昔は薬局で覚醒剤が買えた? 『サザエさん』でヒロポンを飲んだのは誰だ
マグミクス / 2023年7月2日 19時25分
![昔は薬局で覚醒剤が買えた? 『サザエさん』でヒロポンを飲んだのは誰だ](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/magmix/magmix_165868_0-small.jpg)
■「ヒロポン」という直球すぎるタイトルのエピソード
『サザエさん』の原作には、ワカメとタラちゃんが「ヒロポン」、つまり覚醒剤を使用しているエピソードがある……。この噂は、長らくネットを中心に広まっていました。
この話題が出る時に引用されているコマを見ると、ワカメとタラちゃんと思しき幼児たちが「キャッキャッキャッキャッキャッ」と、大きく口を開けて笑っています。それを見ている坊主頭でメガネの男性が「そーら ゆううつがふっとんだよ」と言い、横で初老の女性が微笑んでいます。そして次のコマになると、初老の男性が「おかァさんや だれかヒロポンのフタをあけてのんだものがいるゾ」と言い、先ほどの初老の女性が「マア」と仰天するという内容です。
結論からいうと、これは『サザエさん』のエピソードではありません。長谷川町子先生の他作品『似たもの一家』の1エピソードです。『似たもの一家』は「週刊朝日」で連載されたマンガで、作家の伊佐坂難物の一家が主人公として登場します。ヒロポンを飲んだのは、伊佐坂家の隣人・トンダさんの子供、ミヤコとカンイチでした。
「ヒロポン」という直球すぎるタイトルのついたエピソードは、このようなものです。一日だけ伊佐坂家に預けられたミヤコとカンイチでしたが、母が恋しくて泣き続けます。ところが、子供たちは難物の書きもの机の前で泣き止みました。その後、伊佐坂家の長男・じん六が腹踊りをしてみせると、ワンテンポ遅れて子供たちが爆笑しました。そこから「そーら ゆううつが吹き飛んだよ」のコマにつながり、実はヒロポンのせいだったと明かされます。
話はここで終わりません。トンダさんが迎えに来ても、子供たちは「ア~コリャコリャ」とハイテンションのままです。「はじめてですワ こんなにはしゃいだこと!」と大喜びのトンダさんを、伊佐坂家の人びとは気まずそうに迎えます。帰り道も「エヘヘ エヘエ」と笑いっぱなしの子供たちを、心配そうに見送るのでした。ヒロポンの効果のすさまじさがよく分かるエピソードです。
『似たもの一家』は『サザエさん』が朝日新聞で連載されることになり、長谷川先生が『サザエさん』に集中するために打ち切られました。その後、伊佐坂家はまったく同じ顔と名前で『サザエさん』に登場します。アニメ版にも登場し、磯野家の隣人としておなじみの顔になりました。『似たもの一家』は『サザエさんうちあけ話 似たもの一家』(朝日文庫)で全話読むことができます。
『似たもの一家』の連載が始まったのは、1949年です(『サザエさん』は46年スタート)。当時、ヒロポンは疲労回復や眠気解消に効果がある、「除倦覚醒剤」として販売されていました。
ヒロポンとは大日本製薬(現・住友ファーマ)による商品名で、ほかにも参天堂(現・参天製薬)のホスピタン、小野薬品工業のネオパンプロンなどの商品があります。ちなみにヒロポンという商品名は「疲労がポンと取れるから」ではなく、ギリシャ語の「Philo(好む)」と「Ponos(労働)」を組み合わせたものだそうです。
戦時中、ヒロポンは軍隊や軍需工場で働く人たちに広く配布されていました。特に夜間飛行を行うパイロットや前線の兵士、軍需工場で夜を徹して働く学生たちに配布されていたそうです。ところが、敗戦で軍という大口納入先を失ってしまい、広く市中に出回るようになります。全国の薬局では無制限にヒロポンが販売されていたため、すぐさま中毒患者が発生して社会問題となりました。
そして、1951年に覚醒剤取締法が施行され、ヒロポンの販売が中止になったのです(西川伸一「戦後直後の覚せい剤蔓延から覚せい剤取締法制定に至る政策形成過程の実証研究」『明治大学社会科学研究所紀要』より)。
■実は『サザエさん』にも覚醒剤が登場していた!
『サザエさんうちあけ話/似たもの一家』(朝日新聞社出版)
こうしてヒロポン(覚醒剤)の歴史を振り返ってみると、『サザエさん』と『似たもの一家』連載中の時期にはまだ堂々と市販されており、上記のようなエピソードがあってもおかしくないということになります。
もう少し、当時のヒロポン事情を詳しく見てみましょう。『夫婦善哉』などで知られる流行作家の織田作之助は、ヒロポンの常用者として知られていましたが、1947年に結核のため33歳で亡くなりました。ヒロポンの常用も死去の原因と考えられています。織田に限らず、多くの作家や芸人たちは、締め切りの重圧や多忙による疲労を吹き飛ばすため、ヒロポンを愛用していました。だから、小説家の伊佐坂難物の机にヒロポンが置かれていたわけです。
『似たもの一家』が連載されていた1949年から50年にかけては、覚醒剤中毒の青少年による犯罪が新聞紙上を盛んに賑わせていました。この年、警視庁保安部が補導した青少年の半分がヒロポン中毒だったそうです。
また、戦火で身寄りを失った浮浪児がヒロポンを乱用する場合も多かったとのことです。当時は錠剤より効果の大きい注射薬が普及していましたが、日本酒1升645円に対し、ヒロポン注射10本入りが81円50銭でした。人びとは敗戦のつらさや身寄りのない寂しさを、安くて気軽に手に入るヒロポンで埋めていたのです。ここからヒロポンの問題が国会で取り上げられるようになり、覚醒剤取締法の成立につながっていきます。
『似たもの一家』にヒロポンが登場したのは、このような時代背景がありました。ヒロポンが当たり前に市販されていたからマンガに登場したという側面もありますが、さびしさを紛らわせるために興味本位でヒロポンを飲んでしまった子供たちがいつまでもハイテンションでいるというエピソードからは、長谷川町子先生のどこか風刺めいた視点もうかがえます。
また、実は『サザエさん』にも覚醒剤が登場するエピソードがあります。年配の男性が薬局で「カクセイざいをくれたまえ」と、買い物をしています。この人がサザエに話した内容によると、徹夜で「文士劇」の練習をやるというのですから、彼は作家なのでしょう。ところが薬局は間違えて「スイミン剤」を売ってしまい、男性は爆睡してしまった……というお話です。
実は、このエピソードが描かれたのは1952年12月のことで、前述のように51年には覚醒剤取締法でヒロポンの市販は禁止になっていました。掲載後、読者からの指摘があって単行本への掲載は見送られましたが、現在は書籍未収録だったエピソードを集めた単行本『おたからサザエさん』の2巻で読むことができます。
その他、『サザエさん』には「マスオがインパール作戦に従軍していて、戦後も後遺症でヒロポンを常用していた」という噂もあるようですが、根も葉もないデマだとのみ書き添えておきます。そもそもマスオには従軍していたという設定はありません。
(大山くまお)
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