「NINTENDO64はCD-ROM機だったのでは」 開発現場でプログラマーが指摘 真相は闇の中?
マグミクス / 2023年6月23日 6時10分
■同僚プログラマーが抱いた「64」本体構造への疑問
今から27年前の1996年6月23日は、「NINTENDO64」の発売日でした。カタカナで書くと「ニンテンドウ64」。「ニンテンドーDS」などと異なり「ニンテンドウ」です。また「64」は「ロクヨン」ではなく「ロクジュウヨン」です。
スーパーファミコンの後継機なので、正式名発表前は「ウルトラファミコン」と呼ばれたりもしましたが、1993年、最初に開発が発表された際のコードネームは「プロジェクト・リアリティ」でした。
思い返せば、この「リアリティ」とは恐らく3D表現のことだったのでしょう。93年は初代PlayStation発売の1年前でしたが、「ポリゴン」が一気に身近になった年と言ってよく、アーケードゲームでは『リッジレーサー』(ナムコ)や世界初の3D格闘ゲーム『バーチャファイター』(セガ)が登場しました。3D表現を前提にしていなかったスーパーファミコンでも、特殊チップを搭載した『スターフォックス』(任天堂)が発売されています。
さて「64」は非常に高性能で、名作も多いのですが、容量の少ないROMカードリッジをゲーム媒体にしたことなど、さまざまな要因で売り上げが伸び悩み、完全にPlayStationやセガサターンの陰に隠れて任天堂は王者の座を明け渡してしまいました。その後のターニングポイントになるハードなので、この手の話はこれまで数多く語られています。そこで今回は少し趣向を変え、当時開発に携わった筆者の体験を交えた話をしてみたいと思います。
筆者がコンシューマーゲーム開発会社に在籍していた当時、「64」の開発にも着手することになりました。このハードは開発にワークステーションという業務用パソコンが必要でした。これは機械の名前ではなく「サーバー」とか「タブレット」といった分類名です。
科学技術計算、CAD、グラフィックデザインなどに特化していて、OSはUNIX(ユニックス)、1台100万円以上するような高価なものでした。会社にはシリコングラフィックス(SGI)社の「Indy」「Indigo2」が多数届きましたが、当時、PlayStationの開発はWindowsかMacだったので、このワークステーションはほぼ「64」開発専用でした。みんな勝手の違うUNIXに戸惑いながら、取り組んだものです。
そんなある日、プログラマーさんが言いました。「64は元々、CD-ROM機だったんじゃないか」と。開発者しか知らない秘密の匂いがします。いったいどういう意味だったのでしょうか?
■「元々CD-ROM機だった?」疑惑の根拠とは
NINTENDO64のゲーム開発に必要だったワークステーション。「64」の設計にはシリコングラフィックス社(SGI社)が深く関わっており、同社の「Indy」(写真)や「Indigo2」が開発に用いられることが多かった
現代のゲーム機のほとんどは、必要なデータをメモリに一度読み込んでから処理します。しかしファミコンやスーパーファミコンは、ゲームカセットのデータを読み込んで直接処理する構造で、簡単に言えばメモリがありません。そのため、データの伝達経路で不具合が生じるとすぐデータが壊れます。これを意図的にやると『スーパーマリオブラザーズ』の256面を遊ぶ技や、「カセット半差し」の技に見られるような現象を引き起こします。
さて、メモリからのデータの呼び出しは非常に高速なので、CD-ROM媒体のゲーム機にとって、あらかじめデータをメモリに読み込んでおく機能は必須でした。ですから当然、PlayStationやセガサターンには採用されていたのですが、読み込みの遅さを嫌ってゲームをROMカードリッジで供給していた「64」も同じ構造だったとなると、確かに不思議です。
当時は、任天堂もCD-ROM機を開発しているという噂があり、実際にもソニーと共同でCD-ROMドライブ付きのスーパーファミコン互換機「PlayStation」を開発していました(その計画が白紙になり、ソニーが後に出したのが、皆さんご存じの「PlayStation」です)。そのため「64は当初CD-ROM機だったのに、急きょ路線変更したのでは?」と、その人は考えたのですね。
真相はわかりません。同じ話はその後も各所でたびたび耳にしましたが、さまざまな情報から振り返ると、そういう話ではなかったと思われます。恐らく任天堂が想定していた理想のゲーム表現には、ROMからの高速読み出しと、データを大量に保管しておけるメモリの両方が必要だったのです。その一端は、任天堂公式サイト「社長が訊く『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』」から、うかがい知ることができます。
ゲームの開発はかなり難航しました。当時ハル研究所で「64」開発に携わり、後に任天堂の社長を務めた故・岩田聡氏は「64」をチューニングされたスポーツカーに例え、性能を引き出せるときとそうでない時があり、理由もよくわからないと述べたそうですが、実際に任天堂は自ら掲げた理想を実現するのに苦労していて、多くのタイトルが開発中止になっていますから、サードパーティは言うに及ばずです。
最後に余談ですが……筆者は元々サウンド担当でしたが、「64」ゲームの開発で企画に抜擢されました。それが現在の立場につながる転機になっており、その意味で思い出深いハードです。
(タシロハヤト)
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