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5000万円を切った! 悲運のスーパーカーBMW「M1」の北米での評価とは

くるまのニュース / 2021年7月25日 19時10分

BMWの悲運のスーパーカー「M1」は、生産台数の少なさと多くのレジェンドが開発に携わったことで、オークションマーケットでは一定の評価を得るに至った。

■「512BB」ばりに高価だったBMW「M1」

 クラシックカー/コレクターズカーを対象とするオークションの業界最大手「RMサザビーズ」が開催した、23回目を迎える恒例の「AMELIA ISLAND」オークションでの成約率は95.28%、総売り上げは4200万ドル(約43億円)を超える盛況ぶりを見せた。

 このオークションでは、その成果を納得させるような素晴らしいクルマたちが出品されたのだが、今回VAGUEが注目した出品車両はBMWエンスージアスト垂涎の1台、1980年型の「BMW M1」である。

 2020年春をもって生産を終えたプラグインハイブリッド・スーパーカー「i8」の登場までは、BMW史上唯一のミッドシップスポーツカーだった伝説のモデルBMW「M1」。

 ドイツ製の量産スポーツカーのなかではもっとも美しく、もっとも速いクルマとなることが期待されたスーパーカーは、もともとランボルギーニと共同で開発し、FIAグループ5規約による世界スポーツカー耐久選手権において覇権を握っていたポルシェ「935」の牙城に挑戦しようとしていた。

 この理知的ながら魅惑的なスーパースポーツは、高性能車に関するランボルギーニとBMWのノウハウを結集したものとされた。ボディデザインを担当したのは、イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロ。FRP製ボディパネルはイタリア・モデナの「イタリアーナ・レジーナ(Italiana Resina)」社。鋼管フレームは、同じくモデナの「マルケージ(Marchesi)」社。そしてアッセンブルは、サンタアガタ・ボロネーゼのランボルギーニ本社にゆだねられる予定だった。

 ところが、このM1のプロジェクト推進に手間どり、投資を回収できなかったことが大きな一因となってランボルギーニは経営破綻。紆余曲折の末、生産はBMWとは縁の深い旧西ドイツの「バウア(Baur)」社に委託されることになってしまう。

 また、パワーユニットも当初はBMW M社による新開発の4.5リッターV10を想定していたそうだが、こちらも方針を変更。同じBMW M社がツーリングカーレースに出場する「3.0CSL」のために開発した「M88」型3.5リッター直列6気筒DOHC24バルブエンジンを搭載することになった。

 これらの混乱の収拾のため、M1のワールドプレミアは当初予定されていた1978年春のジュネーヴ・ショーから遅延となり、結局同年10月のパリ・サロンまでもつれ込むことになる。そして、最初の1台が顧客に納められたのは1979年の春。そして最後の1台の納車は、当初の予定から大幅に遅れた1981年7月までもつれ込むことになったのだ。

 生産開始が遅れた上に、実に10万マルクという当時のフェラーリ「512BB」にも匹敵する高価格も相まって、総生産数はBMWの目論見を大きく下回る、ロードカー399台と、後述するレーシングバージョン56台の、総計455台(ほかに454台説、460台説、477台説などが存在する)に終わったという。

 また生産スケジュールの遅れによって、生来の目的であったグループ5レギュレーションによる世界スポーツカー選手権参戦に必要なホモロゲートをようやく取得したころには、すでにグループ5規約は終焉を迎えつつあった。

 こうして、悲運のもとに歴史の幕を閉じることになったBMW M1ながら、思わぬかたちでスポットライトを浴びることになる。1979年-1980年シーズンに、主にF1GPの前座レースとして、グループ4仕様に仕立て直したM1によるワンメイクレース「プロカー選手権」に供用されることになったのだ。

 現在のF1GPでは考えられないことだが、このプロカー選手権ではF1を走るドライバーの多くがM1プロカー仕様に乗って参戦。1979年シーズンはニキ・ラウダ、1980年シーズンはネルソン・ピケが年間タイトルを獲得し、BMWが予想していた以上の成果を得た。

