消えゆく戦後彩った菊竹建築 あす閉店の西武大津店、段丘状のテラス・階段の造形美…解体へ

京都新聞 / 2020年8月30日 8時30分

現在の西武大津店。地域のランドマークとして長年親しまれた

 戦後日本の建築史を彩った建築家菊竹清訓(1928~2011年)の佳作が各地で姿を消しつつある。滋賀県では8月末で営業を終える西武大津店(大津市)が解体後にマンションになる見通しで、近代建築に詳しい専門家からは惜しむ声が上がる。調べてみると、菊竹建築と京都府の意外な接点も見えてきた-。

 西武大津店は、西武グループ発祥の地である滋賀で初の百貨店として76年に開業した。段丘状に突き出た屋外テラスと、建物の左右に配された階段の造形美が目を引く。運営するそごう・西武(東京)の担当者は西武百貨店を中核として70~80年代、新たな生活様式を発信し一時代を築いた西武の「セゾン文化」を引き合いに出し、「建築分野で当時活躍されていた方を起用したのではないか」と推測する。

 大津店は経営不振から8月いっぱいで44年の歴史に幕を下ろす。土地・建物を取得したゼネコン大手の長谷工コーポレーション(東京)は閉店後に取り壊し、跡地にマンションを建てる計画だ。

■信金63店舗を設計、開放的な内装と傘状の屋根

 一方、菊竹氏は71~93年、京都信用金庫の本店をはじめ京滋を中心に計63店舗の支店群を手掛けた。その背景には、京信の理事長だった故榊田喜四夫氏が京都の文化人らに呼び掛けて設立した民間シンクタンクのシィー・ディー・アイ(CDI、京都市中京区)の存在がある。

 CDIは、地域に根ざしながら経済成長だけでなく文化振興にも寄与する金融機関を目指した榊田氏が掲げた「コミュニティ・バンク論」の具現化に向け、京信の店舗づくりや行員の制服、通帳などのデザイン業務全般を一手に受託。CDI所長を務めた建築評論家の故川添登氏を通じて菊竹氏に設計を依頼した。

 中でも代表格として知られる修学院支店(左京区)は、壁や間仕切りのない開放的な内装と傘状の屋根が特徴。京信によると、街並みにとけ込む支店群は93年までに60超を数えたが、近年は店舗の老朽化や再編などから解体されたものも20に上るという。


■「経済理論で取り壊し」に危機感

 惜しくも実現しなかったのは、国立京都国際会館(左京区)だ。大地に力強くせり立つような菊竹案はコンペの最終候補に残り、高評価を得ていたとされる。本人は「記念すべき設計となった。入賞の栄誉を担ったことは望外の喜びであった」と後に記している。

 生前に交流があり、文化庁が2014~15年に主催した菊竹氏の展覧会にも関わった京都工芸繊維大の松隈洋教授(近代建築史)は、前衛的なアイデアに技術面が追いつかなかったと、同時代の気鋭の建築家に共通する未熟な点を認めた上で、功績について「60年以降に先駆的な仕事を残した」と指摘する。

 松隈教授は大津店の解体を惜しみつつ「戦後に建てられた、街中の身近な建築は価値が意識されない間に経済理論だけでどんどん壊されていく」と危機感を募らせる。

 きくたけ・きよのり 代表作に自邸のスカイハウス(東京)やホテル東光園(鳥取県)などがある。大阪万博エキスポタワーや旧都城市民会館(宮崎県)は現存しない。1960年に新陳代謝を意味する思想集団「メタボリズム」を建築家の故黒川紀章氏らと結成、環境の変化に応じて有機的に成長する都市や建築を提唱し、海外にも影響を与えた。2000年には「今世紀を創った世界の建築家100人」に選出された。現代建築を代表する伊東豊雄、内藤廣、長谷川逸子さんらを育てた。福岡県出身。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング