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40年前、オモチャ業界に激震! ガンプラの「次」がヒット、さらに未曾有のブーム到来

マグミクス / 2022年12月9日 20時5分

40年前、オモチャ業界に激震! ガンプラの「次」がヒット、さらに未曾有のブーム到来

■40年前、1982年のオモチャ事情 ヒットした商品とは?

 12月になるとクリスマス商戦が始まる時期。クリスマスというと、サンタさんがプレゼントしてくれるオモチャを連想する人が多いと思います。ちょうど40年前の1982年のクリスマスシーズン以降、玩具業界は激動の時代に突入しました。いったい何があったのか、その時期を振り返ってみましょう。

 前年の1981年のクリスマスまでは、劇場版の公開時期だったことから『機動戦士ガンダム』のプラモデル、いわゆる「ガンプラ」が人気商品のひとつでした。バンダイもそれに合わせるように年末商戦に合わせて高額な1/60サイズのドムやシャア専用ゲルググを投入します。

 しかし1982年になると既に発売した商品が多く、アッグシリーズといったTV未登場のモビルスーツを主力として投入するだけでした。この後、戦艦をラインナップに加え、翌年4月からMSV(モビルスーツバリエーション)を投入することでシリーズを延命します。

 むしろ、放送中だった『太陽の牙ダグラム』や『戦闘メカザブングル』などの、「ポストガンダム」と呼ばれるリアルロボットアニメ作品のプラモデルの方が好調な数字を叩き出していました。しかし、プラモデルは単価が安いため、クリスマスよりもお年玉をもらった子供をターゲットにするのが定番です。そのため、玩具店にとってはクリスマスの目玉とは言い難かったのでした。

 クリスマス定番のオモチャといえば、やはり合体ロボが主力です。史上最多合体がセールスポイントだった『機甲艦隊ダイラガーXV』、定番の戦隊シリーズ『大戦隊ゴーグルファイブ』のゴーグルロボといったところがこの年は人気でしたが、それに迫る人気だったのが『宇宙刑事ギャバン』でした。『ギャバン』のこれまでにない商品ラインナップは、当時の子供に目新しく映ったのでしょう。

 しかし、もっとも話題になった商品はタカトクトイスが発売した『超時空要塞マクロス』の「1/55バルキリー バトロイドVF-1J一条輝タイプ」でした。人気商品として1年で出荷数は100万個を超えます。

 このバルキリーがヒットした要因は何だったのでしょうか?

 それはプラモデルでは不可能と言われた3形態の変形(後に差し替えにより変形可能なプラモデルは発売される)、子供が乱雑に扱っても壊れない頑丈さ、実際の戦闘機を思わせるリアルな形からロボットに変形するなどが挙げられます。もちろん『マクロス』という作品の持つ魅力も加味されるでしょう。

 バルキリーが与えた衝撃は大きなもので、オモチャを卒業してガンプラに流れていたアニメファンを、もう一度オモチャに引き戻すことに成功します。キャッチコピーだった「カラーリングで楽しめる」も、オモチャのリペイントをうながすもので、ある意味でガンプラを経験した世代向けのオモチャでした。これにより筆者のような当時ハイティーンだった世代がオモチャを買うようになり、現在の大人向けの高額オモチャ誕生のきっかけとなります。

 そして、このバルキリーの登場により、それまで合体が主流だったアニメロボットたちは「変形」を主眼にしていきました。しかし、翌年から発売されるオモチャとして画期的だった商品がこういったオモチャ事情を大きく変えることになるのです。

■玩具業界の再編と、新たなオモチャの登場が歴史を激変させた

未曾有のブームを生んだ「ファミコン」(画像:ぱくたそ)

 翌年1983年は玩具業界には激動の年となりました。まず3月に、バンダイグループで主にキャラクター玩具を扱っていた「ポピー」をはじめとするグループ8社がバンダイ本社に吸収合併されます。これは株式上場に向けた処置でした。

 そして、この年の7月15日に任天堂からファミリーコンピュータ、通称「ファミコン」の販売が開始されます。このファミコンが未曽有のブームを生んだことはみなさんもご存じのことでしょう。ファミコンはあくまでもオモチャとして開発が進められ、本来は1万円を切る価格設定を目指して開発されました。

 いわば、この当時の玩具店のショーウインドーを飾っていた「ゲームウオッチ」などの電子ゲームの延長線上にあった商品ですが、そのスペックや互換性ははるか上を行き、日本ばかりか世界のオモチャ市場を変えた商品です。

 ファミコンの登場がオモチャのあり方を変え、年末商戦の戦略を変えることになりました。コンピューターゲームというそれまでになかった商品が子供たちの欲しいオモチャの上位になったからです。もっとも販売当初からヒットした商品というよりも、子供たちのハートをつかむようなソフトが徐々に増えたことで、右肩上がりに売れ行きを伸ばしたというところでしょう。

 そういう点で発売したばかりのこの年は、まだまだ他の玩具メーカーの方が玩具店の中心にありました。しかし、8月に『機動戦士ガンダム』のヒットで業績を伸ばしていた玩具メーカー「クローバー」が倒産します。この前年の1982年に女児向けを扱う子会社「ポプラ」を設立するなど、経営は上向きと思われていただけに衝撃の出来事でした。

 クローバーは長らく名古屋テレビと日本サンライズ制作枠のロボットアニメのメインスポンサーでしたが、この倒産によって提供から外れます。放送中だった『聖戦士ダンバイン』はプラモデルを販売していたバンダイが代わりにメインスポンサーとなりました。そして、以降のこの枠は長らくバンダイがメインスポンサーとなります。販売直前だった2号ロボであるビルバインは「トミー(現在のタカラトミー)」が委託販売しました。

 この玩具会社の突然の倒産は翌年1984年にも起こります。前述したタカトクトイスが不渡り手形を5月に出して事業停止。そして倒産となりました。バルキリーの大ヒットがありましたがその後の作品に恵まれず、結果的に次なるヒット商品が出なかったことが要因だと言われています。後にバルキリーの金型はバンダイ傘下に移り、劇場版で新型を発売しました。

 この二大玩具メーカーの倒産により、キャラクター玩具市場は1位のバンダイと2位のタカラ(現在のタカラトミー)の2強時代へと寡占化が進みます。ちなみに業界3位のトミーはもともとキャラクター事業に消極的で、自社ブランドの「トミカ」と「プラレール」という強力なコンテンツが基盤になって、TVの流行とは無縁なところで着実な商売を続けていました。

 こうした玩具業界の再編とファミコンの登場という予想もしなかった出来事が40年ほど前に起こり、玩具店は大きな変化の時を迎えます。この他にもディスカウントストアが世に出てきたのもちょうどこの時期くらいでした。さらに家電量販店でもオモチャを扱うようになり、オモチャを値引き販売する傾向が一気に加速します。

 一般的な小売店は定価でオモチャを売ることが当たり前でしたから、こういった流れに難しいかじ取りを迫られることになりました。その結果、昔ながらの玩具店は徐々に姿を消していったわけです。まさしく、これが栄枯盛衰というのでしょう。

(加々美利治)

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