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後世に影響を与えた初代がスゴい! 偉業を成し遂げた車3選

くるまのニュース / 2021年3月18日 16時10分

名車に値するクルマは数多く存在しますが、世界初の技術を実現したモデルや、後世に語り継がれるほど美しいデザインなど、その理由はさまざまです。そんな名車のなかには、後の世の中に大きな影響を与えたモデルが存在。そこで、偉業を成し遂げたと讃えられるべきクルマを、3車種ピックアップして紹介します。

■このクルマが登場していなかったらどうなった?

 これまで膨大な数のクルマが誕生していますが、名車と呼ばれるモデルも存在します。とくに名車には決まりは無く名誉のようなものですが、世界初の技術を搭載したり、後世に語り継がれるほど美しいデザインなど、その理由はさまざまです。
 
 また、名車に値するという基準も人それぞれで異なり、大衆車からスーパーカーまで千差万別ではないでしょうか。

 そうして今も称賛されるクルマのなかには、後の世の中に大きな影響を与えたモデルも存在。

 そこで、偉業を成し遂げたと讃えられるべきクルマを、3車種ピックアップして紹介します。

●スズキ「アルト」

47万円という当時でも驚異的な低価格を実現した初代「アルト」47万円という当時でも驚異的な低価格を実現した初代「アルト」

 日本独自の規格として長い歴史がある軽自動車ですが、現在に通じる軽自動車の基礎をつくったのは、1955年に誕生したスズキ初の4輪自動車「スズライト」といわれています。

 その後軽自動車は進化を続け、1976年には軽自動車規格の改定で360ccから550ccへ排気量拡大と全長3200mm×全幅1400mm×全高2000mmの新サイズへと移行。

 そして、1979年に発売されたエポックメイキングな軽自動車がスズキ初代「アルト」です。

 当時、商用車には物品税が課せられなかったことから、より安価な価格に設定できるとして、アルトはリアシートがミニマムの商用バンとして開発されました。

 さらに、装備も極力簡素化しつつコスト削減をおこなうことで、47万円からという驚異的な低価格を実現。

 具体的なコストダウンの手法として、メッキではなく簡素なグレー塗装がされたスチール製バンパーの採用や、助手席には鍵穴を装備せず、ウインドウ・ウォッシャーは電動式ではなくゴム製のボタンを指で押す手動式とするなどの徹底ぶりです。

 同年代のライバルである三菱「ミニカ」の最廉価グレードが54万5000円でしたから、アルトの47万円という価格は相当なインパクトがあったと想像できます。

 エンジンは既存の550cc直列3気筒2サイクル(後に4サイクルを追加)をフロントに搭載するFFで、最高出力はわずか28馬力(グロス)でしたが、ひとりかふたりでの移動手段としては必要十分な性能です。

 また、1981年に軽商用車も2%の物品税が課せられるようになると、課税対象外だった2シーター仕様を廉価版として投入することで47万円の価格を維持するという斬新な手法がとられました。

 初代アルトは「軽ボンネットバン」と呼ばれるジャンルを確立した立役者で、これに各社が追従したことで1980年代は軽ボンネットバンが庶民の足として広く普及することになりました。

●ホンダ「シビックCVCC」

画期的な低公害エンジンを搭載してアメリカでもヒットした初代「シビックCVCC」画期的な低公害エンジンを搭載してアメリカでもヒットした初代「シビックCVCC」

 1972年にホンダは、新世代の大衆車として初代「シビック」を発売しました。駆動方式はFFを採用し、ボディの四隅にタイヤを配置して広い室内空間を実現し、軽量なボディによる優れた走りと低燃費により、大ヒットを記録します。

 そして、日米で排出ガス規制の強化が進むなか、1973年にホンダが開発したCVCCエンジンは、パスすることが不可能とまでいわれていたアメリカの排出ガス規制、通称「マスキー法」の規制値を世界で最初にクリアすることに成功。

 当時は、排出ガスの浄化には複雑なシステムが必須といわれていましたが、CVCCエンジンはエンジン本体の改良だけで、後処理をおこなうことなく規制値を達成したのです。

 こうしてCVCCエンジンを搭載したシビックが1974年にアメリカへ輸出されると、燃費がよくクリーンなクルマとして大ヒットします。

 もともと1973年にはシビックはアメリカに輸出されていましたが、巨大なボディと大排気量のアメリカ車とは対極にあったため人気が出ませんでした。

 しかし、第1次オイルショックが起きたことによりアメリカでも低燃費車への関心が高まり、シビックのヒットにつながったということです。

 二輪車メーカーとして有名だったホンダが自動車メーカーとして認められたのはシビックの存在があったからで、もしシビックの成功がなければホンダの本格的な世界進出は果たせなかったかもしれません。

■世界的なムーブメントを巻き起こしたクルマとは?

●ユーノス「ロードスター」

世界中のメーカーが追従したほど人気となった初代「ロードスター」世界中のメーカーが追従したほど人気となった初代「ロードスター」

 1960年代にはホンダ「Sシリーズ」や、ダットサン「フェアレディ」、ダイハツ「コンパーノスパイダー」など、国内でも比較的多くの乗用オープンカーが存在していました。

 しかし、1970年代には次々と姿を消し、1980年代にホンダ「シティカブリオレ」などわずかに復活しましたが、スポーティなオープンカーは消滅。

 これは海外でも同様で、英国のMGやロータス、トライアンフなどが販売していたコンパクトなオープンカーも、1980年代初頭には激減してしまいました。

 そんな状況のなか、1989年にマツダが展開していた5つのブランドのひとつであるユーノスから初代「ロードスター」が発売されました。

 ロードスターはオープン2シーターという趣味性が強いモデルながら、安価な価格と軽快な走りによって、手軽に乗れるスポーツカーとして異例のヒットを記録。

 また、オープンカー大国であるアメリカでも大ヒットを記録するなど、世界的にロードスターは受け入れられました。

 ロードスターの成功を目の当たりにした世界中のメーカーは、同様なコンセプトのオープンカーを開発し、一大ムーブメントに発展したほどです。

 もしロードスターがヒットしていなければ、ポルシェ「ボクスター」やBMW「Z3」、メルセデス・ベンツ「SLK」も誕生していなかったことでしょう。

※ ※ ※

 今回紹介した3台以外にも、後世に大きな影響を与えた国産車はまだまだあります。

 代表的なところではトヨタ初代「プリウス」、初代「セルシオ」、ホンダ初代「NSX」などが挙げられ、どれも名車と呼ぶにふさわしいクルマです。

 そのDNAは今も受け継がれていますが、今後これほどの影響力があるクルマは誕生するのでしょうか。

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