“愛妻家アピール“で事件を封印!? 猪瀬直樹の厚顔無恥ぶり

リテラ / 2014年11月8日 19時0分

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 やっぱり猪瀬直樹は猪瀬直樹だった。──医療法人「徳洲会」グループから5000万円の資金を受けていたことが発覚して辞任し、その後沈黙を続けていた猪瀬直樹前都知事が、先日『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジンハウス)を上梓した。

 約1年ぶりの表舞台への復帰でもある本作だが、当然、注目されるのは徳洲会からの資金提供の"真相"だ。......しかし本書は、タイトルからもわかるように冒頭から、昨年急逝した妻・ゆり子さんへの想い、そして出会いから闘病までの"愛の物語"に埋め尽くされていた。そう。徳洲会事件の際、追求された猪瀬が「妻が、妻が」と連呼し、「口なしの死者に責任転嫁するのか」と批判を浴びた、その妻である。

 物語は2013年5月、ゆり子さんの発病から始まっている。愛犬の死をゆり子さんの発病に関連付けて、猪瀬は感傷的にこう記している。

「ゆり子と一体だった愛犬は、自分の運命をゆり子と重ね死期を悟ったのだろうか」

 ゆり子さんは愛犬の死と同時期に言葉が出てこないなどの不調をきたしていた。当初はペットロスか軽い脳梗塞だと考えていた猪瀬だが、検査の結果は悪性の脳腫瘍で、余命数ヶ月と宣告される。

 当時の猪瀬は、東京五輪招致で多忙を極めていた時期。余命宣告直後にも猪瀬はロシアのサンクトペテルブルクに行かなくてはならない。夫の帰国を待って手術を受けたゆり子さんだが、これは延命の手術に過ぎなかった。そしてゆり子さんの病状は急変、昏睡状態となり、同年7月21日に息を引き取るのだ。

 本書では闘病する猪瀬の妻へ愛情や懺悔、そして45年間の結婚生活の思い出で溢れている。

 猪瀬が一つ年下のゆり子さんと出逢ったのは、19歳の時だった。その後「作家になるため」上京した猪瀬と駆け落ち同然で暮らし始めたゆり子さん。貧しいながらも夫を信じ教職で家計を支える妻。

「僕たちは深刻ではなかった。どうにかなるさ、と笑い合った」(本書より)

 2人の子どもに恵まれ、そして夫は次第に作家として成功していく。

「僕は休日に、しばしばゆり子を連れてウインドウショッピングを楽しんだ。気に入るものがあれば、即座に買った。いつも試着室から現れるゆり子の姿を楽しみにしていた」(同)

 もちろん妻も夫を心から信用し、愛してもいた。

「(ゆり子の)厳しくかつ熱血の指導振りは鳴り響いており、保護者の授業参観は校内でいちばんの盛況だった。女子児童にとってはゆり子の個性的なボブヘアと都会的ファッションセンス、夫について話すときのはにかむような表情と仕草が強い関心をそそっていたようだ」(同)

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