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若い世代は知らない? 初期ガンプラブームで続出していた「隠れたトラブル」とは

マグミクス / 2024年1月15日 6時10分

若い世代は知らない? 初期ガンプラブームで続出していた「隠れたトラブル」とは

■初期ガンプラを支えた客層は「小学生」だった

『機動戦士ガンダム』シリーズのプラスチックモデル、いわゆる「ガンプラ」は、どこの模型コーナーでも広い売り場面積を誇る人気商品です。しかし現在のユーザーのなかには、発売当初にあったさまざまな苦労話を知らない人も多いかもしれません。

 もともと「ガンプラ」は『ガンダム』本放送終了後に展開しました。それは発売元である「バンダイ(現在はBANDAI SPIRITS)」が模型販売の権利を取得したのが、TV放送の打ち切り直前だったからです。

 この事情から、バンダイは放送終了後にプラモデルを展開することになりました。本来ならTV放送が終了した作品の商品化はまずあり得ません。しかし、『ガンダム』の人気は沈静化するどころか、より大きなものへとなっていきました。各アニメ雑誌では放送終了後にも関わらず、毎月特集が組まれたほどです。

 こういったファンの熱意がブームに結び付き、やがては劇場映画化へとなっていくのでした。それゆえにバンダイは異例の放送終了作品のプラモ化を行うわけです。そして、放送終了から半年後となる1980年7月に、ガンプラ第一号となる「1/144 ガンダム」が発売されました。

 最初はそれほど大きな売り上げではありませんでしたが、TVでの再放送で新たな層が「ガンダム」に興味を持つようになったことがきっかけで、後の爆発的な大ヒットへと結びつきます。それは小学生を中心とした層でした。この小学生層が第一次ガンプラブームの立役者となります。

 もともと『ガンダム』についていたファン層は中学生から大学生のアニメファン層がほとんどでした。この学生層がアニメ雑誌を盛り上げて、ガンダムブームを後押ししたわけです。TVでの再放送もこういった層からの要望に応えたものでした。

 しかし、もともと『ガンダム』は外連味(けれんみ)のあるロボットアニメです。重厚なストーリーの内容までは理解できなかったかもしれない小学生でも、所狭しと活躍するガンダムとMS(モビルスーツ)のカッコいい戦闘シーンには大興奮できたわけです。

 こうしてファン層を広げた『ガンダム』の劇場版は大ヒットとなりました。またラインナップを着実に増やしたガンプラは、すでにそれ以前、販売開始した年の年末オモチャ商戦あたりをきっかけに、だんだんと品薄となっていきました。

 そして、「抱き合わせ商法」や店舗に殺到した子供が怪我をするなどといったトラブルが報道されるようになり、メーカーが増産をしないことを批判する意見も飛び出します。ところが工場は24時間フル稼働されており、実のところ、想定以上どころか限界に近い生産体制でした。

 こういった逸話はよく語られており、当時は生まれていなかった世代でも知っている人は多いことでしょう。そこで今回は、それ以外の筆者の体験談から、当時のお話をいくつかご紹介いたします。

■「模型屋」の功績は大きかった?

ハケつきの接着剤は、かつてのガンプラ組み立てでは必須アイテムだった。画像は「タミヤセメント」(TAMIYA)

 当時、筆者と同じ世代はスーパーカーブームがきっかけで、本格的なプラモ作りをするようになった人が多いことと思います。そして、『宇宙戦艦ヤマト』ブームで宇宙戦艦のプラモデルへと流れました。その後、ガンプラと出会うわけです。

 このガンプラは模型としての完成度は当時としてはかなりのものでした。それゆえ、完成見本通りに作り上げるには相当のスキルが必要な商品となります。その最初の難関が「接着剤による組み立て」でした。

 もちろん接着剤を使ったプラモが初めてというわけではありません。しかし、間接稼働がウリのひとつであるガンプラにとって、「接着剤のはみ出し」という失敗は命取りになります。それまでのロボット模型にも接着剤が必要なプラモがありましたが、そこまでシビアなものでもありませんでした。

 しかもプラモに同梱されているひし形の接着剤の使いづらさもあり、多くの子供たちは模型屋で「瓶に入ったハケ付きの液体接着剤」を買うことになったことと思います。おそらく最初に買った模型用の道具は、この接着剤か「切り取り用のニッパー」だったのではないでしょうか?

 その次のハードルが「合わせ目を消す」という作業です。接着剤を多めにつけて合わせ目にヤスリ掛けして、つなぎ目を消す作業は誰もが経験したことでしょう。もっともそれを気にしない人も少なくなく、完成までの最初の妥協点と言えるかもしれません。

 しかし、この合わせ目を消すという作業はガンプラだからそれほど苦ではありませんでした。他社のプラモでは接着面が何ミリもズレていることが珍しくなく、その点では当時からガンプラがすぐれていたところです。

 最後に「塗装」という最大の難関がありました。当時は筆塗りが当たり前でした。エアブラシなどはプロの領域。スプレー缶は子供にはそう簡単に手が出ない高嶺の花でした。この塗料をムラなく上手く塗るのがプラモをキレイに仕上げる最大のポイントです。

 以上の三点が初期ガンプラでもっとも苦労した部分でしょうか。しかし、これらは後の技術革命ですべてクリアされました。組み立てに接着剤を必要としない「スナップフィット」。合わせ目を消す必要がない細かい「パーツ分割」。塗装がいらない色分け済みパーツ「いろプラ」などです。

 また、当時の最大の問題はこういった技術を知る機会が少なかったことにもありました。一般的なプラモ作りはランナーから切り取ってハメるだけ。ガンプラのような複雑な作業工程は、当時の筆者のような学生ならともかく、小学生にはハードルの高いものでした。

 ネットで検索できる現在と違い、当時はこういった情報を得るとしたら専門書籍ぐらいしかありませんでした。しかも、小学生が簡単に理解できるように解説したものはほとんどありません。ガンプラの作り方は、文字ではわかりづらかったのです。

 そこで頼りになったのが「街の模型屋さん」でした。だいたい模型屋さんは好きで模型店を経営しているので、必要なものも商品として取り揃え、実際に手取り足取りで子供たちに教えられるわけです。

 かく言う筆者も出入りしている模型屋のおじさんからさまざまな知識を得ました。常連だったことで今度は筆者が小学生に教え、知識や技術をつないでいったわけです。当時の模型屋は単に模型を売るだけでなく、こういった技術伝道の役割を果たしていたと言えるでしょう。

 昨今ではこういった模型屋が姿を消していき、情報伝達はネットの動画などに変わっていきました。ガンプラブームの頃の模型屋の熱気は、今では理解できないものになったのかもしれません。

(加々美利治)

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