「日本は貧しかった」京都の遊郭の「生き証人」が語る 「男の川」の栄華と抗えぬ運命の陰
京都新聞 / 2024年1月20日 6時0分
人気アニメ「鬼滅の刃」の舞台にもなり、独特の趣を醸し出すたたずまいが近年、注目を集める遊郭。妓楼だった建物が残る街並みを目当てに、京都府八幡市の旧橋本遊郭を観光客が訪れる。京都と大阪を結ぶ京街道に沿って広がったその街に今、かつての栄華と陰を語る女性がいる。
両親が妓楼を経営した戦後、娼妓(しょうぎ)たちの生きざまに間近で触れた。大阪府との境に位置し、大勢の労働者が押し寄せた遊郭には、貧しさ故の現実があった。不夜城の灯が落ちて70年近く。女性の証言が、埋もれ消えゆく歴史の断片を浮き彫りにする。
女性は地元で生まれ育った80歳。婿養子の父親は警察官だったが、第2次世界大戦で召集されて憲兵になったことから、終戦後に公職を追放された。家族を養うため、妓楼を買い取って経営を始めた、という。
「子どもの頃、外で缶蹴りやビー玉遊びをしていて、午後5時になったら親から『家に入りなさい』と言われたもんです。夜になるとネオンがともってね。道はもう『男の川』。男の人ばっかり。端から端に渡れなかった」
幅5メートルほどの街道沿いに妓楼が並んだ往時の遊郭には、大勢の客が川の流れのように歩いた。
橋本遊郭では一般的に、妓楼の1階で経営者一家が生活し、上階の部屋で娼妓が働いたという。女性の妓楼には7、8人の娼妓が在籍した。一家から源氏名で呼ばれたその存在は、女性にとって「お姉さん」のようだった。食事を共にし、学校から帰ってきた女性を迎え入れてくれた。
父からは、地元で「紹介人」と呼ばれた人身売買業者と一緒に九州へ赴いた経過を聞いたことがある。娘を売った家族は、水揚げした魚を入れるトロ箱を浜辺に積み上げ、縄でくくって家にしていたという。娼妓となったその娘は、文字が読めなかった。
妓楼には直接、娼妓の親が、さらなる借金を頼みに訪れることもあった。返済が完了した頃を目がけて妓楼の玄関の前に立ち、現れた娘と言葉を交わす場面の記憶が女性には残る。
「日本は貧しかった。どうしても努力では解決できない運命があった」。それでも女性にとって印象深いのは、親兄弟のために役立っていると自負していた娼妓たちの姿だ。
「お母ちゃん」。妓楼を切り盛りした女性の母親は晩年、遊郭を離れた元娼妓からそう呼ばれ、慕われたという。「お金本位だけではなかったと思う。情のある人やった」。女性は、母の人柄を物語るエピソードを明かした。
恋に破れて心を痛め、かりそめの関係を求めて妓楼を訪れた男性がいた。あてがわれた部屋のたんすに、足袋やひもを整理整頓して収める一人の娼妓の生真面目さに引かれて通ううち、求婚した。その娼妓が妓楼から男性へ嫁ぐ時、女性の母は、夫婦となる2人が正装した姿を、出入りの写真業者に撮影させた。娼妓に「もしも子どもができたら、『結婚式の時に撮った』と言って見せてあげ」と記念写真を持たせたという。
一方で女性は思春期、自らを卑下した。父の職業を周囲に明かすことはできず、京都の私立中学校へ通う際は、父は親戚が経営する会社へ務めていると偽った。「なんでこんな商売をしたのか。恥ずかしい」と父をなじった。その後の会社勤めや私生活でも、親が遊郭を経営していた事実が尾を引きずった。
1958年、中学2年の頃に売春防止法によって遊郭が廃止となり、橋本では多くの妓楼が下宿屋へ商売替えした。中には旅館業へ転じ、温泉を掘削して「淀川温泉」の看板を掲げた家もあった。今では一般的な住居へ建て替えが進み、一帯は住宅地になった。
近年、旧妓楼を買い取った新たな住民が旅館や喫茶店として営業し始め、見学者が界わいを歩くようになった。建築家や女性労働史の観点から研究者も訪れた。
「単に女性が春を売っただけの場所ではない。掘り下げるような歴史がこの街にあるのだ」と女性は心を動かされた。
3年前、まち歩きを企画する「まいまい京都」の活動に協力し、ガイド役を引き受けた。昨年10月のツアーでは、定員いっぱいの20人を案内した。
「このまちで生きてきたことは運命だと割り切っている。私の言葉に誰かが共鳴してくれたら」
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