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ゴルフ場にクラシックカーを並べてゴルフコンペとコンクール!? 「ピエロ・タルッフィ」にちなんだイベントとは

くるまのニュース / 2021年9月4日 8時10分

モントレー・カー・ウィークではゴルフ場にクルマを並べるだけですが、イタリアではグリーン横にクルマを並べて、その横でゴルフコンペしちゃいます。名ドライバー「ピエロ・タルッフィ」にちなんだイベントを実際に取材してきました。

■ゴルフコンペとコンクールデレガンスがひとつになった

Writer:野口祐子(NOGUCHI Yuko)
Photographer:Golf della Montecchia

 2021年7月17日、イタリア・パドヴァ(ベネト州)のゴルフクラブ「Golf della Montecchia」(https://www.golfmontecchia.it/)で、ゴルフコンペ&コンクールデレガンス/クラシックカーのイベント「La Volpe Argentata(ラ・ヴォルぺ・アルジェンタータ)」がおこなわれた。

 ミラノから高速道路A4に乗り、ヴェネツィア方面に向かって東に走り、パドヴァで下りゴルフ場へと向かった。走行距離約250km。会場のGolf della Montecchiaは、レストラン、プールなど充実した施設が整い環境問題にも留意している27ホールのゴルフ場だ。

 イベントの主催者はプリスカ・タルッフィ。1950年代、2輪・4輪のドライバー、エンジニアとして活躍したピエロ・タルッフィの娘である。

1951年、ピエロ・タルッフィはフェラーリ「212インター・ヴィニャーレ」でパアメリカーナ参戦し優勝。今年は70周年を迎える1951年、ピエロ・タルッフィはフェラーリ「212インター・ヴィニャーレ」でパアメリカーナ参戦し優勝。今年は70周年を迎える

●ピエロ・タルッフィとはどんな人物

 父のピエロは、1932年、2輪ノートンで世界選手権(500cc)チャンピオンに、そして4輪ではF1(アルフ・ロメオ、フェラーリ、ダイムラー・ベンツ、マセラッティ、ヴァンオール)、世界スポーツカー選手権(ランチア、フロイド・クリマー・フォード、ルイジ・キネッティ・フェラーリ、マセラッティ)、ル・マン24時間、セブリング12時間、1000km ニュルブルリンク、ミッレミリア、カレラ・パナメリカーナなどに参戦し、また双胴の速度記録車によるレコードチャレンジなど数々の記録を残している。

 1906年、ローマ生まれのピエロ・タルッフィは、イタリアのモータースポーツの礎を作った人物のひとりなのである。

 1960年代には日本を訪れ、日本の警察に運転技法を指導したり、1965年に開設された船橋サーキットのコース設計に関わった。また、書籍『ワークスドライバー、ピエロタルッフィ』の日本語版が出版されている。この本を読んでドライビングテクニックを学んだ日本の方も多いのではないだろうか。

写真左から、タルキーニ・ガブリエレ、ジャンフランコ・クーニコ、プリスカ・タルッフィ、ヴィットリオ・カーネヴァ写真左から、タルキーニ・ガブリエレ、ジャンフランコ・クーニコ、プリスカ・タルッフィ、ヴィットリオ・カーネヴァ

●タルッフィの娘もレーシングドライバーだった

 そんな父親の元で育ったプリスカ。9歳の時から父親の横で運転の指導を受けていたという。しかし、どこの親も同じように、娘には危険なレースの世界に足を踏み入れることは断固として反対していたそうだ。

 しかし、プリスカの体のなかには父親の血がしっかりと流れていた。幼い頃からいろいろなスポーツに挑戦したが、やはり彼女はエンジンの世界、そしてスピードの虜になった。

 どうしてもレーシングドライバーになりたかった彼女は、親の反対を押し切って遅咲きの24歳の時にヴァレルンガサーキットでおこなわれたルノーカップでデビュー。ヴァレルンガサーキットは父、ピエロ・タルッフィが設計した思い出のサーキットだ。そこでデビューすることになった娘の姿を見ながら母親は「夫だけでなく、娘まで危険な世界にいくなんて」と涙したという。

