1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

『ゴレンジャー』アオレンジャーがずっと「待機」してた理由は? 多忙ゆえの苦肉の策

マグミクス / 2024年1月13日 7時50分

『ゴレンジャー』アオレンジャーがずっと「待機」してた理由は? 多忙ゆえの苦肉の策

■アオレンジャーを演じた宮内洋さんはかけ持ちで大忙しだった

 1975年に放送された『秘密戦隊ゴレンジャー』で、アオレンジャー・新命明を演じたのは、当時から人気俳優だった宮内洋さんです。1973年『仮面ライダーV3』の主演を務め、すでに子供たちにも顔を知られた存在でした。1975年『ゴレンジャー』のオファーを受けた際はレギュラー番組が3つあり、実際に撮影に入った時でも、ゴレンジャーの撮影には週に1日程度しかスケジュールが空いていなかったのです。

 いざ、レギュラー出演が決まったもののロケにはなかなか参加できず、スタジオ撮影のできる空中要塞「バリブルーン」(のちはバリドリーン)の操縦担当が多かったようです。バリブルーンを上空で待機させ、敵地にいる仲間を助け出すシーンが印象的でした。

 当時の人気俳優でいえば、1972年放送の『太陽にほえろ!』の石原裕次郎さん、宮内さんの師匠である1975年放送の『Gメン’75』の丹波哲郎さんは、主演にもかかわらずスタジオ撮影だけで、ドラマのポイントに登場するだけです。

 視聴率が期待できる固定のファンがいる看板俳優はかけ持ちが多く、ため撮りのケースは珍しくありませんでした。単独ヒーローであればかけ持ちは不可能ですが、宮内さんは集団ヒーローのおかげでそれが可能になったのです。

 当時、宮内さんの出演場面が他のメンバーに比べて少なかった印象はありませんでした。他のメンバーがピンチになった時は、必ずバリブルーンで救出し、アオレンジャーが怪我をした後には新命が包帯をしているなど、物語を通じて違和感がなかったのです。

 刑事ドラマの上司役は基本的に捜査室から動きませんが、バリブルーンは空中移動のため、一緒に活動していないという印象も薄かったと思われます。そんな製作の裏事情をメインの視聴者である子供たちが知るはずもなく、颯爽とバリブルーンを操縦する新命にしびれたものでした。

『ゴレンジャー』の成功はすでに主役格だった宮内さんを2番手に添えたことで、メンバーの厚みが増したことが大きな理由のひとつです。

 当初、宮内さんは1番手のアカレンジャーでオファーを受けました。しかし、スケジュールの調整ができずに1度は断ります。2回目にオファーを受けた時は2番手のアオレンジャーで、主役じゃないと分かり、また断ろうとしたといいます。

 しかし、今度は原作者の石ノ森章太郎(当時、石森章太郎)さん直々に出演交渉をされ、「アカレンジャーが宮本武蔵で、アオレンジャーが佐々木小次郎」だと説得されて、出演を承諾したそうです。

『ゴレンジャー』は大好評で2年間放送され、惜しまれつつ終了します。続いて1977年に始まったスーパー戦隊シリーズの第2弾『ジャッカー電撃隊』は、視聴率で苦戦しました。そして、てこ入れのために新加入したのが、1977年に『快傑ズバット』の放送が終了したばかりの宮内洋さん演じる行動隊長・番場壮吉のビッグワンでした。スーパー戦隊シリーズに2作連続でレギュラー出演した、初めての俳優となったのです。

『ジャッカー』の終了後に製作された1978年の映画『ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー』では、アオレンジャーもビッグワンも登場します。宮内さんの出演場面といえば残念ながら番場隊長としての出演だけで、アオレンジャーの声だけを担当し、新命の出番はありませんでした。

 もし新命と番場の共演が出現していたら、当然いちばん目立ったに違いありません。またジャッカーのリーダー・スペードエースの桜井五郎を演じた丹波義隆さんは、宮内さんの師匠である丹波哲郎さんのご子息です。主役である師匠の息子より目立ってはいけないと、遠慮したのかもしれません。

 ちなみにこの映画では『仮面ライダーV3』も、ヨーロッパで悪の組織・クライムと戦っているという設定です。宮内洋さんはV3、アオレンジャー、ズバット、ビッグワンと、「石ノ森×東映」の特撮変身ヒーローとして前人未踏の活躍をしました。

(LUIS FIELD)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください