平成の世を「紛争の時代」にしたブッシュ父子という勘違い大統領

まぐまぐニュース! / 2019年4月16日 4時45分

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これまで3回に渡り平成の30年間を独自の視点で振り返ってきた、ジャーナリストの高野孟さん。今回は先日都内で開催された「東アジア友愛フォーラム」にて、「ポスト冷戦・2つの安保原理の戦い」と題した興味深い高野さんの講演内容を、メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』誌上に特別掲載してくださっています。

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ポスト冷戦:2つの安保原理の戦い

平成の30年が間もなく終わろうとしています。今上天皇は2月の在位30年記念式典の挨拶で、平成が「近現代において初めて戦争を経験しない時代」だったと誇らしげに述べました。しかし世界に目を転じると、平成の30年は、冷戦が終結してからの30年とぴったり重なっていて、本当ならば世界もまた戦争を経験することなく過ごせるはずであったのですが、実際には逆で、1989年の米国のパナマ侵攻に始まって、91年湾岸戦争、98年コソボ空爆、01年アフガニスタン戦争、03年イラク戦争、11年リビア空爆、シリア内戦介入など、ほとんど絶え間なく戦争が続いた30年間でした。

ブッシュ父子の戦争マニア

冷戦が終わって熱戦の時代に戻ってしまったかのようですが、そうなった最大の原因はブッシュ父大統領の時代認識の過ちにあります。彼が89年12月にマルタ島でゴルバチョフと会談して冷戦終結を宣言したのは偉大な功績ですが、しかし彼は自分のしたことの意味がよく分かっておらず、「冷戦という名の第3次世界大戦で米国は勝利したのだ。ソ連という邪魔者がいなくなって、これからは米国が唯一超大国としてやりたい放題だ」と思い込んだのです。そのテストケースとして早速発動したのが同じく12月中のパナマ侵攻であり、91年の湾岸戦争でした。

熱戦というのは、国家と国家がお互いに重武装して国境を挟んでせめぎ合い、イザとなれば総力を挙げて、一般市民をも巻き込むことも辞さずに、生死を賭けて戦うのが当たり前という、17世紀ヨーロッパで確立した野蛮極まりない文化です。ところが、第2次世界大戦後に至ると、

  • 一方では、核兵器をはじめとする大量殺戮兵器とその遠隔運搬手段の発達による殺傷能力の極大化がその使用をためらわせるほどになったこと
  • 他方では、米ソを盟主とする東西2極の体制間対立の構図が出来て、2国間の戦争はそれだけで済まずに直ちに世界のほとんどの国を巻き込む地球破滅的な戦争になりかねない恐れが生じたこと

──によって、軍事力を全面発動することを避けて、しかしそれをお互いにちらつかせて相手を威嚇しながら、国家間ないし体制間の利益を争うという、何とも陰険な国際関係が生まれました。それが冷戦です。

従って、冷戦が終わったということは、熱戦に戻るのではなくて、冷戦にせよ熱戦にせよ、国家やその束としての東西両陣営が、軍事力を振るって争うのは当たり前という「国家的暴力の時代が終わったということでなければならなかった。ところがブッシュ父は愚かなことに、米国だけが国家的暴力をほしいままにしていいかの唯一超大国幻想に陥り、それがブッシュ子の「単独行動主義」によるアフガン、イラク両戦争の発動につながり、ひいては(少し意味も発動形態も違うが)トランプの米国第一主義にまで通じているのです。

NATOの存続、拡大、域外化

ブッシュ父の誤ちの直接の結果がNATOの存続です。冷戦終結の宣言を受けて、ソ連のゴルバチョフは91年7月、潔くワルシャワ条約機構を解散しました。当然、これに対応してNATOを解消すべきだとする常識的な意見が独仏など西欧では広がったが、それに断固反対したのは米国と英国。理由は単純で、NATOの最高司令官は歴代米国人が、副司令官は英国人が占めてきて、そのアングロサクソンによる大陸欧州への関与のテコを失いたくなかったからです。

それにしても、東側からの脅威が消滅したのに、なぜ西側の軍事同盟は存続するのか。それに対する米国の苦し紛れの答えは「域外の脅威」でした。確かに欧州「域内」での戦争の危険は消滅したが、その東方の「域外」にはイスラムの脅威があり、それに対しては米欧が一致して立ち向かうべきである、と。

しかしこれが落とし穴で、このようにして味方の同盟を固めると、どうしても敵が必要になってそれを誇大に描き上げたくなり、それが度が過ぎるとだんだん戦争をせざるを得なくなってしまうという逆さまの論理が作動する。それで世界は戦争に満ち満ちて行ったのです。

もう1つ、致命的にまずかったのはNATOの「東方拡大」、すなわち旧東欧・旧ソ連邦の諸国に対する加盟の誘いかけです。それらの諸国がEUに入りたいと思うのはごく自然なことであるけれども、NATOという元は反ソ軍事同盟であったものに今さら加入することに意味はなく、単に西側から提供される資金援助に目が眩んだためだと言われた。ハンガリー、チェコ、ポーランド(以上99年まで)、エストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニア(以上04年まで)、アルバニア、クロアチア(以上09年まで)が相次いで加盟し、それがウクライナに及ぼうとした時にロシアはついに我慢しきれずに反撃に出たのでした。