 その後はフォード「シエラ・コスワース」のステアリングを握り、イタリアのラリーでクラスチャンピオン、ヨーロッパ2位を獲得、アルファ ロメオ、ランチア、ポルシェ、フェラーリなどのドライバーとして数々のレースに参戦。最後は砂漠を走るラリーへと転向し5年間砂漠のラリーレイドで走り続けた。人は彼女を「砂漠の女」と呼ぶ。

 現在はジャーナリスト、ドライビングインストラクターとして活躍し、父から受け継いだ運転技術を後世に伝えている。

 プリスカは「父も好きだったように私もロードレースが好き。勿論サーキットレースもいろいろなテクニックを学ぶことができるので重要よ。その経験とテクニックがラリーの世界でとても役に立ったの」と語る。

 エネルギーに満ち溢れているプリスカは、情熱の赤がトレードマーク。そんな彼女、ゴルフはハンディ4という本格派でもある。イタリアのレディスシニアチャンピオンになったこともあるそうだ。

 父もゴルフが好きだったということから、プリスカはゴルフとクルマのイベントを企画。「父、ピエロ・タルッフィのことを思い出してほしい、忘れないでほしい」と。

 聞くと、ドライバーのなかには結構ゴルフ愛好家も多いという。レースとレースの合間にゴルフプレイ。ゴルファーとドライバー、縁がありそうだ。

 数年前にプリスカはパドヴァのゴルフ場、Golf della Montecchiaの会長パオロ・カザーティと出会い、ゴルフ場に新しい世界をと意気投合し、このイベント「La Volpe Argentata」が実現することになった。2021年で第4回目の開催となる。

■イタリアでも一般に人気の「ミウラSV」

 しかしなぜ、このイベントのタイトルが、日本語で「銀狐」を意味する「La Volpe Argentata」になったのだろう。

 イタリアでは「狐」を「Volpe」といい、注意深く賢い、機転がきく、という意味でもある。「Argentata」は「シルバー」を指す。

 実は、ピエロ・タルッフィは若い頃から白髪であり、そして頭脳明晰のドライバーであった。つまり、彼はまさしく銀狐、というわけだ。

左からフェラーリ「250GT TDF」、フェラーリ「166 MMトゥーリング ベルリネッタ」、フェラーリ「212インター・ヴィニャーレ」、アルファ ロメオ「ジュリエッタ・スプリント」左からフェラーリ「250GT TDF」、フェラーリ「166 MMトゥーリング ベルリネッタ」、フェラーリ「212インター・ヴィニャーレ」、アルファ ロメオ「ジュリエッタ・スプリント」

●2021年の“銀狐”に集まった名車たち

 イベントは、毎回ピエロ・タルッフィの人生に関わったクルマ・バイクを選び、特別企画をおこなっている。

 今年2021年は、ピエロ・タルッフィが1951年、フェラーリ「212 INTER VIGNALE(インター・ヴィニャーレ)」に乗りパナメリカーナのレースで優勝してから丁度70年ということで、それと同じモデルのフェラーリ「212 インター・ヴィニャーレ」が今年のメインのクルマとして登場。

 そして2002年、プリスカがScuderia del Portelloのチームとしてパナメリカーナに参戦した時のクルマ、アルファ ロメオ「ジュリエッタ スプリント 」(1957年)が、その横に並んだ。

