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40年前「1983年」は人気商品が続々登場 社会を揺るがす衝撃の「オモチャ」とは?

マグミクス / 2023年1月1日 12時45分

40年前「1983年」は人気商品が続々登場 社会を揺るがす衝撃の「オモチャ」とは?

■「ジャンプ一強時代」の始まりだった?

 いつの時代もさまざまな出来事や事件は起きるものです。今から40年前の1983年にはいったいどんなことがあったのでしょうか? マンガ・アニメ・ゲームの情報サイト「マグミクス」の視点から、1983年という時代をさかのぼってみましょう。

『Dr.スランプ』のTVアニメ化による予想外の大ヒットで、それまでアニメ化には無関心だった「週刊少年ジャンプ」が一転して、TVアニメ化へと舵を切ったのがこの年です。『キン肉マン』、『ストップ!! ひばりくん!』、『キャッツ・アイ』、『キャプテン翼』といった人気マンガを、次々とお茶の間に送り込みました。

 もちろんジャンプ本誌も後の名作マンガたちが続々と連載を始めています。『ウイングマン』、『北斗の拳』、『銀牙 -流れ星 銀-』など、後にTVアニメ化された人気作品群。そう考えると、ジャンプ黄金期の始まりはこの時期から始まっていたのかもしれません。

 アニメ作品全体で見ると、1979年の『機動戦士ガンダム』に続いて前年1982年に放送開始した『超時空要塞マクロス』が盛り上がりを見せ、後年にリアルロボットアニメと呼ばれる作品群が増えていました。『亜空大作戦スラングル』、『聖戦士ダンバイン』、『装甲騎兵ボトムズ』、『超時空世紀オーガス』、『銀河漂流バイファム』などです。

 もちろん他のジャンルのアニメにも活発な動きがありました。新たな魔女っ子シリーズの第1作となった『魔法の天使クリィミーマミ』。この後、ラブコメブームを巻き起こすことになるあだち充先生の初TVアニメ作品となった『みゆき』です。

 この『みゆき』で特筆することと言えば、H2Oの歌うエンディング曲の「想い出がいっぱい」でしょうか。当時、アニメ主題歌としては異例のヒットで、歌番組にも頻繁に登場するなど、普通のヒット曲と変わらぬ扱いをされました。さらに後年、音楽の授業や合唱コンクールで選曲されることもあって、世代を超えた名曲のひとつとなります。

 もう1曲、この年のアニソンで忘れてはいけないのが、杏里さんの歌った『キャッツ・アイ』のオープニング曲「CAT’S EYE」でしょう。歌番組での起用はもちろん、この年の『紅白歌合戦』に出演するという快挙を成し遂げ、翌1984年には「選抜高等学校野球大会」の入場行進曲にも選ばれました。アニメ主題歌では初の快挙です。

 ちなみにこの年のヒット曲として筆者が思い出深いのは、わらべの「めだかの兄妹」。人気バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』から生まれた曲です。他にもこの年の人気TV番組と言えば、朝の連続テレビドラマ最高視聴率をたたき出した『おしん』、タイトルが流行語にもなった『積木くずし~親と子の200日戦争~』、「ドジでのろまな亀」や「教官!」といった流行語を生んだ『スチュワーデス物語』が挙げられるでしょう。

 他にも、この年の流行語と言えば「タコが言うのよ」、「おもしろマジメ」、「わしもそー思う」、「人間だったらよかったんだけどね」あたりが印象的でした。

※『キャッツ・アイ』は、本来のタイトルでは点の部分がハートマークになっていますが、機種依存文字のためやむを得ず点で表記しています。

■アクエリアスにカロリーメイト、人気商品が続々登場

1983年にエースコックから発売された「わかめラーメン」は現在まで続くロングセラーに。2021年にはリニューアルも実施されている(画像はリニューアル版「わかめラーメン」)

 1983年に発売して現在も購入できる商品は意外と多くあります。スポーツ飲料の「アクエリアス」、栄養調整食品「カロリーメイト」、腕時計の「Gショック」の3つが奇しくも1983年4月1日から販売開始していました。

 この他にも、「東京ディズニーランド」が開園した4月15日に販売したお菓子が「パックンチョ」です。最初からディズニーキャラクターとはかかわりの深い商品でした。6月1日にはエースコックの「わかめラーメン」が発売されています。TVCMで石立鉄男さんの言ったセリフ「お前はどこのワカメじゃ?」は流行語のひとつになりました。

 さらに11月1日には入浴剤「バブ」が発売されます。郵便小包に「ゆうパック」の愛称がつけられ、「六甲のおいしい水」の発売が始まったのも1983年でした。

 しかし、もっとも時代を象徴する商品が、7月15日に任天堂から販売された家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」通称「ファミコン」です。

 このファミコンが販売された時期は、パソコンが「マイコン」と呼ばれていたころで、コンピュータ自体あまり一般的に普及していないころでした。コンピュータというと、限られた人だけが使える万能マシン的なイメージがまだ一般の認識だったと思います。

1983年発売の「ファミリーコンピュータ」のデザインを再現し、代表的な30本のゲームを収録した「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」(任天堂)

 そんな時代にファミコンは「オモチャ」として販売されました。このことがファミコンの普及に大いに貢献します。それまで玩具屋で販売されていた「ゲームウォッチ」の延長という気安さが、コンピュータという未知の物体を手軽なものとしてイメージさせました。

 このため、ファミコンは玩具屋で販売するために徹底的なコストダウンをはかります。それゆえ本体のスペックはある程度のレベルに抑えられ、代わりに周辺機器でのバージョンアップが最初から考えられる仕様になりました。その結果、目標の1万円を割れなかったものの、1万4,800円という、当時のコンピュータからすれば破格の値段で販売されます。

 余談ですが、このファミコンを販売前からライバル視していたセガ・エンタープライゼスは、同じ日に家庭用ゲーム機「SG-1000」と、よりパソコンに近い「SC-3000」を発売しました。SGはセガ・ゲーム、SCはセガ・コンピューターの略です。

 ファミコンの売れ行きは最初から良かったわけではありません。人気ソフトの開発やサードパーティーが参入することで徐々に業績を伸ばした感じです。初年の1983年の出荷総数は44万台、翌年1984年は167万台、1985年は368万台、1986年は390万台と、5年ほど右肩上がりで売り上げを伸ばしました。

 この人気により「ゲームは家で遊ぶもの」という新常識ができます。そして、ゲームに夢中になる子供が社会問題となり、国会でも論じられるほどの過熱ぶりを見せました。玩具屋もゲームを取り扱うことで高額商品が増え、普通のオモチャも徐々に高価格の商品が販売されるようになります。

 振り返ってみると、さまざまなことが思い出される40年前の1983年。その頃の皆さんの思い出は何でしょうか?

※本文の一部を修正しました。(2023.1.1 17:52)

(加々美利治)

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