最近のNATOがロシアが主敵だという認識を公然と口にしていることはご承知の通りです。

「集団安全保障」という別の選択肢

以上のような展開は、冷戦後に可能な唯一のシナリオだったのでしょうか。そうではありません。

周知のように、1945年に創建された国連は、武力による威嚇と武力の行使を禁じ国際紛争をあくまでも平和的に解決することを目指して、憲章第6章33~38条、第7章39~42条に数々の手続きを設け、それでもダメだった場合にのみ安保理の下に国連軍を編成することを定めています。とはいえこの国連軍は、あくまでも国連の旗の下に、各国から提供された兵員を国際公務員として編成して公的な軍事行動を行うのであって、それと、個別国家もしくはその束である軍事同盟による国益のための国権の発動としての私的な戦争とは峻別されます。

このように、国家には戦争を禁じ、国際機関によってのみ警察的な軍事行動が可能であるとする考え方を「集団安全保障」、あるいは「普遍的安全保障」「協調的安全保障」と呼びます。当時の日本も積極的にこの考え方を取り入れて、世界がそのような方向に進むのであれば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」(日本国憲法前文)して、第9条で軍備放棄を宣言したのです。

そのような国連憲章と日本国憲法の理想主義は、1950年の朝鮮戦争とそれによる東西冷戦の激化によって裏切られ、それらの条項は空文化してしまいました。しかし、冷戦が終わったということは、集団安全保障という国連の理想主義的理念が実現する条件が3分の2世紀ぶりにようやく巡ってきたということであったはずです。

そのことを鮮やかに示したのが、90年11月のCSCE全欧安保協力会議首脳会議で、これこそが本当の冷戦終結の記念塔だと思います。そこにはソ連のゴルバチョフ大統領を含む東西欧州のほとんどの首脳に加えて(NATOのメンバーという意味で)米加の首脳も出席し、冷戦の終結を確認すると共に、国連の安保理念に従って欧州でも地域に存在するすべての国が加盟してラウンド・テーブルで紛争を予防するという趣旨の「パリ憲章」を発しました。

そこで早速、ゴルバチョフは91年7月にはワルシャワ条約機構を解散します。当然、それに対応してNATOも解散するだろうと思っていたのでしょう。ところが、同年11月、NATOは解散しないどころか欧州の外のイスラムの脅威などに対処するとして(域外化)、存続を宣言した。これで世界は混迷に陥ることになります。

敵対的軍事同盟  ←→ 集団(普遍的・協調的)安全保障体制

    仮想敵  ←→ 敵を予め設定しない

味方だけ結集   ←→ 世界or地域に存在する全ての国が加盟

軍拡で抑止力強化 ←→ 軍縮し信頼醸成、紛争予防

軍事力で決着が当然←→ 軍事力を用いず平和的に解決

日本は米国の尻を追うばかりなのか

さて、このようなポスト冷戦状況で、日本は米国の戦争政策の誤りに追随して日米安保条約の域外化を進め、中東やアフガンで戦う米軍の後方支援に自衛隊を派遣し、また東アジアでは中国や北朝鮮を仮想敵と見做してこれと米軍と共に戦う態勢を作ってきました。

  • 91年4月:湾岸戦争停戦後に海上自衛隊掃海部隊をペルシャ湾に派遣
  • 92年6月:PKO 法成立、9月に陸自中心に部隊をカンボシアに派遣
  • 96年4月:橋本・クリントン会談で「日米安保再定義」(域外化)
  • 99年5月:周辺事態法成立
  • 01年11月:アフガニスタン戦争で海自インド洋派遣
  • 04年1月:イラク戦争で陸自・空自派遣
  • 12年12月:安倍首相が米日豪印で中国を封じ込める「インド太平洋」構想
  • 15年9月:安保首相法制成立(集団的自衛権行使を部分的に解禁)
  • 16年5月:安倍首相9条改憲案を提示

このような、日本を戦争のできる国にしようとする安倍政権の冷戦型の安保政策に対するオルタネティブが「東アジア共同体」の構想です。東アジア共同体は経済の面から語られることが多いですが、安全保障の面があって両者は表裏一体の関係にあります。

東アジアに多角的な地域安全保障体制を作るべきだとの提唱は、昔から数多く為されてきましたが、それを政党として中心政策の1つに取り上げたのは、鳩山由紀夫氏を中心に1996年に結成された民主党が初めてでした。それについて彼は、その直後に発売された月刊誌「文藝春秋」11月号に寄せた論文「民主党/私の政権構想」で、より突っ込んだ次のような議論を展開しました。

日米関係は今後とも日本の外交の基軸ではあるけれども、そのことは冷戦時代の過剰な対米依存をそのまま続けて行くこととは別問題である。

アジア・太平洋の全体を、日本が生きていく基本的な生活空間と捉えて、国連、APEC、東アジア、ASEANおよび北東アジアすなわち環日本海という重層的な多国間地域外交をこれまで以上に重視し…ASEAN拡大外相会議や安全保障に関するASEAN地域フォーラム(ARF)に積極的に参加するだけでなく、北東アジアでもそれと同様の多国間の信頼醸成と紛争予防、そして非核地帯化のための地域的安保対話システムを作り上げる。

これについての鳩山氏の立場は実に一貫したもので、近著『脱・大日本主義』(平凡社新書、17年6月刊)でも、日本は「大日本主義への幻想を捨て、自らの力の限界を自覚し、中規模国家としての日本の国益は何かを見極めること」を提案し、そのための構想が「私が唱えた『東アジア共同体』」であって「今こそ日本が率先して東アジア共同体構想を推進し、アジア太平洋地域の信頼醸成に努力し、この地域に新たな多国間安全保障と経済協力の枠組みを作る先頭に立つ決意を固めなければならない」と訴えています。

北東アジアは、新旧2つの安保原理の闘いの主戦場の1つであり、ここから歴史の転換が始まることを期待します。

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