1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. 経済

スズキが「47万円」の新車を販売!? 誰もが驚く低価格設定… 初代「アルト」はなぜ成功したのか

くるまのニュース / 2022年10月31日 14時10分

浜松の小さな企業であったスズキはいまや世界的な企業となっています。その立役者となったのが鈴木修氏。そしてその最初のクルマが初代「アルト」でした。スズキの成功を導いた初代アルトとはどのようなクルマだったのでしょうか。

■「アルト以前、アルト以後」と表現できるスズキ成功の秘話とは

 スズキの軽自動車「アルト」は、100年を超えるスズキの歴史のなかでも、トップクラスの重要な存在です。
 
 そんな初代アルトにはどのような開発秘話があるのでしょうか。

 スズキの歴史において「アルト以前、アルト以後」と表現してもいいくらいです。

 今、その初代アルトを見れば、小さくて質素なクルマにしか思えないかもしれません。

 しかし、その初代アルトほど、スズキに大きな貢献を果たしたクルマは存在しないのではないでしょうか。

 初代アルトが誕生する前までのスズキは、軽自動車専業で軽自動車業界のなかでも順位は4番目や5番目といったところ。

 上位はマツダや富士重工(現・スバル)やホンダが占め、スズキやダイハツは、その下という位置づけでした。

 また、1960年代には人気を集めた軽自動車は、1970年代に入って失速。日本全体のクルマの販売台数は伸びていたなかで、軽自動車だけが売れ行きを落としていきました。

 1971年には年間約120万台も売れた軽自動車が、1975年には60万台を切るほどに減っていたのです。

 その前の時代にあった3輪トラックのように「もう役割は終えた消えゆく車種」という見方さえありました。

 さらに、1970年代は排気ガス規制が厳しくなっていた時代です。それに対して、オートバイから自動車に進出したスズキは、軽自動車にも2ストローク・エンジンを搭載していました。

 ところが2ストローク・エンジンは排気ガス規制への対応が困難。スズキは2ストロークでありながらも、規制をクリアする新しい「エピック・エンジン」を開発しますが、技術的に無理と1970年代半ばに実用化を断念します。

 しかも、スズキにさらなる不運が降りかかります。1977年に2代目社長であった鈴木俊三氏が亡くなるだけでなく、創業者の鈴木道雄氏と現役の社長であった鈴木寛治氏が病に倒れてしまいます。スズキの経営陣が立て続けに倒れてしまったのです。

 軽自動車業界に逆風が吹いており、そのなかでもスズキは弱小であり、悪いことに技術的な自信をなくし、ベテランの経営陣もいなくなったというのが当時のスズキ。これほどひどい状況は、そうそうありません。

 そこに救世主が登場します。1978年に当時48歳であった鈴木修氏が新社長に就任します。

 鈴木修氏は、浜松の小さな企業であったスズキを世界的な企業に育て上げたカリスマ経営者です。新社長就任の翌1979年には、新型アルトが登場。

 つまり、修氏にとってアルトは、最初の勝負のクルマであったのです。

■常識外れの特徴をいくつも備えた初代「アルト」

 1979年5月に発売となった初代アルトは、大ヒットします。

 しかも、初代モデルだけでなく、現在に至るまでアルトは売れ続けており、2016年12月には国内累計販売台数500万台を突破。スズキの歴代ラインナップで、累計販売台数トップとなっています。

 しかもアルトは、日本だけでなく、より大きなエンジンを搭載してインドをはじめ世界中で発売。スズキを支える大黒柱のひとつという存在になりました。

 では初代アルトは、なぜ、それほど成功したのでしょうか。

 当時のスズキは、業界でも後ろから数えたほうが早い存在でしたし、新エンジンの開発に失敗するなど、技術的に優れていたわけでもありません。

 しかし、若き鈴木修社長の肝いりの新型車としてアルトには、それまでの常識を覆す工夫が数多く採用されていたのです。

 その最大の特徴は、低価格であったところです。当時の軽自動車は新車価格60万円台が標準的でした。

 しかし、初代アルトの発売価格は47万円。鈴木修社長が開発陣に「コストダウンのためにエンジンを取ったらどうだ」とまで迫ったのは有名な話です。

 もちろんエンジンなしでクルマは走ることはできません。しかし、それだけ極端な要求に開発陣が本気を出したというわけです。

 ちなみにコストダウンをしまくった初代アルトの内容は質素そのもの。後席の座席はべニア板で作られていたというから驚くばかりです。

世界的な大企業となったスズキだが…その発端は新車価格47万円の初代「アルト」にあった?世界的な大企業となったスズキだが…その発端は新車価格47万円の初代「アルト」にあった?

 また、初代アルトは乗用車ではなく商用車として発売されました。現在の「スペーシアベース」やホンダ「N-VAN」のような存在です。

 当時の乗用車には15%-30%もの物品税がかかっていました。

 まだクルマは贅沢品として見られていたのです。しかし、商用車の物品税はゼロ。これも初代アルトのお買い得度をアップさせます。

 さらに初代アルトは、47万円を全国統一価格としました。これは全国初の試みでした。

 当時は、生産した工場より離れるほどに、輸送費がかかるため地域によって販売価格が異なっていましたが、それでは「47万円!」と全国に向けて広告することができません。

 しかし初代アルトであれば問題ありません。テレビCMでもガンガンと「47万円」という安さをアピールすることができたのです。

 こうした数々の新しい工夫の結果、初代アルトは大ヒット。それに合わせてスズキは、軽自動車市場でのナンバー1の地位を獲得します。

 そして、アルトで得た儲けを使って生産設備を刷新し、さらには海外へ進出する力を蓄えてゆくのです。

※ ※ ※

 インドやハンガリーなどで世界進出を果たしたスズキは、世界でも有数の自動車メーカーに成長します。

 2021年のスズキの世界の年間販売台数は約282万台でした。これは100万台から200万台のマツダやスバルを上回り、200万台前半のBMWをも上回る数字です。

 そうした現在のスズキがあるのも、1979年に大ヒットした初代「アルト」の存在を抜きに考えることができないでしょう。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください