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モデルやダンサーまで! アルファ ロメオで活躍した歴代女性ドライバーを一挙紹介

くるまのニュース / 2021年3月11日 15時30分

モータースポーツの歴史とともにあるアルファ ロメオだが、常に女性ドライバーがアルファ ロメオのステアリングを握って活躍してきた歴史がある。そこで、20世紀から現代までモータースポーツシーンで輝いていた女性ドライバーを紹介しよう。

■F1でも活躍していた女性ドライバーたち

 2021年3月8日の国際女性デーに際し、アルファ ロメオはモータースポーツの輝かしい歴史を彩った女性レースドライバーに敬意を表した。そこで、アルファ ロメオに縁のある女性ドライバーを紹介しよう。

●タチアナ・カルデロン:Tatiana Calderon

 コロンビアのボゴタで1993年に生まれたタチアナ・カルデロンは、2005年に国内選手権のイージー・カート・プレジュニアシリーズで優勝したのを皮切りに、モータースポーツシーンで頭角を現していく。

 そのわずか3年後にはアメリカのスター・オブ・カート選手権東部ディビジョンで初の女性ドライバーとして優勝を飾った。

 2017年にはザウバーF1チームの開発ドライバーとなる。1年後にザウバーは彼女を開発ドライバーからアルファ ロメオ・レーシングのテストドライバーへと昇格させ、カルデロンはラテンアメリカ出身の女性としては初めてF1マシンをドライブした女性となった。

 カルデロンはアルファ ロメオの現役女性ドライバーだが、一世紀以上前、第一次大戦後にも、マリア・アントニエッタ・ダヴァンツォがアルファ ロメオ初の女性レースドライバーとして活躍している。

●タマラ・ヴィダリ:Tamara Vidali

タマラ・ヴィダリタマラ・ヴィダリ

 アルファ ロメオがレース界にカムバックすべく設立されたアルファ・コルセ部門は、タマラ・ヴィダリをスターダムに押し上げることにも貢献した。

 1992年のイタリア・ツーリングカー選手権グループNで、彼女はアルファ ロメオ「33 1.7クアドリフォリオ・ヴェルデ」を駆って年間チャンピオンに輝いている。

●マリア・グラツィア・ロンバルディとアナ・カンビアギ:Maria Grazia Lombardi & Anna Cambiaghi

マリア・グラツィア・“レラ”・ロンバルディマリア・グラツィア・“レラ”・ロンバルディ

 1950年代にF1史上初の女性ドライバーとして歴史に名を残すマリア・テレーザ・デ・フィリッピスの後を追ってマリア・グラツィア・“レラ”・ロンバルディは2人目のイタリア人女性ドライバーとしてF1に参戦し、13のレースに出場した。

 1982年から1984年の間、彼女はアナ・カンビアギやジャンカルロ・ナッデオ、ジョルジオ・フランチャ、リナルド・ドロヴァンディとともにヨーロッパ・ツーリングカー選手権にアルファ ロメオ「GTV6 2.5」で参戦し、輝かしい戦績を残している。

●クリスティン・ベッカーズとリアン・エンゲマン:Christine Beckers & Liane Engeman

クリスティン・ベッカーズクリスティン・ベッカーズ

 1960年代はアルファ ロメオ「ジュリアスプリントGTA」がモータースポーツシーンを席巻した、アルファ ロメオの歴史を数々の勝利によって彩る貴重な時代であったことは良く知られている。

 しかしながら、あまりよく知られていないこともある。それは、スーパーチャージャーを積んだアルファ ロメオ「GTA-SA」である。

 当時のグループ5向けに10台が製作されたGTA-SAは、油圧駆動の遠心式コンプレッサーを採用し、220psのパワーで240km/hという性能を発揮。

 当時のレースマシンのなかでも突出したパワーを誇ったが、当時アウトデルタでテストドライバーを務めていたテオドロ・ツェッコリは「何の前触れもなしに突然ブーストがかかってパワーがさく裂するので、コーナーなどでは扱いにくく予測のつかないマシンだった」と評している。

 このじゃじゃ馬を誰よりも上手に御したのは若いベルギー人のクリスティン・ベッカーズだった。

 1968年にベルギーのウイエで開催されたレースで彼女は誰もがコントロールすることに苦しんだGTA-SAを駆って優勝している。しかも翌年もコンドロズ、エルブモン、ザントフォールトで入賞を果たした。

 しかしながらGTA-SAを飼いならしたのはベッカーズだけではなかった。トアイン・ヘゼマンのチームからアルファ ロメオ「1300ジュニア」でオランダの国内選手権に参戦していたリアン・エンゲマンもGTA-SAと相性が良かった数少ないドライバーのひとりである。ちなみに彼女は後年、アルファ ロメオのモデルも務めた。

●スサーナ・“スージー”・ラガネッリ:Susanna “Susy” Raganelli

スサーナ・“スージー”・ラガネッリスサーナ・“スージー”・ラガネッリ

 四輪のレースで唯一世界チャンピオンになった女性ドライバーといえばスサーナ・“スージー”・ラガネッリをおいて他にない。

 1966年にスージーは100ccカート世界選手権でリーフ・エングストロムやロニー・ピーターソンなどのなみいる強豪を抑えて年間チャンピオンに輝いた。

 ラガネッリの人生はアルファ ロメオとは切っても切れないものだった。レーサーとしてのキャリアの終盤に彼女はアルファ ロメオ「GTA」で数々のレースに出走。また、わずか12台しか生産されなかった伝説的な1967年式アルファ ロメオ「33ストラダーレ」を購入したひとりでもあった。

■ドライバーネーム「サヨナラ」の女性ドライバーとは?

