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今くるよさん死去 「どやさ!」ににじむ京都愛 いくよさんとの軽妙漫才親しまれ

京都新聞 / 2024年5月28日 19時15分

華やかな舞台衣装で「どやさ!」ポーズを決める今くるよさん(左)と相方のいくよさん(2014年12月、京都市東山区)

 「どやさ!」に象徴されるように、京都の言葉が漫才を彩った。27日亡くなった今くるよさん。同じく京で生まれ育った今いくよさんとのコンビで、1980年代の漫才ブームをけん引した。新人の頃に鍛えられた新京極の京都花月、KBS京都の名物ラジオ番組、ベテランとしてトリを飾った祇園花月…。京都愛にじむ軽妙なやりとりが親しまれた。

 「私ピッチャーでエース。くるよちゃん、キャッチャーでロース」―。いくよさんがボケると、くるよさんが目を丸くして「誰がロースやねん」と突っ込む。「そんなとこ(肩)から足出して」などと並ぶ鉄板ネタだった。

 壬生寺近くで生まれ育ったくるよさん。明徳商業高(現京都明徳高)の強豪ソフトボール部で、いくよさんと出会った。いくよさんは実際はキャプテンも務めるセンターの強打者、くるよさんはマネジャーだった。

 卒業後、京都でOLとして働いていた時、無二の親友となったいくよさんを誘って吉本のオーディションを受けた。芸名は師匠今喜多代さんにちなみ、目がくるっと丸いから「くるよ」になったという。

 漫才ブーム直前まで京都の実家で暮らし、劇場へ通った。「京都花月は、お客さんから『頑張りよし』という思いが伝わる。ほんま漫才やっても、うちら京都弁やしね。『どやさ』も思わず出た言葉です」と故郷への親しみを語っていた。

 KBS京都ではラジオ番組「はりきりフライデー」のパーソナリティーを90年から16年間務めた。2011年にオープンした祇園花月では、イメージガールとして劇場の顔となり、デビュー40周年公演(12年)などで節目を飾った。

 いくよさん死去後も“ピン芸人”として活躍。大御所でありながら、「おばあちゃんになっても、いつまでも『くるよちゃん』のままであり続けたい」と語り、親しみやすい人柄で愛された。

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