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世界中で愛されるマツダ「ロードスター」 初代はなにがすごかったのか?

くるまのニュース / 2021年2月23日 12時0分

バブル景気に湧いた1989年に初代が登場。以来マツダ「ロードスター」は、2シーターのライトウエイトオープンスポーツカーとして生産台数世界一というギネス記録を続けている。現行型は4代目となるロードスターだが、32年前に登場した初代はどんなモデルだったのだろうか。あらためて考えてみた。

■徹底してライトウエイトスポーツのコンセプトにこだわった

 現在のマツダのラインナップのなかで、「ロードスター」は特別な存在感を放っている。

 販売台数は、世界市場で年間およそ3万台、国内市場で4000台から5000台という、わずかな数字だ。しかし、マツダのブランド・アイコンともなった「Zoom Zoom」や「人馬一体の走り」は、そもそもロードスターに用意されたもの。それが、いつの間にかマツダ全体を表すようになった。

 つまり、マツダのスポーティなイメージの根源をなすのがロードスターなのだ。

 ロードスターの歴史は、1989年の初代モデルに始まる。発売すぐに、日本だけでなく欧州やアメリカでも大人気モデルとなり、11年後となる2000年5月には「2人乗り小型オープンスポーツカー生産累計世界一(53万1890台)」を達成。

 生産累計台数は、その後も追従をゆるさず、世界一の記録を伸ばし続け、2016年には100万台という他を寄せ付けない大記録を樹立している。また、現行の4代目モデルは「2015−2016日本カー・オブ・ザ・イヤー」と「ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー」のダブルで受賞。世界中で獲得した賞は200を軽々と超えている。

 じつのところ、初代ロードスターが誕生した1980年代当時は「転倒したときの危険があるから、2人乗りのオープンカーは消えてなくなる存在」と考えられてきた。しかし、そうした風潮を初代ロードスターのヒットが打ち消し、逆に「2人乗りオープンカー」の流行を生み出したのだ。

 では、そんな初代ロードスターが、なぜそれほどまでに人気を集めたのだろうか。

 その根底にあるのが「ライト・ウェイト・スポーツ」というコンセプトの徹底だ。

 “スポーツカー”という定義は意外にあいまいで、人それぞれの思うスポーツカー像は千差万別だ。速さ=スポーツカーと考える人もいるだろう。日本の誇る日産「GT-R」や世界的に人気のポルシェ「911」は、そういった考えに沿ったものといえる。

 しかし、絶対速度が遅くとも、クルマを操る楽しさをスポーツとする考えもある。それが英国発祥の「ライト・ウェイト・スポーツ」という考えだ。ロードスターは、そうした考えの元から生まれたクルマであった。

 だからこそ、エンジンの排気量は小さく、馬力もささやかなものとなった。初代ロードスターのエンジン排気量は1.6リッターで、最高出力は120馬力。これは同時代にデビューした、日産「フェアレディZ(Z32型)」や「スカイラインGT-R(R32)」の280馬力、ホンダ「インテグラ」の160馬力にも遠く及ばなかったのだ。

マツダ初代「ロードスター」Vスペシャル。ソフトトップは手動で開閉するマツダ初代「ロードスター」Vスペシャル。ソフトトップは手動で開閉する

 パワーがないかわりに、初代ロードスターは、ハンドリングが良かった。その理由は、「1トンを下回る車両重量の軽さ」「前後ともダブル・ウイッシュボーンという古典的だが、スポーツカーの基本となるサスペンション形式の採用」「エンジンからトランスミッション、後輪のデフまでを、PPF(パワー・プラント・フレーム)というアルミの骨組みでつないだ」などの工夫があったからだ。

■快適で、手の届く価格のスポーツカー

 しかも、初代ロードスターは重量だけでなく、価格も軽かった。

マツダ初代「ロードスター」SRリミテッドのインパネマツダ初代「ロードスター」SRリミテッドのインパネ

 ベーシックグレードの価格は約170万円。誰もが手の届く価格設定であったのだ。そのため価格を下げるために灰皿(当時は標準装備)やエアコンなど、あちこちの部品は、旧型の他車種から流用されていた。内装の質感も、けっして褒められるほど高くはなかった。

 また、見落としされがちだが、初代ロードスターはオープンカーとしては利便性が良かった。

 幌からの水漏れはほとんどなく、開閉も非常に簡単。乗員2人のカバンを詰め込めるだけのトランク容量も確保されていた。

 今となっては当たり前かもしれないが、1980年代のオープンカーは絶滅危惧種で、当時あったオープンカーのほとんどが1960年代の基準のもの。幌の雨漏りや脱着に手間がかかるのは当たり前で、トランク容量がほとんどないというクルマも数多く存在していた。

 しかも、スポーツカーでありながらも、ロードスターは、きちんとしたエアコンもカーオーディオも装着されていた。旧世代のオープンカーと比べると、その快適性は雲泥の差であったのだ。

 さらに、初代ロードスターには、“自分で整備ができる”という特徴もあった。マツダの開発陣は、スポーツカーの定義のひとつとして「自分で整備する」という項目も想定していたのだ。

 そのため、足まわりやエンジン関連に使われるボルト&ナットの多くはサイズなどが共通化されていた。そして、そうした手の入れやすさは、カスタムの隆盛も生み出した。マツダだけでなく、市井のカーショップなどが、アフターパーツを数多く販売するようになった。こうしたカスタムの豊富さも、初代「ロードスター」の人気を高めたのだ。

 そうした初代ロードスターの人気は、世界各地にオーナー同士のファンクラブを生み、ファン・イベントも数多く開催されるようなる。

 つまり、初代ロードスターは、クルマを購入して運転を楽しむだけでなく、「自ら整備する楽しみ」、「自分だけの1台を作り上げるカスタムの楽しみ」「同好のオーナー同士の交流の楽しみ」という、おまけまでついていたのだ。

 しかも、ロードスターが素晴らしいのは、そうした基本コンセプトが、第2世代、第3世代、そして現行の第4世代まで、ブレずに継承されたことにある。だからこそ、堅調に売れ続け、累計生産台数100万台という数字に届いたのだろう。

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