 アルファ ロメオを駆ってレースに参戦した彼女たちの偉業は、単なるスポーツの価値を超越し、先入観や障壁を克服する前例を作った。ここで紹介する女性レーサーたちはそれぞれが違う時代に活躍し、出自もさまざまである。

 彼女たちに共通しているのは、パイオニア精神とレースに対する情熱、そして、恐れることなく新境地を切り拓こうとするチャレンジ精神である。

 では、1950年以前に活躍した女性レースドライバーたちを紹介しよう。

●アダ・パーチェ(ドライバーネーム、“サヨナラ”):Ada Pace “Sayonara”

アダ・パーチェ(ドライバーネーム、“サヨナラ”)アダ・パーチェ(ドライバーネーム、“サヨナラ”)

 1950年代にはアルファ ロメオのステアリングを握って優れた成績を残した女性レーシングドライバーが存在した。トリノ生まれのアダ・パーチェである。

 約10年に及ぶ彼女のレーサーとしてのキャリアのなかで、パーチェは国内選手権で11回の優勝を飾っている。そのうちの6回はツーリングカーで、残りの5回はスポーツカテゴリーでの優勝だ。

 レースに出場するときパーチェは必ず“サヨナラ”というレーサー名を使っていた。

 彼女はアルファ ロメオ「ジュリエッタ・スプリント・ヴェローチェ」とアルファ ロメオ「ジュリエッタSZ」をドライブしていた時代に頂点を極め、1958年にはトリエステ・オピチーナ・ヒルクライムレースで優勝している。

オデット・シコオデット・シコ

 1930年代にアルファ ロメオはモータースポーツ界の主役に躍り出ていた。

 高いパフォーマンスを発揮したレースマシンがその立役者であったことはいうまでもないが、それ以上に伝説的なドライバーたちがモータースポーツにおけるアルファ ロメオの名声をさらに高めていったのだ。

 当時、タツィオ・ヌヴォラーリやアキッレ・ヴァルツィ、ルドルフ・カラツィオラにレイモン・ソメールなど、そうそうたるドライバーたちがしのぎを削っていた時代である。

 なかでもソメールは1932年のル・マン24時間レースでアルファロメオ「8C 2300」を駆って優勝を果たしたが、同レースでアルファ ロメオ「6C 1750 SS」のステアリングを握って2リッタークラス優勝、総合で4位に入賞したオデット・シコを忘れてはならない。

 若いパリジェンヌのシコは一躍レース界で脚光を浴びるようになり、レースでのパフォーマンスのみならずパドックでのエレガントな振る舞いも注目の的であった。

 当時、同じフランス人女性ドライバーであったエレ・ニースともにスポットライトを浴びたふたりの女性ドライバーは、いずれもアルファ ロメオと人生が交差していた。

エレ・ニースエレ・ニース

 出生名はマリエッテ・ヘレーネ・デラングだったエレ・ニースは、レーシングドライバーであると同時にモデル、スタントウーマン、そしてダンサーでもあった。

 社交的な性格だった彼女は当時、ロートシルト家やブガッティ家とも交流があった。

 ニースは主にヨーロッパとアメリカのモータースポーツシーンで数々の戦績を残したが、車体にスポンサーのブランド名を掲示した初期のドライバーのひとりでもある。

 1933年にモンツァで開催されたイタリアン・グランプリには、彼女自身が所有するアルファロメオ「8C 2300モンツァ」で参戦している。このレースはジュゼッペ・カンパーリ、バコーニン・ボルザッキーニ、スタニスラ・ツァイコウスキーがレース中に命を落とした悲劇的なレースとしても知られている。

 1936年にはモンテカルロで開催されたレディース・カップに出走。同年にはサンパウロ・グランプリに出場し、大クラッシュを喫している。

●アンナ・マリア・ペドゥツィ:Anna Maria Peduzzi

アンナ・マリア・ペドゥツィアンナ・マリア・ペドゥツィ

 アルファ ロメオの歴史はスクーデリア・フェラーリ抜きに語ることはできない。数々の「跳ね馬」ドライバーのなかで、フランコ・コモッティ、通称「モロッカン(モロッコ人)」の妻でコモ生まれのアンナ・マリア・ペドゥツィは数少ない女性ドライバーだった。

 自身が所有していたアルファ ロメオ「6C 1500スーパースポーツ」は、彼女がエンツォ・フェラーリから直接購入したものだったが、彼女はこれを駆って様々なレースに参戦した。

 1934年のミッレミリアでは1500クラスで優勝を飾り、戦後にはアルファ ロメオ「1900スプリント」とアルファ ロメオ「ジュリエッタ」で数多くのレースに出場した。

●マリア・アントニエッタ・ダヴァンツォ:Maria Antonietta d’Avanzo

マリア・アントニエッタ・ダヴァンツォマリア・アントニエッタ・ダヴァンツォ

 第一次世界大戦が終戦を迎えてほどなくしてバロネス・マリア・アントニエッタ・ダヴァンツォがアルファロメオからモータースポーツ界へのデビューを果たした。

 パイロットでありジャーナリストでもあったダヴァンツォは、イタリアのモータースポーツ界で女性レーサーのパイオニアである。

 彼女は1921年にブレシアで開催されたレースでアルファ ロメオ「G1」をドライブして3位入賞を果たしている。

 ダヴァンツォは当時のモータースポーツ界で輝かしい戦績を誇っていたエンツォ・フェラーリを含む男性レーサーたちの良きライバルであった。

 ダヴァンツォはその後も様々なカテゴリのレースに参加し、その活躍は1940年代まで続いた。

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