富野監督の「コンテ千本切り」伝説がスゴい! 制作会社に重宝された驚きの演出スキルとは
マグミクス / 2023年2月16日 6時10分
■カットつなぎの魔術師!
『機動戦士ガンダム』の監督として高名な富野由悠季監督。彼にまつわる逸話は多々ありますが、「火のないところに煙は立たない」のことわざどおり、そんな話が生まれるのも、富野監督の驚きの仕事ぶりがあるからなのでしょう。
1972年の『海のトリトン』他、70年代から監督を務めていた富野監督ですが、監督業という激務をこなしながら、同時に、さまざまな制作会社の作品で、アニメーション(だけでなく映像作品にとっては)の制作過程で大変重要な、どんな画像でどのような画面の流れを作ってゆくかを決める「絵コンテ」という仕事を、切れ目なく引き受け続けていました。
その数は膨大で、ご本人は「食っていくため」とおっしゃっていますが、特に1970年代の彼の手で書かれた絵コンテの数の多さは、業界内外で「コンテ千本切りの富野」という伝説になっているほどです。
絵コンテのときには「斧谷稔(よきたにみのる)」「とみの喜幸」など、いくつかのペンネームを使っていますが、もしこの時代のTVアニメの制作スタッフ名を見ることがあれば、ちょっと気にしてみてください。サンライズ作品では「斧谷稔」という表記に出会うことが多いはずです。
また、富野監督について、素直に「すごい!」と思えるのが、たとえ自分の演出理念とは相容れない監督の作品であっても、その絵コンテを引き受けたことです。そこには、自分の演出の幅を少しでも広げようとする、彼の強い気迫を感じとれます。
こうした途方もない努力によって、どんな状況におかれても対処できるスキルを身につけていった富野監督。そんな彼だからこそ可能だったものがあります。それを目の当たりに出来るのが、1977年放送の『無敵超人ザンボット3』と翌年の『無敵鋼人ダイターン3』です。
当時のTVアニメの多くは毎週放送であり、放送期間は一年、または半年。一年の場合は52本、半年であれば26本を制作します。その間、お盆休みも正月も返上して作業を続けねばならないのが毎週放送の仕事です。
そこで、特に70年代~80年代前半のTVアニメには、本放送中に、以前放送した話数を再放送として差し込むことがよくありました。これには、どうしても押せ押せになるスケジュールへの配慮という意味もあったのです。再放送分の予告編には「みなさんのご要望にお応えして」などというナレーションがついていたりしたものですが、実際は……と言うわけです。
ただし、これが可能なのは「一話完結」といわれる、その回で物語が終わるタイプの作品に限られます。そのうえ、実は再放送での利益は放送権利の分だけで、制作費は得られません。これは続き話でも一話完結でも同じです。
いかに作業を軽減しつつ、かつ制作費を得るか。これは制作側にとって大きな課題だったわけです。
そこで富野監督は、再放送ではなく、それまでの話数で作った場面(映像業界では「カット」とも呼びます)から選び出したものを再利用しながら、制作費を計上できるものを作ってしまったのです。
当時のサンライズには「バンクシステム」というものがありました。これは放送が終わった素材のなかから、再び使う可能性がありそうなカットをあらかじめ抜き出して保管しておくというもので、たとえば、ロボットがミサイルを撃つ、剣を構える、など、別の話数の同じような場面に再利用するというものです。
富野監督は、この「バンク」と、それまでの話数すべての絵コンテから使えそうな部分を切り取ってつなぎ、それに沿ってすでにあるフィルムや動画、セルなども利用し、わずかな新作部分だけで一話完結話や前後話数につながる一本を作ってしまえるのです。まさに絵コンテを知り尽くしているからこそ出来る「わざ」です。
『ザンボット』では、第20話「決戦前夜」、『ダイターン』では第13話「前も後もメガ・ボーグ」、第34話「次から次のメカ」などがそれです。こうした話数は、基本的にコンテ以降の作業をほとんど富野監督がひとりで済ませてしまうので、演出や作画監督などが架空名になっている場合が多いようです。
ただそこには、初期のサンライズの主力スタッフの多くが、あの『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』などの、伝説的なTVアニメを生み出した「虫プロダクション」出身だったという強みがありました。実はこの「バンクシステム」を考案したのが、故・手塚治虫であり、それをシステム化したのが、サンライズの設立まもなく移籍してきた元虫プロのスタッフ達だったからなのです。
余談ですが、私がサンライズで一番はじめに指示された仕事が、「制作の終わった話数から、何度も見たことのある場面のカットがあったら抜き出しておく。このカットはまた使えるかもしれない、と思うものも抜き出す」という、このバンク用カットの選び出しでした。
こうしたことも熟知していた富野監督だったからこそ、再放送ではない、会社と現場双方の救いになる話数を作れたのでしょう。
まさに、絵コンテ千本切りのスキルが生んだ「カットつなぎの魔術師」富野監督ここにありだったのです。
【著者プロフィール】
風間洋(河原よしえ)
1975年よりアニメ制作会社サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の『勇者ライディーン』(東北新社)制作スタジオに学生バイトで所属。卒業後、正規スタッフとして『無敵超人ザンボット3』等の設定助手、『最強ロボ ダイオージャ』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『巨神ゴーグ』等の文芸設定制作、『重戦機エルガイム』では「河原よしえ」名で脚本参加。『機甲戦記ドラグナー』『魔神英雄伝ワタル』『鎧伝 サムライトルーパー』等々の企画開発等に携わる。1989年より著述家として独立。同社作品のノベライズ、オリジナル小説、脚本、ムック関係やコラム等も手掛けている。
(風間洋(河原よしえ))
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