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「女性はトラックに積み込まれ、凍った死体が山積み」ソ連軍の襲撃、87歳男性が語る終わらない戦争

京都新聞 / 2024年7月3日 7時0分

引き揚げ中に亡くなった母の遺影を脇に置き、命からがら帰国した経験を語る黒田雅夫さん(南丹市園部町・園部小)

 太平洋戦争中に旧満州(中国東北部)に満蒙開拓団として渡り、引き揚げ中に孤児となった黒田雅夫さん(87)=京都府亀岡市西つつじケ丘=が、南丹市園部町の園部小で講演した。ソ連軍の襲撃や、次々と家族の亡くなった収容所生活について6年生に語り、平和の大切さを訴えた。

 黒田さんは亀岡出身で、7歳のとき一家で吉林省に入植した。講演では、祖父、母、弟や他の開拓者らとの逃避行を振り返った。

 闇に紛れて何日も歩き、吉林駅に近い劇場に避難した。だが「ソ連兵5人がドアを蹴って入り、機関銃を天井に撃った。皆死んだまねをしたが、女性はトラックに積み込まれた」と恐怖を語った。

 鉄道で収容所に移された一行は、氷点下25度の寒さと伝染病に苦しんだ。凍った死体が山積みだったと、自作の絵で説明。まず祖父が亡くなり、弟は中国人に預けられた。ある朝、母も亡くなっていた。遺体を運びながら「絶対に生きて帰る」と決意したという。

 路上生活を経て教会に保護され、1946年7月に舞鶴へ到着。孤児たちの帰国が京都新聞の記事となり、名前も年齢も誤っていたが、「もしや」と感じた叔父が迎えに訪れ、亀岡に帰着できた。

 雅夫さんは「命や家族がどれだけ大切か考えて」と訴えた。

 息子の黒田毅・園部中教諭も登壇し、ウクライナやガザ地区の現状を挙げ、「戦争は昔話ではない」と強調。生き別れた雅夫さんの弟は、後に帰国したが「『なぜ置いていったの』という思いがあり、今も兄弟で腹を割って話せない。79年たっても戦争は終わっていない」と語った。

 講演は6月27日にあり、約100人が耳を傾けた。6年の長主友誠さん(12)は「家族を亡くし、どんなにつらかったかと想像しながら聞いた」と話した。

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