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『ラピュタ』女海賊ドーラのモデルは? 宮崎監督が「たちうちできない」強い人

マグミクス / 2023年7月20日 7時10分

『ラピュタ』女海賊ドーラのモデルは? 宮崎監督が「たちうちできない」強い人

■女海賊・ドーラは、宮崎監督にとって「思い入れのいちばん深い人」

 1986年に公開されたスタジオジブリのアニメ映画『天空の城ラピュタ』には、個性的な登場人物が多く登場します。そのなかでも、空中海賊「ドーラ一家」をまとめ上げる女ボス・ドーラは、多くのファンの心に残る魅力的なキャラクターです。そんなドーラのモデルとなったのは、宮崎駿監督の身近な人物でした。

 彼女らが獲物として狙うのは、政府機関の権力者や金持ちだけです。ドーラ一家の初登場シーンでは、政府機関の役人であるムスカがラピュタの秘宝「飛行石」を持っていると聞きつけ、彼の乗る飛行船を襲撃する姿が描かれています。その飛行船には「飛行石」を所持していたために、ムスカに拉致されたシータが乗船していました。当初は「飛行石」を持つシータとパズーを追い回すドーラでしたが、次第にふたりと交流を重ね、心強い味方となるのです。

 最初は悪役として登場するものの、次第にパズーとシータにとって心通わせる存在となっていくドーラは、『アニメージュ』1985年12月号で、「宮崎監督の母」がモデルであることが明かされています。そのなかで、ドーラは「宮崎さんの思い入れのいちばん深い人」と称されていました。

 さらに『映画 天空の城ラピュタ GUIDE BOOK』に、宮崎監督の弟・宮崎至朗さんが寄稿した原稿「兄・宮崎駿」のなかでは、宮崎家の母親とドーラの関係について触れた記述があります。至朗さんはお母さんのことを「『ラピュタ』に登場する女海賊ドーラを連想してくれるといい」と紹介し、「精神的迫力はまさにドーラに通じるものがあった」と記していました。

 また、鈴木敏夫プロデューサー責任編集の書籍『スタジオジブリ物語』によれば、宮崎監督のお母さんは、『風の谷のナウシカ』を制作中の1983年に亡くなったそうです。「病気がち」だったそうですが、宮崎監督はお母さんのことを「兄弟男ばかり4人そろってもおふくろにはたちうちできなかった」と述べていました。

 宮崎監督のお母さんは、宮崎監督が6歳から15歳の頃まで病床にあったそうですが、にもかかわらず兄弟4人が「勝てなかった」という宮崎監督の証言は、「金曜ロードショー」で『天空の城ラピュタ』が放送された際に同番組の公式Twitterでも紹介されています。ファンからは「病気だったのに、すごい」「ジブリに『強い女性』が多いのは、そういう原体験があるのかな」と、宮崎監督のお母さんの「強さ」に驚いた声も出ていました。

 ちなみにドーラは、シータを見て「あたしの若い頃にそっくり」と言っています。そんなドーラの部屋には、彼女が若い頃の肖像画が飾ってありました。短い場面ですが、見てみるとたしかにシータに似ている美人で、さらにスタイルも見事です。ファンの間では「DVDで見返すとき、この肖像画の場面止めてじっくり見ちゃう」「シータと違って昔から強そう」「シータもパズーと夫婦になって子供産んだらドーラっぽくなるのかな」と、長年話題になっていました。

 SNSでは「元はシータでも子を産んだ母親はみんなドーラ化する」というような話題も多く、「独身や新婚時代にはパズーとシータの関係性でいられるけど、子供生んでから、心のなかで常に大砲や手りゅう弾を投げまくっている。そのことを理解している宮崎監督がすごい」「子供を産んでみてドーラの凄さがさらにわかった。若い頃は美しく、年を取ったら豪傑とか、ああなれたら最高」と、共感や憧れを感じている人が多いようです。

(LUIS FIELD)

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