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セガ初の携帯ゲーム機「ゲームギア」がゲームボーイに勝てなかったワケ

マグミクス / 2024年1月23日 21時40分

セガ初の携帯ゲーム機「ゲームギア」がゲームボーイに勝てなかったワケ

■セガ初の携帯ゲーム機が秘めていた可能性とは?

 近年では「ニンテンドーDS」「プレイステーション・ポータブル(PSP)」「Nintendo Switch Lite」のように、ゲーム機を持ち運びながら、室内以外の場所でゲームを楽しむのが当たり前の時代になりました。

 こうした携帯ゲーム機の草分け的な存在であり、金字塔といえば、やはり1989年に任天堂から発売された「ゲームボーイ」でしょう。

 筆者の記憶でも、当時小学校の同級生のほとんどがゲームボーイを持っており、社会現象と呼べるほどの爆発的なヒットを記録しました。

 しかし、それに対抗すべく、セガが1990年に携帯ゲーム機である「ゲームギア」を発売しました。

 結果として販売台数などを比較すると「ゲームボーイ」に軍配が上がったと言わざるを得ませんが、ゲームギアはさまざまな可能性を秘めていました。そこで「ゲームギアがゲームボーイに勝てなかった理由」について振り返ります。

 ゲームギアは、携帯ゲーム機としては国内初となる「4096色同時発色のカラー液晶パネル」を採用しています。当時主流だったゲームボーイはモノクロ液晶だったので、いち早く「カラーで楽しめる携帯ゲーム機」として勝負に出たのです。

 しかも、ゲームギアは「TVチューナーパック」を購入することでテレビの視聴が可能になるという、当時は画期的な機能まで備えていました。

 こうして日本では1990年10月に発売されたゲームギアは、登場から1か月で約60万台を売り上げ、最終的には全世界で1000万台以上も普及しました。

 しかし、ライバルのゲームボーイは全世界で約4800万台も売れており、そのあとに続いた「ゲームボーイカラー」などの後継シリーズを含めた場合、1億台以上を売り上げています。

 日本ではゲームギアの後継機は登場しなかったため、初代ゲームボーイに負けただけでなく、その後の携帯ゲーム機の主導権も任天堂に握られる結果になったのです。

 ゲームギアがゲームボーイより普及しなかった理由を考えると、まずセガの移植タイトルが中心で、ゲームボーイほどの新たなヒットタイトルに恵まれなかったことが挙げられます。

 そのうえゲームギアには「バッテリーのもちが悪い」というハード面での大きな弱点もありました。

 ゲームボーイは、単3のマンガン乾電池4本で約15時間、単3のアルカリ乾電池4本の場合は約35時間もバッテリーがもちますが、ゲームギアはアルカリ乾電池6本で連続3~4時間程度という動作時間でした。

 子どもとしては、なるべく長時間遊べたほうがいいですし、決して安くはない電池を消費するため、気軽に遊びづらい面があったのも事実です。

 別売で「充電式バッテリーパック」という周辺機器はありましたが、コスパの面では圧倒的にゲームボーイのほうが優れていたのは間違いありません。

■ライバル機にビッグタイトル誕生! ゲームギアのビジネス的な成果は?

「ゲームギア」の当時のデザインをほぼそのまま再現し、従来サイズの40%弱となる"ミクロ"な大きさで復活した「ゲームギアミクロ」(セガ)

 それに本体価格を比較すると、ゲームボーイの発売当初の金額は1万2500円(のちに8000円まで価格改定)なのに対し、ゲームギアはかなり高額な1万9800円(のちに1万5800円に価格改定)でした。

 カラーでゲームを楽しめることの代償が、販売価格に顕著に反映されてしまったことも、ゲームボーイほど普及しなかった一因と考えられます。

 とはいえ「ゲームギア」には、セガが誇る評価の高い作品があります。例えばセガの看板キャラであるソニックが登場する『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』(1991年)は、スピーディーでスタイリッシュな横スクロールアクションとして世界的に人気を博しました。

 また国民的パズルゲーム『ぷよぷよ』(1993年)もプレイ可能で、ソフトの数はゲームボーイに大きく劣るものの、なかには良質なゲームも含まれていました。

 一方のゲームボーイには、初期の頃から『テトリス』(1989年)のような大ヒットタイトルがリリースされ、多くのサードパーティーが参入することで豊富なタイトルに恵まれています。また、後期に入っても『ポケットモンスター赤・緑』(1996年)という世界規模のメガヒット作が飛び出したことで、盤石の体制を築きました。

 結果的に、日本国内でのゲームギアの販売台数は約178万台にとどまり、ゲームボーイの約1200万台に比べると大きく水をあけられたかたちになります。そのためか、日本では後継機も発売されませんでした。だからといって失敗だったかというとそんなこともなく、全世界での販売実績に目を向けると1000万台以上を売り上げたハードになります。

 そんなゲームギアには弱点はあるものの、ゲームボーイカラーよりも8年も早くカラー液晶を搭載した携帯ゲーム機でした。すでにシェアを獲得していたゲームボーイの牙城に挑んだ、セガの積極的な姿勢はいまだに忘れられません。

(LUIS FIELD)

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