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『ドラえもん』って「聖地巡り」できる? スネ夫の住所は判明していた!

マグミクス / 2023年3月2日 15時45分

『ドラえもん』って「聖地巡り」できる? スネ夫の住所は判明していた!

■スネ夫の住所は練馬区だった!?

 昨今、アニメの舞台となった町が、「聖地巡り」で観光客を呼び込むことも当たり前になってきました。今回は国民的アニメ『ドラえもん』について、「聖地巡り」ができないか、検証します。

 まず、それぞれのキャラクターはどこに住んでいるのでしょうか? 残念ながらのび太の住所は明かされていませんが、スネ夫の住所はかつて公開されたことがありました。原作マンガ15巻で描かれたエピソード「不幸の手紙同好会」にて、スネ夫の住所が「東京都練馬区月見台すすきヶ原3-10-5」だと判明したのです。

 スネ夫の住所が東京都練馬区とわかったことで、同じ小学校に通うのび太の家も近くにあると予想できます。ネット上でも必死に練馬区について調べたファンが散見されますが、練馬区の月見台という地名は、いかにもありそうですが、架空のものです。「練馬区月見台」のモデルは、「練馬区桜台」だと考えている人もいるようです。

 また、『ドラえもん』では、たまにチラッと映る郵便物の宛先にも練馬区の表記があり、22世紀の子孫のセワシが住んでいる住所も、「トーキョーシティー・ネリマブロック・ススキガハラストリート」であることが判明しています。その他、1973年に放送されたTVアニメ第1期の住所設定では「都心から離れた住宅街」となっており、15巻の「ポラマップスコープとポラマップ地図」では、ドラえもんが「(当時の後楽園球場から)西北西へ動かしていくとこの近所がうつるよ」と発言しており、これものび太たちが練馬区に住んでいる設定と矛盾しません。

 のび太たちが住んでいるのは練馬区のどこかの可能性が高いですが、それ以上に『ドラえもん』の聖地にふさわしいと言われている場所に、川崎市があります。理由は、『ドラえもん』の作者である藤子・F・不二雄先生が長年住んでいたからです。

 藤子先生は1961年に川崎市多摩区に引っ越し、その後『ドラえもん』ほか数々の名作を生み出しています。1981年には川崎市文化賞を受賞、さらに先生の没後の2011年には川崎市多摩区で「藤子・F・不二雄ミュージアム」が開業されました。小田急線・JR南武線の登戸駅より川崎市バスによる直行便が運行しており、登戸駅は全体が『ドラえもん』モチーフのデザインで、発車時のメロディは『ドラえもん』だけでなく『パーマン』の曲も使われるなど、駅を通るだけでも「聖地感」が味わえます。

 藤子先生が住んでいたことで、ドラえもんにも川崎市から「特別住民票」が発行されました。住所は「神奈川県川崎市多摩区長尾2丁目8番1号」です。この住民票発行を受け、SNSなどでも「ドラえもんの家は川崎市だと考えよう」といった声が上がっています。

 とはいえ上記の作中の描写から、ドラえもんやのび太の住所は練馬区だと考える人も少なくありません。ちなみに藤子先生は川崎市へと転居する前、東京都豊島区の「トキワ荘」に住んでいたことでも有名。トキワ荘には昭和を代表する人気漫画家の手塚治虫先生、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生らが暮らしていました。トキワ荘自体は現存していませんが、復元施設の「豊島区立 トキワ荘マンガミュージアム」が人気を博しています。練馬区と豊島区も近いので、藤子先生はかつて住んでいた地域を思い出して、スネ夫の住所を決めたのかもしれません。

 練馬区にも川崎市にも、のび太やスネ夫の家、いつも集まる空き地や小学校のはっきりとしたモデルの場所があるわけではありませんが、博物館もあり、聖地巡りに近いことはできそうです。さらに、街をぶらぶらしてみて、土管が積まれた空き地などが見つかれば、感動はひとしおでしょう。また、藤子先生が生まれた富山県高岡市には、「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」もあるので、こちらも「聖地」としてぜひ訪ねたい場所です。

(LUIS FIELD)

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