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上田正樹R&B BAND Special Guest:永井“ホトケ”隆・山岸潤史 公演に向けて上田正樹インタビュー公開!

共同通信PRワイヤー / 2024年9月3日 12時0分


――80年代では「悲しい色やね」の大ヒットがありました。

「時代の変化とともに音楽シーンにも変化があって、80年代に入ると歌謡曲が主流になっていました。僕自身はずっとアンダーグラウンドでいいと思っていたんです。でも、外から歌謡曲を批判するのはやめようと思って、一回自分で歌謡曲をやってみて、それが自分の体に馴染まなかったらやめればいい、そんな気持ちで入っていきました。『やっぱり馴染んでないなぁ。やめようかな』って思った頃にレコーディングしたのが「悲しい色やね」だったんです。それが売れまして。あの時代に出したからこそ売れたのかなと思いますね」


【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202409025767-O2-ntu9wTtO


――その後もライブで歌い続けてこられて、最近では歌謡曲というより、“R&B”といったほうがしっくりくる感じのアレンジになっていますね。

「そうなんですよ。あの曲も自分の中でどんどん変化を遂げていって、今、すごくR&Bになっています。この曲に限らず、自分の中のベーシックみたいなものとして“R&B”が出来上がったかなって思うんです。50年くらい掛かりましたけど(笑)」


――現在のバンド名が「上田正樹 R&B BAND」というくらいですから。

「僕の師匠的存在はレイ・チャールズです。彼の演奏は日本は勿論、海外もあわせて数えきれないほど生で聴いていて、僕のことを“マサキ”って呼んで可愛がってもらいました。『あなたにとって音楽とは何ですか?』って聞いたら『“血”のようなもの』って答えたんです。歌や演奏からいろんなものを感じたり、学んだりしました。まだ“血”まではいかないかもしれないけど、今、僕の皮膚の下に“音楽”がある感じはします。体の一部になってきたかなって」


――今回のライブも含め、近年ますます積極的にステージに立たれている印象があります。

「 僕も75歳になりましたし、周りの仲間のミュージシャンが亡くなったりすることもありますから、やれるうちはライブをやろうと思っています。生存確認みたいなところもありますね(笑)。それと、今、声の調子がいいんです。20代の終わり頃、アメリカのボイストレーナーに教わったことがあって、『背骨を使え』って言われたんです。当時は、『どういうこと?』って感じだったんですけど、50代になってから、ステージで歌ってる時に分かったんです。『背骨を使うってこういうことやったんか!』って。そこから声が出るようになって、70超えてからも声の調子はどんどん良くなってて、『今が一番声出てる』って言われるんです。なんか、50年くらい経って、自分の中で“R&B”というベーシックが出来上がったような気がしますし、声の調子もいいですから、本当、今ここからがスタートやと思ってます。上田正樹がR&Bを歌って、世界中に届くような歌をこれから作っていきます」

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