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『まんが日本昔ばなし』伝説のトラウマ話 「救いなさすぎ」「最終回が最恐」

マグミクス / 2023年3月11日 19時10分

『まんが日本昔ばなし』伝説のトラウマ話 「救いなさすぎ」「最終回が最恐」

■山はとても怖い場所だと教えてくれた?

 1975年から94年まで放送された人気アニメ『まんが日本昔ばなし』には、ほのぼのするお話もあれば、とてつもなく怖い「トラウマ回」もありました。例えば伝説のトラウマエピソードと言われる「三本枝のかみそり狐」は、同番組の大ファンという伊集院光さんが、「観返せない」とラジオで公言するほどの怖い話です。こちらもぜひ見ていただきたいですが、今回は他にもある『まんが日本昔ばなし』の「こわ~いお話」を紹介します。

●「牛鬼淵(うしおにぶち)」1978年3月11日放送

 むかしむかし、伊勢(現在の三重県)の山奥には、牛鬼と言う恐ろしいものが住んでいるという言い伝えがありました。とても険しい場所でしたが、木がたくさん生えていたので、ふたりの木こりが生活のために入り込んで行きます。ひとりは経験豊富な老木こり、もうひとりはまだ若い木こりでした。

 毎晩毎晩、老木こりはのこぎりの手入れを欠かしません。山には怖いものがたくさんあると語る老木こりを尻目に、若い木こりは酒を飲んでばかりで、のこぎりの手入れを怠っていたのです。そんなある日の夜、ふたりの小屋を怪しげな人影が覗き込んでおりました。

「何しとるんじゃ?」と質問し、小屋に入り込もうとする相手に対し、老木こりがのこぎりを見せ「こののこぎりの32枚目の刃は、『鬼刃』っちゅうて鬼をひき殺す特別な刃じゃ」と話しかけると、人影はそっと姿を消しました。

 それからは夜になると現れ同じ質問をする人影に、鬼刃を見せて追い返す日々が続くようになります。ふたりの木こりは一生懸命働いていましたが、ある日とても大きな木を切ろうとしたときに、鬼刃が折れてしまったのです。老木こりはのこぎりを直すために山を下りることにしたのですが、若い木こりは老木こりの説得も聞かず、小屋に残ることにしました。

 その夜も、ひとりで酒盛りをしていた若い木こりのところへ、あの男がやってきます。そして、若い木こりが鬼刃が壊れたことを話してしまったせいで、男は恐ろしい正体を現し……。

 老木こりが戻ってきたとき、若い木こりの姿はもうどこにもありません。ただ、若い木こりが着ていた着物が、近くの淵にぷかりぷかりと浮いておりました。

 このエピソードは、今日で放送からちょうど45年です。ネットでも、「救いがなさ過ぎてトラウマ」「若い木こりは不用心だけど、あくまでこのふたりは仕事をしていただけで、この理不尽さが怖い」「鬼刃が折れた時のBGMも怖いし、恐怖の演出がすごい」と人気を集めています。

●「吉作落とし」1988年10月29日放送

 むかしむかし、豊後の国(現在の大分県)の傾山(かたむきやま)のふもとにある上畠の里に、吉作というたくましい若者が住んでおりました。身寄りのない吉作は、絶壁に生える岩茸というキノコを取る危険な仕事をこなして、日々の糧を得ていたのです。

 ある秋の日、いつものように山へと出かけた吉作は、上手く岩茸を見つけられなかったのか、普段は行かない岩壁に行ってみることにしました。木の根っこに縄を縛り付け、するすると断崖絶壁を降りて行った吉作は、たくさんの岩茸を見つけて大喜び。みるみるうちに腰の篭は、岩茸でいっぱいになったのです。

 ふと、下を見た吉作は、小さな岩棚があることに気付きます。休憩場所にちょうど良いと考えた吉作は、縄を離して岩棚へと向かい、腰を落ろしてしばし風景を楽しんだのです。休憩を終えた吉作は、そろそろ帰ろうと上を見ましたが、なんと縄は、手の届かないほど高いところにありました。飛んでも跳ねても、縄には手が届きません。つるつるの岩壁は、登ることができません。吉作は、小さな小さな岩棚に、閉じ込められてしまったのです。

 助けを求めて叫びますが、谷間の反響によって、吉作の声は里の人間たちには化け物の叫びのように聞こえ、人びとは山に近付かなくなってしまいます。岩を伝う水の雫で喉をうるおし、叫び続けた吉作でしたが、その声は少しずつ小さくなっていきました。やがて飢え疲れた吉作は、「崖の下に飛び降りて、ふんわりと着地すればいいのではないか」と妄想するようになりました。そして吉作は、ついに決断を下してしまいます。

 人は鳥にはなれないことを、吉作は身をもって示すことになったのです。この岩場は、戒めを込めて村人たちから、「吉作落とし」と呼ばれるようになりました。

 こちらも、定番のトラウマエピソードとして有名な回です。「吉作が落ちていく場面の作画が怖すぎる」「どうやったら助かったのか今でも考えるけど、結局詰んでいて絶望しちゃう」「危険な場所では油断はダメという教訓なのかも知れないけど、悲しすぎて辛い」と、いろんなことを考える人が多いお話でした。

■人の欲望は果てしない

●「飯降山(いぶりやま)」1994年8月27日放送

「飯降山」の演出・文芸を担当したのは、いがらしみきおさん。画像はいがらしさんの代表作『ぼのぼの』1巻(竹書房)

 むかしむかし、ある山で3人の尼さんが修行を行なっておりました。殺生を禁じられている尼さんたちは毎日毎日草や木の実を食べて過ごし、励まし合い、助け合いながら過ごしていたのです。

 そんなある日のこと、突然空から3つのおにぎりが降ってきます。尼さんたちは天からのお恵みだろうとありがたくおにぎりをいただきましたが、この日から何かが狂っていきました。

 おにぎりは、空から毎日降ってきました。1日にひとつのおにぎりでは物足りなくなってしまった一番年上の尼さんは、もうひとりの尼さんと結託し、一番若い尼さんを殺してしまいます。しかしその日から、おにぎりは2個しか降ってこなくなったのです。

 ただ、もうちょっとだけおにぎりを食べたいがために、若い尼さんを殺したことを、もうひとりの尼さんは悔いるようになりました。そして、一番年上の尼さんは、この尼さんも殺しておにぎりを独り占めすることにしましたが、その日から、おにぎりが降ってくることはありませんでした。やがて冬が来て、雪が降り、そして春になりました。

 一番年上の尼さんは、骨と皮ばかりになりながら、よろよろと山を降りていきました。草も木の実も、冬の山にはありません。おにぎりも、もうありません。この尼さんは、何を食べて生きながらえていたのでしょうか? それは、語ってはならないことなのでしょう。

 以来、この山は「飯降山」と呼ばれるようになりました。今でいう、福井県での出来事です。

 このお話は『まんが日本昔ばなし』のレギュラー放送の最終回のエピソードで、子供たちは最後にとてつもないトラウマを植え付けられることとなりました。「人の内面の狂気をまざまざと見せられた」「道徳を説く尼さんが欲望に負けるのがトラウマ」「お経を唱えながら、これから殺す相手の方へ振り向く場面が怖い」と、今も屈指の恐怖回として語り継がれています。

(早川清一朗)

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