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劇場オリジナルアニメは「厳しい」のに、次々登場するのはナゼ? 背景にある「夢と狂気」

マグミクス / 2022年10月25日 18時10分

劇場オリジナルアニメは「厳しい」のに、次々登場するのはナゼ? 背景にある「夢と狂気」

■「あの人が作った作品」を夢見るクリエイター

 アニメに限らず「クリエイター」であれば、自分自身が生み出したキャラクターや物語を歴史に残したいと、一度は夢見るものです。クリエイターと職人、両者の価値や存在意義にもちろん差はありませんが、栄光を求める欲求や野心については、明らかな違いがあります。

 子供のように純粋な一途さで仕事に取り組み、求めもしない名誉を得てむしろ戸惑ってしまう……そういったおとぎ話めいたエピソードは、クリエイターよりむしろ職人や学者のものなのです。

 職人であること以上に自意識の置き場を求めるクリエイターであれば、自らの野心と仕事は切っても切り離せず、良くも悪くも生々しい人間性の荒波に揉まれながら物づくりをするもの。これを最も強く意識し、半ば戯画的に演じ続けているのが、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督でしょう。

 最新作『機動戦士ガンダム 水星の魔女』も話題を呼ぶガンダムシリーズを生み出しただけでも、歴史に残る仕事をしたと言えます。しかし、一度もそれに安住することなく、自分自身がどの立ち位置にいるべきか、どんなもの作るべきか、常に考え続けている思索的な人物のように思います。

 富野由悠季監督ほどでなくとも、自身がどの立ち位置にいるべきか、どんなもの作るべきか、野心をもって考え続けるアニメ作家であれば、劇場オリジナルアニメを志すのは自然なことです。クリエイターとしてのポジションをはっきりと与えてくれますし、自分自身の創造性だけを作るべきものとして掘り下げることを許され、歴史に名が刻まれるほどの栄光が得られる可能性さえある……そんなものは今のところ、劇場オリジナルアニメしか見当たらないからです。

 不朽の名作『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』などを世に送り出した芝山努監督は、日本アニメ史に残る名匠中の名匠です。それでも、宮崎駿監督ほど一般に名前が知れわたっているとは言えません。

 映画『ドラえもん』は、あくまで藤子・F・不二雄先生のマンガのアニメ化ととらえられており、「宮崎アニメ」のように「芝山アニメ」とは認識されていません。『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、日本アニメ映画史上最大のヒット作ですが、監督の名前として即座に外崎春雄さんの名前を挙げられる人は、むしろ少ないでしょう。作品の素晴らしさや監督としての偉大さには何ら関係なく、ただ、そういうものなのです。

「あの作品を作った人」と、「あの人が作った作品」とでは、語られ方に大きな違いがあります。この違いの大きさこそ、劇場オリジナルアニメの難しさでしょう。

■夢を形にするプロデューサーの「狂気」

宮崎駿監督を有名にした『風の谷のナウシカ』の舞台裏では、すでに鈴木敏夫プロデューサーが手腕を振るっていた (C)1984 Studio Ghibli・H

「宮崎アニメ」の宮崎駿監督にはスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、「新海アニメ」の新海誠監督にはコミックス・ウェーブ・フィルムの川口典孝プロデューサーが、それぞれ制作スタジオの責任者としてついています。

 なぜか語られることが少ないのですが、劇場オリジナルアニメという夢を形にするためには、ずば抜けた能力を備えたプロデューサーの「狂気」が必要不可欠です。鈴木敏夫プロデューサーは、『風の谷のナウシカ』を形にするために、宮崎駿監督にわざわざ「原作マンガ」を描かせ、「原作がこんなに売れてるんだからアニメ映画にしてもヒットは間違いないはずだ」と、ぶち上げたという伝説があります。もちろん、当時からマンガ版の『風の谷のナウシカ』が売れていたかというと、まったくそんな事実はありません。

 具体的な名前は言えないのですが、あるプロデューサーは、自分が見込んだ監督に劇場オリジナルアニメを作らせるためだけに、自宅を担保にして銀行から資金を借りたという話も聞いたことがあります。

『ドラえもん』や『鬼滅の刃』のように、お客さんがついている原作のアニメ映画化なら(それでもビジネス的には正気を疑うレベルの判断なのですが)、まだ理解はできます。これを、ヒットするかどうかなんてフタを開けてみなければ分からない、オリジナル作品でやるのです。ある意味ではクリエイター以上の「狂気」を、プロデューサーが持っていなければならないのです。本当に独創性のある「あの人が作った作品」には、ずば抜けた能力を備えたプロデューサーさえ「狂わせる」ほどの魅力があるという意味でもあります。

「あの人が作った作品」として劇場オリジナルアニメを生み出す監督になることは、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄先生や『鬼滅の刃』の吾峠呼世晴先生と同じ位置に立つ、原作者になることでもあります。

 劇場ビジネスのリスクの高さは以前にも書きましたし、有力な原作者を生み出すことの困難さや意味を、数字の面から語ることもできます。しかし、この話題の本質は、もっと別のところにあるように思います。

 栄光への野心と人間臭さにまみれたクリエイターの天才と、その天才に酔いしれ溺れ死ぬことすら辞さない超優秀なプロデューサーの狂気。歴史に残る劇場オリジナルアニメのヒット作は、そのふたつが結びついたところにしか生まれない、奇跡の産物なのです。

(おふとん犬)

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