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千葉にある謎の「巨大円形道路」の正体は!?「UFOが描いた」の噂も 住宅地に「明らかに不自然な」直径800mのミステリーサークル

くるまのニュース / 2024年5月29日 16時40分

地図で千葉県船橋市を見ると、西船橋駅の北東あたり、JR武蔵野線の線路の東側に、謎の「環状道路」があるのが分かります。コンパスで描いたように、きれいな円形になっている、この謎の道路はなぜうまれたのでしょうか。

■周囲から明らかに浮いている「巨大な円」

 地図で千葉県船橋市を見ると、西船橋駅の北東あたり、JR武蔵野線の線路の東側に、謎の「環状道路」があるのが分かります。
 
 コンパスで描いたように、きれいな円形になっている、この謎の道路はなぜうまれたのでしょうか。

 この道路は直径が約800mで、中央を千葉県道「船橋松戸線」が南北に貫いています。環状道路自体は2車線の生活道路で、西端ではJR武蔵野線の線路で一部分断されています。

 円形道路の内部には「行田団地」が立ち並び、中央は逆くさび状に「行田公園」が広がっています。

 あまりにきれいな円形のため「UFOが描いた」などと噂される空間となっていますが、歴史は大正時代にさかのぼります。

 かつてここに、旧日本海軍の「船橋送信所」という無線通信の基地がありました。1915(大正4)年に完成しています。

 円形の敷地の中央に高さ200mに達する電波塔が経ち、そこから長波無線によって電信線もいらず情報を飛ばせるようになり、遠く離れたアメリカ本土とも通信が可能でした。

 もっとも、戦時中はもっぱら軍事目的で使用され、1941年12月の真珠湾攻撃を指示する暗号「ニイタカヤマノボレ1208」もここから発信されたといいます。

 戦争が終わると役目を終え、円形の土地もアメリカ軍のものになります。1966年に日本へ返還されると再開発のため、廃無線塔は1971年までに解体されてしまいました。その後、行田団地は1976年に着工しています。

■そもそもなぜ円形なの?

 ところで、なぜ無線通信の基地はこのように円形である必要があったのでしょうか。

 実は電波塔は、高い塔(主塔)が1本あっただけではなく、周囲に低い塔(副塔)が18本、取り囲むように立っていました。

 大正前期の当時は、強い送受信力を発揮させるため、主塔~副塔にクモの巣のように電線の網を張り巡らせ、面的なアンテナによって運用していたのです。

 この「取り囲む18本の副塔」までが無線基地の敷地となっていたため、必然的に円形、具体的には「正18角形」を形作ることになったのです。

 なお電信技術の発達は早く、昭和に入ると「短波」の普及によって、もっと強く電波を飛ばせるようになりました。もはや大げさな「クモの巣状」の通信基地を作る必要もなくなってしまったのです。

 そのため、日本を見回しても、「円形の通信基地跡地」は数えるほどしかありません。首都圏でもっとも身近な例は、横浜市泉区にまたがる「深谷通信施設」です。

 こちらは一回り大きい直径1kmで、完成は船橋より2年早い1913年です。中央を県道阿久和鎌倉線「かまくらみち」が南北につらぬいています。2014年にアメリカから日本へ返還され、公園として再開発される計画です。

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