在日米軍が謎の救助中止...御巣鷹から30年、新聞・テレビが報道しなかった日航機墜落事故のタブー!

リテラ / 2015年8月15日 8時21分

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 日航ジャンボ機123便が群馬県・御巣鷹の尾根に墜落した8月12日、テレビ各局は報道特別番組を編成、放映した。

 だが、今年もあの問題にはどこも触れなかった。そう。10年前に発刊された『御巣鷹の謎を追う 日航123便事故20年』(米田憲司/宝島社)で詳細に指摘され、本サイトでも1年前に取り上げた、在日米軍機の救助中止問題だ。

 これは、当時、横田基地に配属されていたマイケル・アントヌッチ中尉が証言したものだ。事故当日、日航機がレーダーから消えたすぐ後の7時15分、アントヌッチ中尉が乗ったC-130がいち早く事故現場を特定し、到着。横田管制に正確な位置を報告し、救援を要請していた。実際に、米海兵隊が厚木基地からヘリコプターで救難に向かい、8時50分には現場についていた。

 ところが、突如、帰還命令が出され、救助活動は中止になったのだ。しかも、日本側はなぜか墜落地点を把握できず、防衛庁が4回にもわたって全く別の墜落地点を発表するなど、混乱状態に。結局、日本の救助隊が墜落地点に到着したのは16時間後だった。

 アントヌッチ中尉はそのまま在日米軍が救助活動を続けていれば、もっと多くの人が助かっただろうと証言していた。

 しかし、この証言はこれまでほとんど新聞やテレビでまともに検証・報道されることなく、タブーとして封印されてきたのだ。

 それでも、事故から30年目となる今年は、いくつかの番組で事故現場特定の問題点を扱っており、なかには、もしや?と期待させられた番組もあった。

 たとえば、『日航ジャンボ機事故 空白の16時間 ~"墜落の夜"30年目の真実~』(NHK・8月1日初回放送)は、墜落から事故現場の特定までにかかった約16時間を丹念に追ったドキュメント。警察や防衛庁の内部資料を掘り起こし、関係者100人以上に取材をしたという労作だ。

 当時の航空自衛隊の幹部や長野県警の現役警察官に加え、事故現場に急行した自衛隊救難ヘリ2人の機長の証言まで織り込んで、現場の混乱ぶりや防衛庁と警察の足並みがそろわなかった実態を明らかにしている。

 ところがこの番組中でも、在日米空軍のC-130輸送機がいち早く現場に到着していた事実を全く報じていない。

 特に番組内で「自身の経験が役に立てば、と今回初めて証言をしました」といわば鳴り物入りで登場した当時の救難ヘリ機長・林璋三等空佐(当時)の話には拍子抜けした。

 実は、林氏が証言をしたのは厳密にいえば初めてのことではない。事故のあった1985年11月号の『航空ジャーナル』で航空評論家の青木謙知氏の取材に答えているのだ。

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