明智光秀、本能寺には行かず? 金沢の古文書、家臣の証言

共同通信 / 2021年1月4日 19時15分

明智光秀の肖像画

 織田信長が配下の明智光秀に討たれた本能寺の変(1582年)を巡り、光秀が本能寺(京都市中京区)の現場に居合わせていなかったとする学説が出てきた。金沢市に現存する古文書に、光秀は本能寺から8キロ離れた鳥羽(京都市南部)に控えていたとの家臣の証言があることが富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)の調査で4日までに判明した。

 映画やドラマでは光秀本人が軍を率いて本能寺に向かったように描かれるが、明確に裏付ける史料はないという。

 萩原主査学芸員によると、古文書は金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵の「乙夜之書物」。

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