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なぜに? 『ナウシカ』音楽は「YMO」細野晴臣が担当するはずだった 交代劇の真相とは

マグミクス / 2023年8月7日 7時10分

なぜに? 『ナウシカ』音楽は「YMO」細野晴臣が担当するはずだった 交代劇の真相とは

■宮崎駿・高畑勲が求めていた『ナウシカ』の音楽とは?

 宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』(1984年)の音楽を担当したのは久石譲さんです。久石さんは、最新作『君たちはどう生きるか』まで一貫して宮崎監督による長編アニメーション作品のすべての音楽を担当しています。宮崎作品には久石さんの音楽が欠かせないと言っていいでしょう。

 ところで、『ナウシカ』の音楽は当初、他の作曲家が務める予定でした。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)などで活躍したミュージシャンの細野晴臣さんです。細野さんの名は、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが複数のインタビューなどで明かしています。

 久石さんのエッセイ『I am 遥かなる音楽の道へ』(メディアファクトリー)によると、細野さんが音楽を担当することは「一〇〇パーセント決まっていた」そうです(エッセイでは名前は伏せられていました)。ところが、映画公開直前で久石さんに交代することになりました。なぜそのようなことが起こったのでしょうか。

●久石譲さんが作ったイメージアルバム『鳥の人…』

『風の谷のナウシカ』は、徳間書店のメディアミックス戦略の一環として生み出された作品でした。その音楽面を司(つかさど)っていたのが、グループ会社の徳間ジャパンです
(現在は第一興商グループ)。プロジェクトに徳間ジャパンが加わることで、映画本編の音楽に潤沢な予算を使うことができるというメリットもありました。

 1983年の夏、久石さんは「風の谷のナウシカ イメージアルバム 鳥の人…」を制作します。久石さんを推薦したのは徳間ジャパンの担当者でした。このとき、久石さんは30代前半の新進気鋭の作曲家でしたが、知名度はほとんどなく、宮崎監督も高畑さんも彼のことはまったく知らなかったそうです。

 原作を読み、宮崎監督からレクチャーを受けて、イメージを膨らませた久石さんは、シンセサイザーを中心に、ケーナやタブラ、ダルシマ(ピアノの一種)などの民族楽器を絡めてサウンドを構築。83年8月から9月にかけて1か月ほどでレコーディングを終わらせ、11月25日に発売されました。

 イメージアルバム『鳥の人…』には、久石さんが得意としていたデジタルサウンドだけでなく、『風の谷のナウシカ』が持っている中世的な雰囲気や中東風の響きが散りばめられていました。

●高畑勲さんの劇伴音楽に対する考え方

 出来上がった曲を宮崎監督と高畑勲プロデューサーは非常に気に入ります。特に音楽通で知られる高畑さんは、映画やアニメの劇伴音楽には「ある種のローカルカラー」や「地方色」が必要だという考えを持っていました。西洋音楽を基盤にしたありきたりの劇伴音楽ではなく、描かれている風土を感じさせるような音楽が必要という考え方です。

 高畑さん自身が監督した『アルプスの少女ハイジ』(74年)では、スイスのアルペンホルンやヨーデルを駆使した音楽を効果的に使用していました。また、クラシック音楽も巧みに使っています。後の監督作『赤毛のアン』(79年)でもこの方針は引き継がれました。

 一方、高畑さんは当時流行していたニューミュージックに対して批判的な態度を取っていました。特に日本語の響きを大切にしていない部分を問題視しており、一例としてイモ欽トリオのヒット曲「ハイスクールララバイ」を挙げています(『映画を作りながら考えたこと』徳間書店)。

 イメージアルバム『鳥の人…』は宮崎監督も高畑さんも納得の出来栄えでしたが、『ナウシカ』本編の音楽担当者の人選は難航していました。イメージアルバムと本編の音楽担当者は別だと考えられていたのです。このとき挙がっていた名前が、細野晴臣さんでした。

■徳間ジャパンの思惑に反し、怒涛のような「交代劇」が

宮崎駿監督作品と久石譲氏との関係を決定づけた? 「風の谷のナウシカ イメージアルバム 鳥の人…」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)

●当時から「音楽界のスーパースター」だった細野晴臣さん

 細野さんは、1960年代末に伝説のバンド、はっぴいえんどを結成して活躍。その後、多数のフォーク、ニューミュージック系アーティストの楽曲に参加、荒井由実(後の松任谷由実)さんのプロデュースやソロ活動を経て、80年代前半には「テクノポップ」を打ち出したYMOで世界を席巻しました。

 同時に、はっぴいえんど時代の盟友、作詞家の松本隆さんとともに、松田聖子さんや中森明菜さんなど、アイドルや歌謡曲界に多くの楽曲を提供しています。前述のイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」も松本さんと細野さんのコンビによる曲でした。