 この輝かしいヒストリーに生産車両の希少性が相まって、いまなおBMW M1をして「レジェンド」としているであろう。

■「M1」に下された予想外の落札価格とは

 RMサザビーズ「AMELIA ISLAND」オークションに出品されたBMW M1は、まばゆく輝くホワイトのボディに、ブラックのレザー/ファブリックのコンビ内装の組み合わせ。1980年5月27日にラインオフし、当初は西ドイツ(当時)国内フランクフルトのBMWディーラーに販売されたとのこと。

 車両に添付された登録証のコピーによると、1980年9月16日に最初のオーナーが経営するエレクトロニクス関連企業の名義で登録されたことが示されている。

設計はジャン・パオロ・ダラーラ、マルケージの鋼管フレームを採用し、ジウジアーロデザインのFRPパネルエクステリアを纏うBMW「M1」(C)2021 Courtesy of RM Sotheby's設計はジャン・パオロ・ダラーラ、マルケージの鋼管フレームを採用し、ジウジアーロデザインのFRPパネルエクステリアを纏うBMW「M1」(C)2021 Courtesy of RM Sotheby's

●極上コンディションながら、安価な約4572万円で落札

 1984年11月、このM1はアメリカ合衆国に上陸を果たす。カリフォルニア州サンタアナの専門業者によって、合衆国での登録と排出ガスの変更が完了した。アメリカでの使用に合わせたマイル表示の速度計を含むメータークラスターは、この時点で交換されたと考えられているようだ。

 それから3年後となる1987年、このM1はカリフォルニア州ロサンゼルス在住のエンスージアストから、今回のオークション委託者である現オーナーに譲渡されたのち、入念なメンテナンスを受けつつ、時おりのドライブに供されてきたようだ。

 そして2018年以来、現オーナーは愛車のリフレッシュを決意した。北米ノースカロライナ州グリーンズボロのクラシックBMWスペシャリスト「コーマン・オートワークス(Korman Autoworks)」社によってコンプリートされた注目すべき作業には、オリジナルの燃料タンクの取り外しと改装、調整の難しさで知られるクーゲルフィッシャー機械式燃料噴射システムのオーバーホールなども含まれ、5万ドル以上の費用が贅沢に投下されたという。

 また追加のサービスとして、ブレーキシステムと電気系にも同様のレベルのケアが施されている。もちろんクーラントや油脂類もフラッシングののちに交換し、フィルター類もすべて取り替えられた。インテリアでもスピーカーの新調を含むリフレッシュが図られるとともに、細心の注意を払って再調整が施されたとのことである。

 さらに2019年10月、コーマン・オートワークス社は自社ファクトリーにてBMW純正カラーのホワイトでリペイント。ジウジアーロのデザインによる独特かつ魅力的なスタイルのアロイホイールもレストアし、ミシュラン社製パイロットスポーツと組み合わせた。

 そして現在、30余年ぶりにマーケットに現れることになったこのM1は、ナンバーマッチングのエンジンと、新車時から残されたマッチングのスペアホイールにサービス請求書、ヒストリーを示すドキュメントの存在を確認する「BMWクラシック」発行の証明書が添付されている。

 また、委託者のコレクション内で追加されたマイレージ(走行距離)は、3075マイルに満たないとのことである。

 RMサザビーズ社の調査によると、アメリカに輸出されたM1はかなり少数とのこと。それゆえ北米のBMWエンスージアストの間では、常に渇望されるアイコン的な1台なのだ。

 そんなM1ゆえに、2010年代中盤の最盛期には、100万ドル(約1億円)越えも散見され、新型コロナウイルス禍の現在にあっても、高級クラシックカー・ディーラーなどでは6000万-7000万円の正札が付けられるのが通例となっている。

 ところが、今回のアメリア・アイランド・オークションでは41万7500ドル、日本円に換算すれば約4572万円で落札されることになった。

 この落札価格は近年の各オークションにおける結果、あるいは現在の国際マーケットに流通しているM1たちと比べても相当にリーズナブルといえる。また、来歴・コンディションともに申し分のない人気モデルでありながらも、時には予想外に安価な価格で入手できることもあるオークションの面白さを、図らずも提示する結果となったともいえるだろう。

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