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アニメスタジオ経営は難しい? 宮崎駿監督が仕えた「3人のボス」が示した哲学

マグミクス / 2023年9月25日 20時10分

アニメスタジオ経営は難しい? 宮崎駿監督が仕えた「3人のボス」が示した哲学

■日本テレビの子会社化が決まった「スタジオジブリ」

 アニメーション制作会社「スタジオジブリ」が日本テレビの子会社になることが、2023年9月21日に発表されました。『天空の城ラピュタ』(1986年)や『火垂るの墓』(1988年)などの数々の名作を生み出してきたスタジオジブリは、これまでも後継者問題が話題となってきました。現社長の鈴木敏夫プロデューサーは「大きな会社の力を借りなくてはうまくいかない」と語っており、日本テレビ専務執行役員の福田博之氏が新社長に就任する見込みです。

 スタジオジブリは過去にも「徳間書店」に吸収合併されされていた時期がありました。このときは徳間書店出身の鈴木プロデューサーが新社長となり、8年間で独立を果たしています。

 もともとジブリは、宮崎駿監督と高畑勲監督のために作られたスタジオであり、ふたりに才能を存分に発揮してもらうためには独立した組織であることが重要でした。日テレ傘下となった新しいジブリで、テレビアニメが制作されるのか。また、『風の谷のナウシカ』(1984年)の続編が実現するのかも気になるところです。

 今回は、宮崎駿、高畑勲の両監督にとってボスにあたる3人の経営者たちを振り返ることで、アニメスタジオの経営について考えてみたいと思います。

■「東洋のディズニー」を自称した実業家

 高畑監督、宮崎監督にとって、最初のボスと言えるのが東映動画(現在の東映アニメーション)の初代社長・大川博氏(1896年~1971年)です。日本初のカラー長編アニメ『白蛇伝』(1958年)を公開した際、大川氏がみずから予告編に出演し、「私は東洋のディズニーになります」「我こそはと思う人はどんどん来てください」と人材募集しています。

 高畑監督は東映動画に翌年入社。学生だった宮崎監督もアニメーターを志すようになります。

 東映の社長でもあった大川氏は、先見の明がある実業家でした。実写映画よりも、アニメのほうがマーケットが広いことを察知し、海外へ輸出することを前提に良質な長編アニメの製作をビジネスとして実現させたのです。

 とはいえ、東映動画に入社した高畑監督や宮崎監督にとって、大川氏は必ずしも理想の上司ではありませんでした。アニメーターの待遇改善をめぐって、東映動画では労働争議が起きています。高畑監督の監督デビュー作『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)は、そんな時代に制作された社会派アニメでした。

 ホルスのヒロイックな活躍やヒロインであるヒルダの存在感などは、ジブリ作品の原型となっています。原画担当だった宮崎監督が描いた「岩男」は、巨神兵のルーツにもなっています。

■『未来少年コナン』のダイス船長のモデル

徳間書店の出資で設立した「スタジオジブリ」として最初に発表された作品『天空の城ラピュタ』

 東映動画を退職した高畑監督と宮崎監督の新しいボスとなったのは、「東京ムービー」の設立者・藤岡豊氏(1927年~1996年)です。高畑&宮崎コンビは『ルパン三世』(日本テレビ系)の第1シリーズの演出を途中から手がけ、伝説の存在となります。大きなスタジオを離れた高畑&宮崎コンビの自由気ままさとやさぐれ感が、『ルパン三世』には感じられます。

 高畑&宮崎コンビは、劇場アニメ『パンダコパンダ』(1972年)もヒットさせます。さらに藤岡氏は世界進出を目指して「テレコム・アニメーションフィルム」を立ち上げ、『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)で宮崎監督は劇場監督デビューを果たすことになります。

 藤岡氏は発言内容がコロコロと変わったそうです。宮崎監督のテレビアニメ『未来少年コナン』(NHK総合)のダイス船長は、藤岡氏がモデルだと言われています。日和見的なダイス船長ですが、彼なしではコナンはラナを救出することはできなかったでしょう。当時の宮崎監督にとっても、藤岡氏は重要な存在でした。

 製作費53億円を投じた、日米合作の大作アニメ『NEMO/ニモ』(1989年)に情熱を注いた藤岡氏でしたが、高畑監督や宮崎監督も関わったこの企画は失敗に終わり、藤岡氏はアニメ界からの引退を余儀なくされます。

■「濁濁併せ呑む」を公言した大物フィクサー

 職場を転々とした高畑監督と宮崎監督にとって、「理想郷」と言えるのがスタジオジブリでした。アニメ誌「アニメージュ」を発刊していた「徳間書店」が出資し、1985年にスタジオジブリが創設されます。徳間書店の創業者である徳間康快氏(1921年~2000年)がジブリの初代社長でした。

 徳間氏は、『コクリコ坂から』(2011年)の徳丸理事長のモデルになるなど、さまざまな逸話を持つ人物です。看板雑誌「週刊アサヒ芸能」はヤクザやギャンブル情報を満載し、大いに収益を上げました。「清濁併せ呑む」という言葉がありますが、徳間氏は「濁濁併せ呑む」を自認していました。政財界との繋がりを持つフィクサーとしての顔も持っていました。

 徳間氏は大映映画も傘下に収め、中国に長期ロケした『敦煌』(1988年)などのスケールの大きな大作映画をヒットさせています。日中合作映画『阿片戦争』(1997年)では、ダイアナ妃にヴィクトリア女王役をオファーしたことが知られています。

 宮崎監督の『もののけ姫』(1997年)や『千と千尋の神隠し』(2001年)のメガヒットも、徳間氏の存在なしでは語れません。その一方、徳間書店の経営事情にジブリも左右されるという側面がありました。

 宮崎監督が類まれなるイマジネーションの持ち主で、天才的アニメーターであることが誰もが知るところです。宮崎監督の才能を活かすには、スタジオ経営者もそれに匹敵するビジネスセンスと経営スキルが必要とされます。残念ながら、今のジブリにはその適任者が見つからなかったということです。

 統計的に、ひとつの企業の寿命は20年から30年程度だと言われています。その点、ジブリは創設からすでに38年が経っています。日本テレビの子会社となったジブリはアニメスタジオとして再生するのか、それとも版権ビジネス中心となるのか。アニメ界をリードする有名スタジオだけに、成り行きが注目されます。

(長野辰次)

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