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道路計画に墓地がジャマ…それでも「アクロバティック道路開通」させた場所が都内にある!? 移転無しに「爆速完成」実現した「ウルトラC」な方法とは!?

くるまのニュース / 2024年6月14日 7時40分

墓地が移転できず、道路が完成できない…そんな案件が話題になりました。いっぽう同じ東京都内には、墓地が移転できなかったのに道路を開通させたケースもあるようです。

■墓地の移転が難航 どうする? 昭和の「超ビックリ」解決策とは

 東京都練馬区内で、都市計画道路の建設が「墓地」の移転問題で進んでいないという案件が、全国的に話題になりました。
 
 いっぽうで、墓地があるにもかかわらず「そのまま道路を開通させた」ケースが、都心にあります。一体どういうことなのでしょうか。

 今回話題になったのは、新宿区から関越道へのアクセスを担う「目白通り」をそのまま延伸する区間です。

 戦後すぐからある都市計画道路「放射第7号線」として、練馬ICからまっすぐ西進し、大泉学園を経由してそのまま新座市、西東京市方面へ伸びていく、東京・埼玉の東西軸を担うことが期待されています。

 その延伸区間、ほとんどの用地取得は終わったにもかかわらず、1件の墓地が道路予定にかかっていて、その移転交渉が難航しており、なかなか開通に至っていないのです。

 交渉の主軸は、道路用地の移転はいいものの、用地にかからない残りの墓地もあわせて移転補償すべきだ、このままでは寺の境内が分断されてしまうというもの。東京都はあくまで道路用地部分しか補償できないとして、話が平行線を辿っています。

 都側が折れて移転補償に応じるのか、寺側が「境内分断」を受け入れるのか、今後の動向が注目されています。

 ところで、同じように都市計画道路のど真ん中に墓地があったものの、強引に開通に漕ぎつけた道路があります。

 それは、明治神宮と国立競技場をむすぶ道路にある「千駄ヶ谷トンネル」です。

 ここには山があるわけでなく、墓地の真下を通っていることでトンネルになっています。その事情から「心霊スポット」として取り上げられることもありますが、そのトンネルの歴史は60年前にさかのぼります。

 千駄ヶ谷トンネルの開通は1964年、当時の東京オリンピックに間に合わせて、国立競技場アクセス道路として整備されました。

 戦後復興の日本の威信をかけたオリンピック対応として、「やっぱり間に合いませんでした」ということは絶対あり得なかったのかもしれません。

 墓地を所有する寺院側は道路整備そのものに反対で、移転交渉は難航。結局「ウルトラC」な解決策として、墓地の真下に道路を通すことに決定されたのでした。

 頭上にある「仙壽院」は、道路の北側に本堂があり、道路を挟んで南側にも墓地が広がっています。もしこの案件で「道路用地だけ移転補償します」となれば、やはり境内は完全分断になっていたかもしれません。

 戦後急速に都市化が進行した東京都。終戦からの「都市再建」として、1946年にさっそく壮大な都市計画道路網を策定しましたが、約80年が経過した今でも、多くの計画が道半ばのままで残されています。

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