『ナウシカ』の制作が行われていた83年の時点で、細野さんはフォーク、ニューミュージック界の大物であり、世界的な知名度を誇るミュージシャンであり、ヒットチャートを賑わすヒットメーカーでもあったわけです。

 細野さんを『ナウシカ』の音楽担当に推したのは、徳間ジャパンでした。徳間ジャパンの最高責任者である三浦光紀さんは、それ以前に在籍していたベルウッドレコードではっぴいえんどや細野さんのソロアルバムなどを制作していた人です。「ニューミュージック」という言葉は三浦さんが流通させたものだとされています。

 三浦さんはメディアミックスプロジェクトの一環として、松本さんに歌詞、細野さんに曲を発注。安田成美さんの歌唱によるイメージソング「風の谷のナウシカ」を完成させます(84年1月25日発売)。この曲が『ナウシカ』のエンディングに使用されるはずでした。

●高畑さんが下した決断

 細野さんが映画本編の音楽を担当するのは既定路線でした。メディアミックス戦略を推進する徳間書店グループ、徳間ジャパンとしては、知名度のある細野さんを音楽に起用したいという考えは当然でしょう。

 しかし、83年12月になっても音楽担当者は決まりませんでした。公開は84年3月。もう時間がありません。それでも宮崎監督と高畑さんは首を縦に振りませんでした。ふたりは細野さんのこれまでの曲を聴き、『ナウシカ』には合わないと感じていたのです。

 音楽は細野さんではなく、久石さんが担当することになりました。84年1月のことです。決断を下したのは高畑さんです。当時、徳間書店に在籍していた鈴木敏夫さんは、当時の高畑さんの言葉を次のように振り返っています。

「細野さんも大変な才能の持ち主だけど、ナウシカに合うかといえば違うんじゃないか。この人は夏のけだるさを表現したら得意な人で、情熱的な曲は作らないだろう。宮さんは熱血漢だから、熱い曲を作る人のほうがいい」(『ジブリの教科書I  風の谷のナウシカ』文春文庫)

 細野さんはYMOのテクノサウンドで名を馳せていましたが、同時にニューミュージックの人、アイドル・歌謡曲界の人でもありました。架空の世界を描くアニメだからこそ、民族音楽的なアプローチが必要だと考えていた高畑さんには物足りなく感じたのかもしれません(細野さんが民族音楽に傾倒していったのは80年代後半からのことです)。

 決定的だったのは、宮崎監督が久石さんの『鳥の人…』を大変気に入っていたことでした。宮崎監督はテープを繰り返し聴きながら、音楽に乗って作業を続けていたそうです。『ナウシカ』と久石さんの音楽は、もはや分かちがたいものになっていました。その上で、高畑さんは決断を下したのです。細野さんが作曲し、安田成美さんが歌う「風の谷のナウシカ」がエンディングで流れることもなくなりました。

●宮崎監督、高畑さんがイメージしていた音楽とは

 音楽担当が久石さんに決まってからも、音楽の打ち合わせは難航しました。当初、宮崎監督が抱いていた主題歌のイメージは、ピアニスト・作曲家の高橋悠治さんが率いる音楽集団・水牛楽団の「ポーランドの歌」です。水牛楽団とは、ケーナや大正琴などの民族音楽の楽器を用いて、抑圧された民衆のための歌を歌うというコンセプトで作られた集団です。悲しげでありつつ、力強い歌声が印象的な曲でした。

 高畑さんがエンディングにイメージしたのは、ソビエト連邦(当時)のギター弾き語りの詩人、ウラジーミル・ヴィソツキィの「大地のうた」でした。しわがれた声で訥々(
 とつとつ)と、それでいて力強く歌われる曲です。宮崎監督も大いに気に入って、実際に使用しようとしましたが、版権問題で実現しませんでした。

 宮崎監督が書き下ろした歌詞に久石さんがシャンソン風の曲をつけて、来日中だったスーダンの弾き語り詩人、ハムザ・エルディに歌唱してもらいましたが、これもイメージしたものとはほど遠く、失敗しています(『宮崎駿全書』フィルムアート社)。

 これらのアーティストの曲を聴くと、当時、宮崎監督と高畑さんが『ナウシカ』にどのような曲をつけようとしていたのかをうかがい知ることができます。たしかに80年代前半までの細野さんのサウンドとは距離を感じざるを得ません。

 音楽に通じていた高畑さんの劇伴音楽に対する考え方と、久石さんがイメージアルバムで作り上げたサウンドが一致し、それを気に入った宮崎監督がいつの間にか『ナウシカ』の血肉として取り込んでいた。だから、このように劇的な音楽交代劇が起こったのでしょう。

 さまざまな試みの後、イメージアルバム『鳥の人…』に立ち返ることになり、久石さんは2月7日から2週間ほどの突貫作業で全60曲のレコーディングを終了しました。その後、宮崎監督と久石さんは40年にも及ぶパートナーシップを結ぶことになったのです。

(大山くまお)

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