死してカンボジアに名を残す。亡き息子の遺志を継ぐ父の感動物語

まぐまぐニュース! / 2019年4月19日 21時56分

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世界の様々な問題解決に向けた強い志を実現する場として、国連ボランティアがあります。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、国連ボランティアでカンボジアに赴いていた今は亡き日本人の信念が、彼の父親により紹介されています。

息子の名前のつく村 ~ナカタアツヒト村~

平成4年になって間もなく、大阪大学を卒業し、外資系のコンサルティング会社に就職が決まった息子の厚仁(あつひと)から、1年間休職し国連ボランティアとしてカンボジアに行きたい、という決意を打ち明けられた。

カンボジアは長い内戦をようやく抜け出し、国連の暫定統治機構のもとで平成5年5月の総選挙実施が決まった。

人々に選挙の意義を説き、選挙人登録や投開票の実務を行う選挙監視員。それが厚仁が志願したボランティアの任務の内容だったのである。

厚仁の決意は私にとって嬉しいことであった。商社勤めの私の赴任先であるポーランドで、厚仁は小学校時代を過ごした。

いろいろな国の子どもたちと交わり、アウシュビッツ収容所を見学したことも契機となって、世界中の人間が平和に暮らすにはどうすればいいのかを考えるようになった。

世界市民

その意識を持つことの大切さを厚仁はつかみ取っていったようである。

1年間のアメリカの大学留学もその確信を深めさせたようだった。国連ボランティアは、厚仁のそれまでの生き方の結晶なのだ、と感じた。

だが、現地の政情は安定には程遠い。ポル・ポト派が政府と対立し選挙に反対していた。息子を危険な土地に送り出す不安。

私には厚仁より長く生きてきた世間知がある。そのことを話し、それらを考慮した上の決意かを問うた。厚仁の首肯(うなず)きにためらいはなかった。私は厚仁の情熱に素直に感動した。

カンボジアに赴いた厚仁の担当地区は政府に反対するポル・ポト派の拠点、コンポントム州だった。自ら手を挙げたのだという。私は厚仁の志の強さを頼もしく感じた。

厚仁の任務があと一か月ほどで終わろうとする平成5年4月8日、私は出張先で信じたくない知らせを受けた。

厚仁は車で移動中、何者かの銃撃を受け、射殺されたのだ。

現地に飛んだ私は、厚仁がどんなに現地の人びとに信頼されていたかを知った。厚仁の真っ直ぐな情熱はそのまま人びとの胸に届いていた

カンボジア佛教の総本山と尊崇されている寺院で、厚仁は荼毘(だび)に付された。煙がのぼっていく空を見上げた時、厚仁は崇高な存在になったのだと感じた。

私は決意した。

長年勤めた商社を辞めボランティアに専心することにしたのだ。そんな私を国連はボランティア名誉大使に任じた

そういう私の姿は厚仁の遺志を引き継いだ、と映るようである。確かに厚仁の死がきっかけにはなった。だが、それは私がいつかはやろうとしていたことなのだ。厚仁のように、私もまた自分の思いを貫いて生きようと思ったのだ。

私はボランティアを励まして延べ世界50数か国を飛び回った。それは岩のような現実を素手で削り剥がすに似た日々だった。

ボランティア活動をする人々に接しているとそこに厚仁を見ることができた。それが何よりの悦びだった。

厚仁が射殺された場所は人家もない原野なのだが、カンボジアの各地から三々五々その地に人が集まり、人口約1,000人の村ができた

その村を人々はアツ村と呼んでいる、と噂に聞いた。アツはカンボジアでの厚仁の呼び名だった。人々は厚仁を忘れずにいてくれるのだ、と思った。

ところが、もっと驚いた

その村の行政上の正式名称がナカタアツヒト村ということを知ったのだ。

このアツ村が壊滅の危機に瀕したことがある。洪水で村が呑み込まれてしまったのだ。

私は「アツヒト村を救おう」と呼びかけ、集まった400万円を被災した人びとの食糧や衣服の足しにしてくれるように贈った。

ところが、アツヒト村の人々の答えは私の想像を絶した。カンボジアの悲劇は人材がなかったことが原因で、これからは何よりも教育が重要だ、ついてはこの400万円を学校建設に充てたい、というのである。

こうして学校ができた

名前はナカタアツヒト小学校。いまでは中学校、幼稚園も併設され、近隣九か村から六百人余の子どもたちが通学してきている。

やがては時の流れが物事を風化させ、厚仁が忘れられる時もくるだろう。だが、忘れられようとなんだろうと、厚仁の信じたもの追い求めたものは残り続けるのだ。

これは厚仁がその短い生涯をかけて教えてくれたものである。

厚仁の死から15年が過ぎた。

ひと区切りついた思いが私にはある。楽隠居を決め込むつもりはない。国連は改めて私を国連ボランティア終身名誉大使に任じた。

この称号にふさわしいボランティア活動をこれからも貫く決意だ。

15年前、あれが最後の別れになったのだが、一時休暇で帰国しカンボジアに戻る厚仁に、私はこう言ったのだ。

父さんもベストを尽くす厚仁もベストを尽くせ

ベストを尽くす。

これは息子と私の約束なのだ。

厚仁の短い生涯が、人間は崇高で信じるに足り、人生はベストを尽くすに足ることを教えてくれるのである。

中田武仁(国連ボランティア終身名誉大使)

初出:『致知』2008年9月号 特集「致知随想」

※ 肩書きは『致知』掲載当時のものです

image by: Twitter(@UNV Tokyo) , Flickr

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