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戦意高揚に大々的に利用された、ある神風特攻隊員の死 「たたえる歌」の歴史を明らかに

京都新聞 / 2024年8月23日 6時30分

特攻隊員をたたえる歌「嗚呼 西村少尉」について講演する原田さん(南丹市園部町・アスエルそのべ)

 太平洋戦争中、旧須知町(現京丹波町)から神風特別攻撃隊員となり、死をたたえる歌「嗚呼(ああ) 西村少尉」が作られた西村克己さんについて調べた元高校教員が、南丹市園部町で講演した。死が戦意高揚に利用された歴史を明らかにし、記憶を記録としてつなぐ必要性を訴えた。

 西村さんは、22歳だった1944年にフィリピンで特攻死し、戦意を駆り立てる歌が故郷で作られた。

 戦後忘れられていたが、元高校教員の原田久さん(72)=園部町=が2年前、地元声楽家らの協力を得て楽譜から歌を再現し、京都新聞が伝えてきた。

 17日に開かれた講演では、再現録音された歌「嗚呼―」が会場に流された。「突撃す 愛機と共に」「いざ続け 五百の学徒」と、ピアノ伴奏の勇ましい曲調が響いた。

 原田さんは、関係者への聞き取りを基に、西村少尉は志願前、教員養成所の温和で優秀な学生だったと報告。「嗚呼―」は町葬で歌われ、教師が「(特攻後に特進した)西村大尉に続け」と生徒をあおるなど、死が大々的に利用された経緯を解説した。

 だが戦後は「ふたをされ、顧みられなかった」という。学校や地域の手のひら返しについて、原田さんは「歴史に正面から向き合わず、あいまいさを残した」と指摘した。

 西村さんの後輩だった京丹波町市森の山本清次さん(95)も講演に出席。須知農林学校生だった44年に木製飛行機に乗る滑空部の訓練中、来校した西村さんに「滑空は飛行訓練の基礎だ」と励まされた。町葬も学校から参列を指示され、「嗚呼―」を歌ったと証言した。

 山本さんは、西村さんに倣うことを教師から「命令調」で促され45年3月、予科練に入隊した。原田さんの調査が「よい供養になり、感謝している」と述べた。

 講演は憲法9条そのべの会が主催した。大阪商業大の西岡尚也教授も沖縄戦や現在まで続く課題について講演し、約20人が聴いた。

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