トヨタを3年で退社、収入半減 安定を捨てた元サッカー選手が「最貧州」で得た天職
京都新聞 / 2024年4月30日 6時0分
立命館大サッカー部出身の男性が、インドの最貧州でサッカーチームを作り、子どもたちの夢の実現に向けたサポートを続けている。かつてプロを目指したサッカー少年は夢が絶たれた後も、世界的企業への就職を実現させ「成功」を手にしたように見えた。だが、わずか3年で安定した生活を捨て、差別が色濃く残るインドのへき地へ移った。30歳の若者は何を目指し、どう生きようとしているのか。彼の人生の「選択」に迫った。
岡山県倉敷市出身の萩原望(はぎはらのぞむ)さん(30)。2021年6月からインド北東部ビハール州の農村で仕事の傍ら毎日、子どもたちとサッカーボールを蹴っている。サッカーの指導だけでなく、衛生面や栄養面の啓発など教育支援にも無償で取り組む。
同州はインド全28州の中で「カースト」の最下層の人が多く住む地域の一つだ。水道や電気などのインフラ設備は不十分で、泥やわらで作った家が少なくない。子どもへの教育も遅れており、女性は幼少期から家事や育児を手伝う。外出の機会が少なく、「児童婚」も多いという。差別が根強く残る地域で、萩原さんが使命に掲げるのは「努力した人が報われる社会にどれだけ貢献できるか」だ。
3歳からボールを追った。センターバックを任され、京都サンガFCの下部組織出身の原川力や久保裕也らとともに、小学時代から中国選抜で活躍した。高校時代には当時J1だった大分トリニータのユースに誘われた。コーチングを武器に主将も務めたが、トップチームへの昇格はかなわなかった。
プロサッカー選手になって「周囲にポジティブな影響を与えたい」と思っていたが、将来を考える中でそれは他の道でも実現できるのでは、と気付いたという。視野を広めようとスポーツ推薦で立命大産業社会学部へ進み、教職を目指した。
だが、大学生活は漫然としていた。サッカー部の活動が中心の毎日で、大学の講義は終わりかけにのぞき「出席確認」だけを出して帰ることもあった。
半年ほどがたち、友人から紹介を受けた同級生との出会いがターニングポイントになった。ジャマイカで野球の普及活動をしたり、南アフリカでスラム研究に取り組んだりする行動力に触れ「こんなやつがいるのかと衝撃を受けた。自分はこのままでいいのか」。憧れや危機感が全身を駆け抜け、生活を一から見直した。
講義は常に最前列で受け、興味がある他学部の講義も率先して聞いた。京都市内のNPOに入り、教育支援のボランティア活動に参加した。京都市内で街頭活動していた国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に興味を持ち、定額募金も始めた。部活動ではトップチームの試合に出場し続け、4年生の時には副主将として天皇杯出場も果たした。「教授やサッカー部員以外の学生、外部のコミュニティーとのつながりができ、世界が広がりました」
海外で活動したいという気持ちが高まり、卒業後はトヨタ自動車に就職して海外赴任を目指した。多忙なサラリーマン生活に不満はなかったが、目標の実現に時間がかかることも分かった。UNHCRから毎月届くニュースレターを見て、世界の紛争地や難民の様子に気持ちが揺らいだ。「もっとダイレクトに途上国の人と関わりたい」。3年後に退職し、国連職員を目指して海外へ飛び出した。
実務経験を積むため、京都市中京区のNGO「日本国際民間協力会」(NICCO)を通じて2021年3月からインド東部のビハール州に赴き、有機農業の普及支援プロジェクトに携わった。夏は気温が50度近くに達し、ネズミやヤモリが何匹も家の中を走り回る劣悪な環境で貧困を肌で感じたが、「こういうところへ来たかった」とも思った。
ある日、仕事の合間にボールを蹴っていると、はだしの子どもたちが「一緒に蹴ろうよ」と集まってきた。子どもたちの熱心な姿に触発され、サッカーの指導を始めた。子どもたちが萩原さんの愛称「ノノ」を取って、Tシャツに「FC Nono」と書き始めたことで自然とチームが生まれた。
成功体験を味わわせたいと、自腹を切って遠征を企画したり出席の多い子を表彰したりするなどの工夫も凝らした。ユース時代に同期だった為田大貴(現C大阪)らの支援も受け、ユニホームやスパイクも配った。教育体制の不備を憂い、体の部位や病名を鬼ごっこ形式で覚えさせたり、手洗い啓発ビデオを見せたりもしてきた。
当初は男の子だけが参加していたが、口コミで広まってチームは50~60人に膨らんだ。女の子は半数を超え、小さい子にサッカーを教える「キッズリーダー」も育った。
「自分たちもやっていいんだということが分かった瞬間、女の子たちがすごく輝いたんです」と萩原さん。ジェンダーを新たな課題として捉え、全寮制の女子サッカーアカデミーの設立を今後の目標に掲げた。教科教育の実践も視野に入れ、「質の高い勉強とサッカーができる環境をつくりたい」と意気込む。
NGOのプロジェクトは22年春に終了したが、萩原さんは現地で働きながら指導を続けている。収入はトヨタ時代の半分に減った。それでも萩原さんの表情は明るい。学生時代から現状を打破する努力を重ね、たどり着いた今の活動が「天職」だと思えるからだ。「子どもたちに元気をもらうだけでなく、自分の価値を感じられる。生きる道を与えてもらったという感じですね」とほほえむ。
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