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開発スタートはバブル期でもデビューは崩壊後! 1994年発売のイケてるクーペ3選

くるまのニュース / 2022年4月28日 6時10分

1980年代の終わりから1990年代初頭にかけて、日本経済はバブル景気にわいていました。このバブル景気の頃には、日本の自動車史に燦然と輝く名車が数多く誕生しましたが、じつはバブル崩壊直後にも魅力的なクルマが登場しました。そこで、1994年に発売されたイケてるクーペを、3車種ピックアップして紹介します。

■バブル崩壊後の1994年にデビューした魅力的なクーペを振り返る

 いまから30年ほど前、日本は未曾有の好景気にわいており、いわゆる「バブル景気」で、諸説ありますが1986年の末から1991年初頭にかけて続きました。

 このバブル景気の頃は、各自動車メーカーとも潤沢な資金を開発に投入して、日本の自動車史に燦然と輝く名車が数多く誕生しました。

 また、同時期には技術的な進歩も目覚ましく、世界初や日本初といったメカニズムも次々に登場するなど、後世へ続く下地にもなったといえます。

 しかし、バブル景気が崩壊すると日本に暗い影を落とすことになり、今もその影響が残っているといわれているほどです。

 一方で、バブル崩壊直後に発売されたクルマはバブル期に開発がスタートしていたことから、大いに魅力的なモデルも存在し、とくにクーペは素晴らしいモデルが誕生。

 そこで、1994年にデビューした超絶イケてるクーペを、3車種ピックアップして紹介します。

●トヨタ「カレン」

シックな印象ながらしっかりとスポーティな走りも実現していた「カレン」シックな印象ながらしっかりとスポーティな走りも実現していた「カレン」

 かつてトヨタが販売していたクーペというと、フラッグシップの「ソアラ」からコンパクトでスポーティな「カローラレビン/スプリンタートレノ」まで、数多くのモデルが展開されていました。

 そのなかの1台で1994年にデビューした「カレン」は、美しいスタイリングが特徴のクーペ専用車として開発されたモデルでした。

 カレンは6代目「セリカ」のプラットフォームをベースした2ドアノッチバッククーペで、薄型のコンビネーションランプとフロントグリルを組み合わせた精悍なマスクに、ロー&ワイドなスタンスを強調したフォルム、そして流麗なシルエットで車名のイメージどおり可憐な印象でした。

 また、内装は比較的シックな雰囲気のグレー系で統一され、上位グレードには本格的なスポーツシートが採用されるなど、走りを意識したコクピットとなっていました。

 トップグレードの「ZS」には、最高出力180馬力を発揮する2リッター直列4気筒自然吸気の「3S-GE型」を搭載。

 足まわりにはセリカと同じく「スーパーストラット・サスペンション」が設定され、ハンドリング性能にもこだわっていました。

 カレンはセリカほど高性能化が顕著ではありませんでしたが、アダルトな雰囲気が漂う魅力があり、一定の人気を獲得しました。

 しかし、時代の流れからクーペのニーズが低下したため、フルモデルチェンジされることなく1999年に生産を終え、後継車はなく一代限りで消滅してしまいました。

●ホンダ3代目「アコードクーペ」

大型化されたボディを生かして伸びやかな美しいデザインとなった3代目「アコードクーペ」大型化されたボディを生かして伸びやかな美しいデザインとなった3代目「アコードクーペ」

 ホンダは1982年に、他社に先駆けてアメリカに生産拠点を設立。2代目「アコード」から現地生産を開始しました。

 さらに1988年にはホンダ初の試みとして、アメリカで企画・開発・生産をおこなったモデルとして、初代「アコードクーペ」を発売しました。

 アコードクーペは3代目アコードセダンをベースにしたスタイリッシュな2ドアクーペで、日本にも左ハンドルのまま輸入車として販売され、アメリカナイズされた内外装から人気を集めました。

 そこで、アコードクーペは1990年には2代目、1994年には3代目へとモデルチェンジし、同じく日本でも輸入車として販売されました。

 3代目はシリーズ初の3ナンバー専用ボディとなり、その大きなボディを生かしたエレガントなフォルムを実現。

 トップグレードの「SiR」には最高出力190馬力を誇る2.2リッター直列4気筒DOHC VTECエンジンを搭載し、トランスミッションはセダンには5速MTが設定されましたがクーペは4速ATのみと、あくまでもラグジュアリーなクーペというコンセプトで仕立てられていました。

 内装はセダンに準じた装備とデザインで、2ドアクーペながら後席のスペースも広くとられ、実用的なモデルといえました。

 また、ハンドル位置もSiRは右のみでしたが、「2.2Vi」グレードでは左ハンドルも設定されており、バブル期の名残ともいえる、左ハンドル信仰にも応えたかたちでした。

 しかし前述のとおり日本ではクーペ人気が低迷し、初代、2代目ほど人気とならず、この3代目をもってアコードクーペの国内販売は終了。

 北米市場ではその後も継続して販売され代を重ねましたが、2019年に7代目をもって生産を終え、アコードクーペは長い歴史に幕を下ろしました。

●三菱「FTO」

優れたハンドリングと画期的なATを搭載して高く評価されたFFスポーツカーの「FTO」優れたハンドリングと画期的なATを搭載して高く評価されたFFスポーツカーの「FTO」

 三菱は1971年に、ミドルクラスクーペの名車「コルトギャランGTO」の下位に位置するコンパクトFRクーペの「ギャランクーペFTO」を発売。

 その後、ギャランクーペFTOは1975年に生産終了となりましたが、1994年に本格的なFFスポーツカーである「FTO」が登場し、車名とともにコンパクトクーペの系譜が継承されました。

 ボディは2ドアノッチバッククーペのみで、抑揚がある立体的な造形による美しいプロポーションが特徴で、運動性能を重視したことから前後のオーバーハングを必要最小限に切り詰めるなど、機能的にデザインされていました。

 エンジンは1.8リッター直列4気筒と2タイプの2リッターV型6気筒が設定され、トップグレードの「GPX」には最高出力200馬力を誇る2リッターV型6気筒DOHC MIVECエンジンを搭載。

 トランスミッションは全車5速MTに加え、特筆すべきは4速ATで、人間の脳の判断機能に近い理論回路「ニューラルネットワーク」を採用し、最適なシフトタイミングが得られる「最適制御」、そしてドライバーの好みや技量に応じてシフトタイミングを修正していく「学習制御」が組み入れられました。

 さらにATながらマニュアル感覚でシフトチェンジが楽しめる、日本初のスポーツモードも採用。

 また、足まわりはフロントがストラット、リアがマルチリンクの4輪独立懸架で、FF車では随一のコーナリング性能を実現し、生粋のFFスポーツカーと評されました。

 FTOは「1994-1995 日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど多角的に評価され、好調なセールスを記録。しかし、次第に販売台数は下降していき、2000年に一代限りで生産を終了しました。

※ ※ ※

 発売時期が2022年夏に延期となってしまいましたが日産新型「フェアレディZ」の正式デビューが控え、トヨタ「スープラ」には近くMTモデルが追加される予定となっているなど、最新クーペが注目を集めています。

 しかし、どちらも600万円台を中心とした価格帯で、だれもが手軽に購入できるクルマではありません。

 たしかにこの価格帯は高額です。しかし、性能を考えるとグローバルではむしろ安いくらいで、やはり経済的に日本は世界から取り残されているといわざるを得ないでしょう。

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