたという。

 ところがそれから程なくして、ボアーノのもとにフィアットの開発陣を率いるダンテ・ジアコーザ博士から、同社のチェントロスティーレ(デザインセンター)の開設を任せたいというオファーが舞い込んでくる。そこで彼は、優秀な幹部スタッフにして娘の夫でもあるエツィオ・エレーナに自身の工房を任せ、新たに「カロッツェリア・エレーナ」と名乗らせることにした。

 そして、新たに「250GTエレーナ」の名のもとに、居住性アップのためにルーフを少しだけかさ上げするなど、デザインに多少の変更を施して1958年ごろまで生産が続けられたという。

 250GTボアーノの生産台数は74台(ほかに諸説あり)、エレーナは50台。そしてアロイボディ車両はボアーノ時代に14台のみが製作されたといわれ、この個体はその希少な1台なのだ。

 蛇足ながら、のちに伝説の「250GTO」となるレーシングベルリネッタ開発の命を受け、当時フェラーリに在籍していたエンジニア、ジョット・ビッザリーニが製作した試作車「ラ・パペーラ(La Papera=アヒル)」は、エンツォ・フェラーリから貸与された250GTボアーノを切り張りしたものといわれている。

■日本生息歴のある超レアものフェラーリの評価は?

 RMサザビーズ「ARIZONA」オークションに出品されたフェラーリ250GTボアーノ製クーペ、シャシNo.「0613GT」は、フェラーリ・クラシケの資料によると11月7日にローリングフレームとしてカロッツェリア・ボアーノに送られてボディを架装。翌1957年1月中旬までにマラネッロに戻され、1月22日にラインオフしたという。

●1956 フェラーリ「250GT アロイ クーペ by ボアーノ」

日本のコレクターにも一時所有された経歴があるフェラーリ「250GT アロイ クーペ by ボアーノ」(C)2020 RM Sothebys日本のコレクターにも一時所有された経歴があるフェラーリ「250GT アロイ クーペ by ボアーノ」(C)2020 RM Sothebys

 仕向け地はアメリカで、かのルイジ・キネッティが率いたニューヨークのディーラーを介して、タバコ業界のビッグネーム、ジョージ・アレンツのもとに納車。その目的はアレンツ所有のチームでレースに使用することだった。

 そののち複数のオーナーのもとで米国内のレースに参戦し、クラス優勝を含む戦果を挙げた0613GTは、1960年に大西洋を渡り、長らくイギリスで過ごすことになった。

 そして1985年、全世界に名を知られる英国ワトフォードのフェラーリ専門店「DKエンジニアリング」によって初のレストアを受けて表舞台に姿を現すまで、1963年から1982年の間、複数のオーナーのもとを渡り歩いた。その歴代オーナーのなかには、伝説のロックバンド「クリーム」をエリック・クラプトンたちと結成し、ベース&リードボーカルを担当した世界的ベーシスト、ジャック・ブルースも含まれているという。

 そしてDKエンジニアリングは、ロッソ・コルサのボディにベージュのインテリアの組み合わせで新たに復活した250GTボアーノを、1986年に日本のコレクターへと売却。2002年にアメリカへと再び輸出されるまで、日本で過ごしたとされている。

 約40年ぶりにアメリカに舞い戻った0613GTは、幾人かのオーナーたちが保有しつつコンクール・デレガンスなどで輝かしい成果を上げた。その間に再びレストアを受け、アメリカのレースを闘った現役時代を思わせるダークレッドにリペイント。2008年には発足して間もない「フェラーリ・クラシケ」の認証も取得している。

 また、2011年から2016年の間に所有した元オーナーは、クラシックカーのラリーイベントに参加するために、約20万ドルを投じて大切に維持されていた。

 また消火システムやヘッドレスト、布張りのロールバー、4点式シートベルトなど、ラリー参加に必要なセーフティ装備も施されるとともに、現在の魅力的な2トーンカラーにリペイント。その情熱の成果として、アメリカを代表するふたつのラリーイベント「カリフォルニア・ミッレ」と「コロラド・グランド」の双方で大きな注目を浴びた。

 そして2016年に、今回のオークション出品者である現オーナーに譲渡され、2019年には一流コンクール・デレガンス「ザ・クエイル モータースポーツ・ギャザリング」に出品されている。

 この非常にレアかつ魅力的で、ドキュメントも豊富な250GTボアーノは、現在6万6700マイル(約10万7000km)の通算マイレージを示している。前述の「フェラーリ・クラシケ」レッドブックや書籍、メンテナンスの請求書、ツールキット、スペアのボラーニ社製ワイヤーホイール、サービスマニュアルなども添付され、120万-140万ドルのエスティメートが提示されていた。

 そして1月22日の競売では135万2500ドル、日本円に換算すれば約1億4200万円で、無事落札に至ったのだ。この落札価格は、2020年の「シフトモントレー」で落札された「F40」の138万6000ドルとほぼ同額である。

 ここ1-2年で、ごく一部の「スペチアーレ」ものを除く現代のフェラーリが軒並み価格下落しているのに対して、正真正銘のクラシック・フェラーリのマーケット感は、2021年も堅調であることを示す結果ともいえるだろう。

* * *

 ところで、今回のオークション記事を書くにあたって、ふと筆者の脳裏をよぎったのは、1997年のイタリア本国版「ミッレ・ミリア」の記憶である。

 この年、1930年型アストンマーティンで初参加したエントラント某氏のサポートメンバーとして、初めてミッレ・ミリアに参加した筆者は、鮮やかなロッソ・コルサにペイントされたフェラーリ250GTボアーノを日本から持ち込んでエントリーした、関西地方在住のコンビとご一緒したのだ。

 ボアーノ製250GTクーペは、ピニンファリーナ製の250GTよりも遥かにレアなはず。日本に居たことのある個体がほかに存在したという情報は、少なくとも筆者は持ち合わせていない。すなわち、四半世紀前にイタリアでご一緒した250GTボアーノは、今回の出品車両そのものである可能性が高いということになる。

 あの時とは姿を大きく変貌させたとはいえ、記憶の片隅に残っているフェラーリが、遠く離れたアメリカでスポットライトを浴びたこと。また、往時のイメージとはかけ離れた高価格で取り引きされたことに、なにやら不思議な感慨を覚えてしまったのである。

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