 そのほか会場に並んだクルマの一部は下記のとおりだ。1950-1960年代のクルマを中心にトータルで25台の貴重なクルマが集まった。

・フィアット「1100Eギア」(1950年)
・Osca 1600GT Touring(1960年)
・フェラーリ「410スーパーアメリカ」(1958年)
・フィアット「8Vザガート」(1953年)
・フェラーリ「250 GT TDF」(1958年)
・ランチア「アウレリアB52ヴィニャーレ」(1953年)
・ランチア「アウレリアB24 S」(1955年)
・アルファ ロメオ「SZコーダトロンカ」(1962年)
・アルファ ロメオ「TZ1」(1964年)
・フェラーリ「166 MMトゥーリング ベルリネッタ」(1950年)
・ランボルギーニ「ミウラP400SV」(1971年)
・ランチア「ストラトス」(1975年)
・ブガッティ「EB110」(1995年)

 一方、ゴルフの方は、1組4人で40組、イタリア全土から集まった160人がコンペに参加。なかにはラリードライバーのVittorio Caneva(ヴィットリオ・カーネヴァ)、Gianfranco Cunico(ジャンフランコ・クーニコ)、レーシングドライバーのGabriele Tarquini(ガブリエレ・タルキーニ)も参加。

 なかなか目にすることがない貴重なクルマの横をゴルフカーがとおったり、ゴルフバックを担ぎながらクルマを眺めたり。グリーンの周りに並んだ色鮮やかなクルマはゴルフ場に非日常の景色を添えた。

 しかし、もしパッティンググリーンの周りに並べられたクルマにボールが飛んできたらと、ヒヤヒヤしたのは私だけではないだろう。

ピンクのカエルとともにピンクのカエルとともに

 また、ピンクのカエルのオブジェがところどころに登場し、見ているだけで心が和んだ。アーティストのロベルト・ベルタッツォン氏は「カエルは自然界にとって必要な生き物なんだ。今、それが存続の危機に陥っている。このカエルを見てそのことに気づいてほしい」と、熱く訴えていた。このイベント中、グリーン上にたくさんのピンクのカエルが置かれていたのだが、このゴルフ場は環境問題に熱心であることにも納得させられた。

 表彰式はプールサイドでビュッフェ形式の夕食中におこなわれた。夜の光に照らせれたプールは鮮やかなブルーに輝き、地元のワイン、チーズ、パスタ、肉など美味しいイタリア料理が並んだ。

 ビュッフェの列に並びながら前後の人と会話が弾んだ。クラシックカーを知らない人も、その美しさに圧倒され、新たな世界に興味を持った人も多かったようだ。

一般投票1位だったランボルギーニ「ミウラP400SV」一般投票1位だったランボルギーニ「ミウラP400SV」

 それでは、今回のコンクールデレガンスの結果をお伝えしよう。

・ベスト・オブ・ショー/フェラーリ「410スーパーアメリカ」(1958年)
・一般投票1位/ランボルギーニ「ミウラP400SV」(1971年)
・優秀レストア賞/ランチア「アウレリアB52ヴィニャーレ」(1953年)

* * *

 現在イタリアのゴルフ人口は約8万8000人といわれている(https://www.federgolf.it イタリアの場合はゴルフ連盟の会員数)。イタリア全土のゴルフ場は約400。比べて日本のゴルフ人口約580万人、ゴルフ場約2800と比べるとまだまだニッチのスポーツといわれるイタリアのゴルフ界。

 見渡すばかりグリーンのなかでプレイをするゴルフィスタ。ゴルフをしながらクラシックカーと触れ合う機会ができ、クラシックカーが持つ価値、歴史など、新しい発見ができたのではないかと思う。

 これだけの素晴らしい貴重なクルマを集められたのはプリスカの長いクルマ人生あってこそ。2021年10月にはメキシコ人建築家のアルフィスタ、フランシスコ・ロペスゲラアルマダのアルファ ロメオ「ジュリエッタ スプリント」でパナメリカーナに女性2人で参戦するという。

 さて、来年もおこなわれるゴルフとクラッシックカーの祭典「La Volpe Argentata」。この美しいGolf della Montecchia にどんなクルマが登場するか、いまからとても楽しみだ。

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