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えっ…「“原子力”エンジン」搭載!? 大手メーカーも検討! 斬新デザイン&アイデア採用の“夢マシンたち”とは

くるまのニュース / 2023年7月23日 19時10分

現代のクルマのエネルギー源といえば、ガソリンなどの化石燃料のほか、天然ガス、水素、電気など多岐に渡ります。しかし、1950〜60年代には「原子力」を用いることさえ考察され、いくつかコンセプトカーも発表されていたようです。どのようなクルマたちなのでしょうか。

■パワートレインは「原子力」?

 現代のクルマのエネルギー源といえば、ガソリンなどの化石燃料のほか、天然ガス、水素、電気など多岐に渡ります。
 
 さらに1950〜60年代には「原子力」を用いることさえ考察され、いくつかコンセプトカーも発表されました。

 戦禍の記憶も新しい1950年代。めざましく進歩する科学技術は、多くの人に「科学の進歩は人類を幸せにする」という夢を与えました。

 その中で原子力は「未来のエネルギー」として、航空機や船舶、鉄道などの動力源として開発が推進されました。当時は、原子力の持つ「負」の側面より、輝かしい未来への期待が上回り、真剣に「原子力が化石燃料にとって代わるだろう」と信じられていたほどなのです。

 やがてその「夢」は、なんと「原子力自動車」というアイデアまで生み出すことに。そしていくつかのメーカーはコンセプトカーを製作し、モーターショーに展示しました。それら5種類の原子力自動車をみていきましょう。

■スチュードベーカー・パッカード アストラル

 1958年1月に発表、同年3月のジュネーブショーに展示されたのが、アメリカのスチュードベーカー・パッカードが製作した「アストラル(Astral)」です。

「アストラル」は、通常のクルマというより、かなり非現実的な発想が盛り込まれていました。ジャイロを用いた一輪走行を基本として、原子力機関の搭載、ホバリング走行、さらには宇宙飛行まで可能とされていたようです。

 透明のキャノピーを持つコクピットを持つデザインも、クルマというよりは「宇宙船」のような趣きでした。

 1/1のモックアップが製作されたものの、現実には実現不可能だった原子力機関は搭載されませんでした。各地のスチュードベーカーのディーラーで展示されたのち、行方不明に。

 のちに発見されてレストアが行われ、現在はインディアナ州にあるスチュードベーカー・ミュージアムに展示されています。

■フォード ニュークレオン

 アメリカのフォードが1958年2月に発表した「ニュークレオン(Nucleon)」は、短いボンネットと小さなキャビン、車体後半に偏ったタイヤ配置など、未来的なデザインが特徴のコンセプトカーでした。

 ボディ後半に突き出たアームのセンターには、小型原子炉を搭載するパワーカプセルを吊り下げる構造になっていました。このパワーカプセルは、ドライバーの要求に応じて異なる出力のカプセルと交換が可能で、中には最大で5000マイル(8000km)も走れる仕様も考えられていたようです。

 走行できる期限(クルマでいうならガス欠)が来ると、新しいカプセルに交換を行うことを想定しており、その作業を実施するステーションは、未来のガソリンスタンドのような存在になる、と想像されていました。

 しかし、当時の技術では(いえ現在でも)、小型原子炉の製作が不可能だったことはいうまでもありません。実車は作られず、8分の3スケールの模型のみの製作に終わっています。

■アルベル・シンメトリック

 アストラルと同じく1958年のジュネーブショーで発表された原子力自動車が、「アルベル・シンメトリック(Arbel Symetric)」です。

 フランスの自動車のセールスマンかつアマチュアのエンジニアでもあったカシミール・アンドレ・ルビエールが設計。フランス領インドシナで会社を経営していた弟、モーリス・ルビエールから資金提供を受け、開発に着手しました。

「シンメトリック」という車名の通り、前後対称の外観を特徴としたこのクルマは、フランス4大メーカーのひとつだったシムカの1100ccエンジンを動力源に、4つのインホイールモーターで走行するという、現代にも通じるシリーズ式ハイブリッドシステムが用いられていました(ただしインホイールモーターのアイデア自体は、1900年〜1910年頃にはすでに、ポルシェの生みの親・フェルディナンド・ポルシェが考案しています)。

 しかし、ショーでの反響が芳しくなかったことから、ルビエール兄弟は1951年創業の自動車メーカー・アルベルと組み、翌年のジュネーブショーで新しい「シンメトリック」を展示。アメリカナイズされたボディの中には、ガソリンエンジンのほか原子力機関の搭載が想定されていました。

その機関とは、40kWの電力を発生する原子力電池「ジェネスタトム」。燃料には核廃棄物を使用し、その交換は5年ごとでよい、とされていました。

 ところがフランス政府は、核燃料の使用を認めない姿勢を崩さなかったため、実際の開発は行われなかったようです。その後アルベルは生産車を作ることなく、ひっそりと会社を解散しています。

■シムカ・フルグル

 シムカが1958年に設計し、1959年のジュネーブショーに展示した原子力自動車「フルグル(Fulgur)」は、「スチュードベーカー・パッカード アストラル」のように、一般的なクルマの概念ではくくれない姿と設計で登場しました。

まるで昔のSF…シムカ「フルグル」まるで昔のSF…シムカ「フルグル」

 2000年のクルマを想像して開発された「フルグル」は、「音声コマンドとレーダーによる自動運転」「動力源に原子力あるいは燃料電池を使用」「150km/h以上になると4輪のうち前輪が格納され、ジャイロスコープによって2輪走行する」「道路からの給電」などが可能とされていました。

 そのうち「音声コマンド」「自動運転」などは、現代においても開発が進んでいる項目でもあり、「フルグル」の先見性がうかがえます。

 まるで宇宙船、あるいはSFに出てくる小型艇のようなデザインは、のちにシトロエン 「CX」やルノー「25」のデザインで名をはせるロベール・オプロンによるものでした。

 フルグルは走行可能な実車が製作されましたが、こちらも原子力機関の搭載は行われず、内燃機関もしくは電池によって動いていたと推測されています。

■フォード シアトリティ XXI

 ここで紹介する最後の原子力自動車は、1962年にシアトル万博で発表された「フォード シアトリティ XXI(21)」(Seattle-ite XXI)です。

 ニュークレオンに次ぐフォードの原子力自動車ですが、「シアトリティ」では、ニュークレオンでは後部に置かれていた原子炉を前方に移動。一方でニュークレオン同様、用途に合わせたパワーユニットを選択できるよう、車体前部の脱着が可能でした。

 前輪は、操縦安定性やブレーキ力の向上を目指して4つに増やされており、しかもその前輪が駆動軸という、いわゆるFF方式となっていました。

 斬新な外観に劣らず車内も先進的で、ステアリングホイールの代わりにダイヤル状の制御装置を備えていました。前席の前にはマップが表示できる横長のモニターが置かれ、コンピューターによるナビゲーションシステムさえも組み込まれていた、とうたわれていました。

 このクルマもニュークレオン同様に8分の3スケールの模型のみが作られたに過ぎません。原子力機関も、夢のようなナビゲーションシステムも、当時ではまさに「夢」だったため、もし現実的に実車が製作されたとしても、それらの搭載は不可能だったでしょう。

 しかし、シアトリティは先見性をよく体現したコンセプトカーとして、現在でも高い評価を受けています。

※ ※ ※

 その時代では多くの人が夢や希望と感じていた技術も、時代の移り変わりによってその捉え方は大きく変化していきます。

 いま、私たちが乗っているクルマも、数十年後にはどのように捉えられ、評価されているのか知る由もありません。

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